これからつかなければならない嘘の多さを考えた
30度超えの気温が続いた後、梅雨に入り、東京は急に冷えた。
宇佐美は、ふたたび羽毛布団を出した。
コインランドリーで洗って、クローゼットに押し込んだばかりなのに。
また君の出番ですか……。
布団にもぐり、腹ばいになったままノートパソコンの画面を見る。
うとうとしていたのか、ドアをノックする音で目が覚めた。
あの人じゃない。
合鍵を渡している。
勝手に入ってくるはずだ。
営業か、N◯Kか。
無視しよう。
宇佐美はさらに布団にもぐった。
「すみません。宇佐美さん、いらっしゃいませんか」
いかつい男の声だった。
なんだ?
僕の名前を知っている。
「染井署の者です。お話を聞かせてもらえませんか」
染井署——?
この町の管轄だ。
宇佐美は急いで起き上がった。
上下スウェット、寝癖のついた頭のまま玄関へ向かう。
寝る前に、ドアガードはかけていなかった。
けれど、そのまま開けるほど不用心でもない。
宇佐美はドアガードをかけてから、ドアを細く開けた。
立っていたのは、グレーのスーツの男が二人。
前にいるのは四十くらい。
後ろに立つ体格のいい男は、三十前後に見えた。
「お休みのところ、すみません」
顔は笑っていない。
声だけは穏やかだった。
「このマンションの裏手のお宅で、ちょっとした事件がありまして。近隣のみなさんにお話を伺っています」
そう言った男は背が低く、耳が潰れていた。
柔道の猛者か。
スーツの肩に、水滴がついている。
「警察手帳を見せてください」
差し出されたものは本物だった。
宇佐美の所属は警察庁捜査第二課。偽物はいやというほど見てきている。
——見抜く側に、いるはずだった。
宇佐美はいったんドアを閉めた。
ドアガードを外し、あらためてドアを開ける。
「どうも、すみません」
耳の潰れた男が言った。
背後の若い刑事が、宇佐美の部屋の中を鋭い目で覗き込んでいるのがわかる。
でも、不快ではなかった。
当たり前だ。
それが仕事だ。
「二週間前の日曜日ですが、ご在宅でしたか」
笑みを浮かべている。
言葉も丁寧だ。
なのに、宇佐美の身体は一気に冷えた。
二週間前の日曜日。
サッカー。
正語さんのところにいた日だ。
「はい。家にいました」
とっさに答えていた。
考えるより、口が早かった。
研修で、何度も見た。
容疑者が嘘をつく、あの速さを。
自分はいま、それをやっている。
二人の顔が、わずかに明るくなる。
「それでは、昼間、この裏手で揉み合う声を聞いたりはしませんでしたか」
やばい。
「……いえ。寝ていたので。何も聞いていません」
男たちが、わずかに目を見合わせた。
「本当ですか。すごい物音だったと通報があったんですが」
後ろの男が、凄みのある声で言った。
困る。
いや、困るどころではない。
今、自分は嘘をついている。
警察に。
同業者に。
雨の中、仕事をしている人たちに。
「まあまあ」
年配の男が、若い刑事をいなした。
「何か思い出したら、ご連絡ください」
そう言って、名刺を差し出す。
染井署刑事課。駒田、とあった。
男たちは去っていった。
それだけだった。
それだけなのに。
胸の奥が、冷えたまま戻らない。
いくらでも逃げ道はある。
あの人のところに行ったといっても、上司の家に呼ばれたとか。
仕事の相談だったとか。
いくらでも。
それなのに、とっさに嘘をついた。
隠さなければならない関係だからだ。
嘘は、業のように積もる。
この先、自分は、いったいいくつ嘘をつくんだ。




