電気屋
「こまどり」を出たときも、雨はまだ霧雨だった。
気づけば宇佐美は、自分のマンション裏手の住宅街まで来ていた。
母が治安のよさを気に入り、選んだ場所だ。
静かで、瀟洒な家が並んでいる。
そのどこかで、酒と薬の絡んだ揉め事が起きていた。
そこに住む女性が巻き込まれた側なのか。それとも、自ら関わっているのか。
それすら、まだ分からない。
さっきまでは、聞き込み記録に自分の名前が残ったことばかり気にしていた。
だが、本当にこのまま強盗事件として片づけていい話なのか。
マンションへ戻ると、すぐに警視庁へ出向中の先輩・石黒へ電話をかけた。
「よお、宇佐美。どうした」
相変わらず声が大きい。
「みんなで飲んでるとこだ。九我さんもいるぞ。来いよ、近いから」
正語さんもいるらしい。
「大塚界隈で、『電気屋』と呼ばれている男をご存じですか。薬物絡みで」
一瞬、間があった。
「——マトリにマークされてる奴か」
声の調子が変わった。
マトリ。
厚生労働省の麻薬取締部だ。
「染井署と合同で、何か捜査しているんですか」
「いや。聞いてない」
宇佐美は眉を寄せた。
「今日、染井署の刑事が聞き込みに来ました。近所で強盗騒ぎがあったそうです」
「それと電気屋がどうつながる」
「強盗ではなかったかもしれません。電気屋が出入りしていて、酒と薬も絡んでいたという話を聞きました」
電話の向こうが静かになった。
「誰から聞いた」
答えなかった。
「宇佐美」
「まだ、確かな話ではありません」
「なら、なおさら関わるな」
石黒の声が低くなる。
「電気屋は、おまえが一人で聞き込みして回っていい相手じゃない。マトリも組対も追ってる」
宇佐美は黙った。
染井署は、電気屋の名前まで把握しているのか。
それとも、ただの強盗騒ぎとして処理しているのか。
「いいな。よそのシマに首を突っ込むな」
「分かりました」
そう答えて、電話を切った。
電気屋。
さっきより、その名前がずっと重くなっていた。




