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こまどり

 染井署の刑事が帰ったあと、宇佐美はベランダに立った。


 マンションの裏手には、洒落た家が並んでいる。


 ——このあたりで、揉み合う声がしたのか。


 この部屋を決めたのは、母だった。


 駅から近い。


 けれど、静か。


 周囲には品のいい住宅が並び、一階にはコンビニも入っている。


 治安も悪くなさそうだ。


 無精な息子の一人暮らしには、うってつけだと考えたのかもしれない。


 宇佐美は着替えて、つっかけを履いた。


 雨は止んでいた。


 行き先は決まっている。


 六年前から通っている定食屋、「こまどり」だった。


 地元の人間が多く通う店だ。


 あそこへ行けば、誰かが何かを知っている。



 宇佐美が住んでいるのは、巣鴨の古いマンションだった。


 都営三田線の巣鴨駅から、歩いて十分と少し。


 学生のころに借りた部屋を、面倒だからという理由だけで、社会人になってからも出ずにいる。


 母は、東京での一人暮らしに最後まで渋った。


 県内の大学にしてくれと、願書を出す直前まで言い続けた人だった。


「俊介に一人暮らしは無理」


 二人の姉たちにも言われた。


「電車に酔う」


「大学の近くに住んだら、悪い連中のたまり場になる」


 さんざん脅された。


 巣鴨に決まったのは、祖母の意見だった。


「あそこは、いいところよ。お寺があって、春には桜もきれいだったわ」


 それを聞いて、母も少し黙った。


 そのあと、ネットでさんざん調べたらしい。


 寺がある。

 商店街がある。

 年寄りが多い。


 母の中では、それだけで新宿や池袋よりはましだったようだ。


 卒業前で何かと忙しかった宇佐美に代わり、部屋を決めたのは、東京見物を兼ねて上京した母と姉たちだった。


 父は、


「俊介に決めさせろ」


 と言ったが、誰も聞かなかった。


 宇佐美にも、強い意見があるわけではなかった。


 宇佐美家は、女の力が強い。


 かくして宇佐美は、今の部屋に六年住んでいる。


 駅を出て、商店街を歩き、路地を曲がる。


 一階にコンビニが入った五階建てのマンション。その三階。


 巣鴨駅からも、大塚駅からも、歩いて十分ほどの場所だった。


 「こまどり」を知ったのは、上京して間もないころだ。


 遅くまで本を読み、明け方に眠る。


 その日起きたのは、十一時だった。


 早いなあ——。


 もう一眠りしようかと思ったが、めずらしく腹が空いていた。


 昨日の昼に学食で食べて以来、何も口にしていないことに気づく。


 寝癖頭に、つっかけ。


 宇佐美はそのまま、一階のコンビニへ下りた。


 混んでいた。


 だが東京のいいところは、四、五分歩けば別のコンビニがあるところだ。


 それ以外のいいところは、まだ見つからない。


 宇佐美は別のコンビニへ向かって歩いた。


「ランチ、やってますよ」


 声を掛けられた。


 足は止まったが、それが自分に向けられた声だとは、しばらく気づかなかった。


 丸顔の中年女性が、店先を掃きながら宇佐美を見ていた。


「……どうも」


 店の引き戸は開いていた。


 中から、味噌汁と焼き魚の匂いがした。


 宇佐美は少し迷ってから、「お食事処 こまどり」と書かれた暖簾をくぐった。


 以来、この定食屋に通っている。


 六年になる。


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