第二 染め桶
ミルヴァの染め屋は川の水で染める。乳の色の川と鉄の色の川が町の下で合わさるので染め場はどこも川べりにあって、藍を張った桶が土間に並び、空の桶は伏せて乾かしてある。桶は人がしゃがんで入れるほどの大きさで、伏せた桶の下に何があるかは、持ち上げてみなければ分からない。これは染め屋の女房の話で、語った染め屋は隣の家の話だと言い張った。
染め屋の亭主は反物を売りに川下の町へ出て、三日は戻らない。女房は留守を守り、その留守に糸屋の手代が糸を届けに来た。糸を届けるだけなら戸口で済むが、手代は土間に上がって茶を飲み、茶を飲み終えても帰らず、日が暮れて灯がついても帰らなかった。話が長かっただけだ、と語った染め屋は言った。茶碗は二つ出ていて、戸口には履物が二足並んでいた。
ところが亭主は三日どころか一日で戻った。川下で雨に降られ、反物を濡らすのが惜しくて引き返したのだという。戸口の外で足音がしたとき、女房は茶碗を一つ袂に入れ、手代の履物を片手につかみ、もう片方の手で手代の腕を取って土間へ下りた。伏せてあった空の桶を持ち上げてその下に手代と履物を入れ、桶を下ろすと、土間には伏せた桶が並んでいるだけになった。
亭主は濡れた反物を抱えて入ってきて、女房の顔を見て、それから土間を見た。足音が二つ聞こえた気がする、と亭主は言った。女房は、桶の音だろう、と言った。亭主は土間に下りて、伏せた桶を手前から順に拳で叩いていき、四つ目の桶だけが鈍い音を返したので手を止めた。藍が残っていて乾いていないのだ、と女房が言い、亭主は手についた藍を見て、そういうことにして座った。それから酒を出させて飲んだ。飲むと話したがる男で、飲むと自分が利口だと思いたがる男だった。女房はそれを二十年知っていた。
女房は、川下の染め屋であった話を知っているか、と聞いた。亭主は知らなかった。女房は話した。川下の染め屋の女房が留守に男を入れて、亭主が早く帰ったので、男を桶の下に隠した。亭主は桶の下に男がいると気づいた。その亭主はどうしたと思う、と女房は聞いた。
亭主は酒を飲んで、そんな男は桶ごと川に放り込む、と言った。女房は首を振った。放り込めば町じゅうに知れて、恥をかくのは自分のほうだ。川下の亭主は利口だったから、男の顔を見ずに逃がした。顔を見なければ誰だか分からず、誰だか分からなければ恨みも残らず、町にも知れない。亭主は、どうやって顔を見ずに逃がすのだ、と聞いた。女房は、あんたならどうする、と聞き返した。
亭主はしばらく考えてから立ち上がり、干してあった藍の布を取って、自分の頭からかぶった。こうやって目を塞いで、桶の男に出ろと言う。おれは見ていないから、殴らずに済む。亭主は布の下から、桶の男、出ろ、おれは見ていない、と言った。土間の桶は並んだままで、どれも答えなかった。亭主は布の下でもう一度、聞こえないのか、出ろ、と言い、声は桶に当たって土間に戻ってきた。女房は、それでは川下の亭主と同じだ、と言って、伏せた桶を一つ持ち上げた。手代は履物を抱えて這い出し、濡れた戸口から外へ出た。足音が一つ、川のほうへ遠ざかった。女房は桶を下ろした。
亭主は布を取った。土間には伏せた桶が並び、女房が座っていて、戸口には履物が一足だけあった。亭主は酒を一口飲んで、川下の亭主は利口だ、と言った。うまく逃がしたものだ。
女将の字で、七年前の実りの月、ミルヴァの染め屋、隣の家の話だと四度言った、とある。
私が足したのは、川下で雨に降られたというくだりだけだ。書き取りには、早く帰った理由がない。




