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第六話 姉不在による経営破綻

第六話 姉不在による経営破綻


 エルスワイン伯爵邸には、ここ数週間ずっと怒鳴り声が響いていた。


「何だこれは!!」


 書類が机へ叩きつけられる。


 乾いた音に、使用人たちが肩を震わせた。


 伯爵――カトレアの父は、真っ赤な顔で請求書を睨みつけている。


「なぜこんな支払いが滞っている!?」


「そ、それが……」


 執事は青ざめながら額の汗を拭った。


「今までお嬢様……いえ、カトレア様が管理なさっていたようで……」


「管理!? ただの帳簿係だろうが!」


 怒鳴った瞬間、また別の使用人が駆け込んできた。


「旦那様、大変です!」


「今度は何だ!」


「西倉庫のワイン在庫が消えております!」


「は?」


「先月の時点で売却済みだったようで……」


「だったようで、ではわからん!!」


 伯爵の怒声が屋敷中へ響いた。


 壁際に控える使用人たちは、皆ひどく疲れた顔をしている。


 カトレアがいた頃、この屋敷は静かだった。


 請求書は常に整理され、契約更新は滞りなく行われ、取引先への返答も早かった。


 だが誰も、それを「カトレアの功績」だと思っていなかった。


 彼女は黙って処理していたからだ。


 問題が起こる前に。


 誰にも気づかれないように。


 まるで空気みたいに。


 だから失って初めて、皆は知る。


 屋敷が回っていたのは、彼女のおかげだったのだと。


「旦那様!」


 今度は継母が半泣きで飛び込んできた。


「宝飾店から請求が!」


「またか!?」


「リリーが買ったドレス代が未払いだそうで……!」


 伯爵は頭を抱えた。


「いくらだ」


「き、金貨百二十枚ほど……」


「はあ!?」


 近くにいた使用人が小さく悲鳴を漏らす。


 金貨百二十枚。


 地方領地なら一年運営できる額だ。


「リリー!!」


 怒鳴り声と同時に、当の本人が廊下から姿を見せた。


 ふわふわした金髪を揺らし、今日も新しいドレスを着ている。


 淡い桃色のシルク。胸元にはレース。腰には宝石付きリボン。


 どう見ても高級品だ。


「なあに、お父様?」


「この請求書は何だ!」


 伯爵が紙束を突きつける。


 リリーは目をぱちぱち瞬かせた。


「ああ、それ? 新作ですわ!」


「誰が買っていいと言った!?」


「えぇ? だって必要ですもの」


「必要なわけあるか!!」


 怒鳴られても、リリーは本気で不思議そうだった。


「でもお姉様、いつも払ってくださってましたわ?」


 その一言で、部屋が静まり返る。


 伯爵の顔が引きつった。


「……何?」


「だから、お姉様がいつもお店と話して――」


「そんな話は聞いていないぞ!」


「え? でも……」


 リリーは困ったように首を傾げた。


「お姉様、何でもやってくださったから……」


 伯爵は絶句した。


 執事も使用人も、誰も口を開けない。


 彼らは知っている。


 カトレアがどれだけ裏で処理していたか。


 未払い。


 借金整理。


 価格交渉。


 在庫調整。


 取引先への謝罪。


 伯爵家の帳簿は、彼女の犠牲で成り立っていた。


 だが、それを言える空気ではなかった。


 その頃。


 グラナード公爵邸でも、重たい空気が漂っていた。


 フェリックス・フォン・グラナードは、机へ積み上がった書類を睨みつけていた。


「……最悪だな」


 低く呟く。


 向かいに座る側近が疲れた顔で言った。


「エルスワイン伯爵家、かなり危険です」


「見ればわかる」


 フェリックスは深いため息を吐いた。


 手元の書類には、支払い遅延報告が並んでいる。


 しかも問題は金額だけではない。


「王室注文を踏み倒したのか……」


「はい」


 側近が顔をしかめる。


「王妃陛下主催の慈善晩餐会用ドレス。その支払い期限を過ぎています」


「馬鹿か」


 思わず本音が出た。


 王室関連の未払いは、ただの借金では済まない。


 信用問題だ。


 最悪、不敬扱いされる。


「リリー嬢が追加注文までしていたそうです」


「追加?」


「はい。“もっと胸元を開けて”“宝石を増やして”と」


 フェリックスはこめかみを押さえた。


 頭痛がする。


 昔のリリーは、ここまで酷くなかった。


 いや。


 違う。


 カトレアが処理していたから、表に出なかっただけだ。


「……だから言ったんだ」


 掠れた声が漏れる。


 側近が顔を上げる。


「坊ちゃま?」


「カトレアは壊れていた。だが、あの家も壊れていたんだ」


 フェリックスは窓の外を見る。


 灰色の空。


 雨が降っている。


 あの日の舞踏会を思い出す。


 完璧な土下座。


 感情を押し殺した瞳。


 自分が怒鳴った時ですら、彼女は「謝罪処理」を優先していた。


 あれは正常じゃない。


 けれど。


「……あいつ、自分がいなくなった後のことまで考えてなかったな」


 小さく笑う。


 苦い笑いだった。


 カトレアは、自分を犠牲にすることで全てを回していた。


 だから、自分が抜け落ちれば全部崩れる。


 なのに本人だけが、それを理解していなかった。


 その時、ノック音が響いた。


「失礼します!」


 使用人が飛び込んでくる。


「エルスワイン伯爵家から使者が!」


「今度は何だ」


 使用人は引きつった顔で答えた。


「追加融資のお願いだそうです……」


 フェリックスは、ゆっくり天井を仰いだ。


「……終わってる」


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