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京都で見つけた千年前の恋文――それを書いたのは、これから私が恋をする関白さまでした  作者: EMo


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ようやく見つけた


「藤原雅臣です」


雅臣。


雅継ではない。


けれど、一文字を残したその名が、千年の時をつなぐように響いた。


「雅臣……さん」


紗良が呼ぶと、男の目がわずかに揺れた。


その呼び方に、何かが足りないと感じたように。


「やはり」


雅臣が呟く。


「あなたとは、以前どこかで会っている気がする」


紗良は答えられなかった。


これは再会なのか。


それとも、失った人に似た誰かと出会っただけなのか。


雅臣は展示ケースの中の文へ目を向けた。


「この文は、私の家に伝わっていたものです」


「藤原家に?」


「はい。私の家は、この文を書いた関白の家系につながっています」


紗良は息を止めた。


「では、雅継さまの……」


そこまで言って、口を閉じる。


けれど、雅臣は聞き逃さなかった。


「なぜ、あの方の名を知っているのですか」


「展示の説明で……」


「この文を書いた人物の名は、展示には出していません」


雅臣の声は静かだった。


けれど、答えを曖昧にすることを許さない響きがある。


紗良は展示ケースへ目を戻した。


「藤原さんは、この文をどこで見つけたのですか」


問いに答えず尋ね返した紗良を、雅臣はしばらく見つめていた。


それでも今は追及せず、文へ視線を移した。


「藤原家では、古い文書や美術品を代々管理してきました。私自身も、文化財や古い建物の保存修復を手がける会社を経営しています」


博物館の職員たちが、雅臣の言葉をすぐに書き留めていた理由が分かった。


雅臣は、ただこの文を見に来ていたのではない。


文の所有者であり、展示そのものを決められる立場にいたのだ。


「この文が見つかったのは、藤原家の古い蔵です。正確には、長い間、開けることを禁じられていた箱の中にありました」


「なぜ、開けてはいけなかったのですか」


「千年の後、宇治で人の目に触れさせよ、と記されていたからです」


紗良の胸が大きく鳴った。


「千年の後……」


「荒唐無稽な話です。いつから伝えられてきたのかも分からない。途中で箱の存在そのものが忘れられ、蔵の奥に置かれたままになっていました」


「では、どうして今」


「蔵に残された資料を整理させた時に見つけました。箱を調べ、記された時が来ていると分かったため、私が開けました」


雅臣は展示ケースへ近づいた。


「中にあったのは、この文と、もう一通の書きつけです」


「書きつけ?」


「関白より預かりし文を、時の彼方へ去った女へ届ける。そのため、千年の後、宇治で人の目に触れさせよ、と」


紗良の指先が震えた。


雅継が自分のために残した文。


その一行が、どうして千年後まで残り、あの日、紗良の目に触れたのかは知らなかった。


「誰が、その書きつけを」


「清景という陰陽師です」


「清景さまが……?」


雅臣の目が鋭くなる。


「あなたは、清景という人物まで知っているのですね」


紗良は答えられなかった。


雅臣の話によれば、紗良が千年後へ帰ったあと、雅継はこの文を書いた。


渡せるはずのない相手へ、たった一行の約束を残した。


そして清景へ託したのだ。


いつか紗良へ届くように。


清景は、雅継の無理な命を聞き流さなかった。


千年の間、開かれない箱へ文を収め、藤原家へ残した。


二人は紗良がいなくなったあとも、約束を果たそうとしてくれた。


「届きました」


紗良の目から涙がこぼれた。


「雅継さまの文は、私に届きました」


雅臣の表情が変わった。


「この文は、あなたに宛てられたものなのですか」


紗良は古びた一行を見つめた。


――来世にて、今一度、そなたを見つけよう。


「はい」


「なぜ、それが分かるのです」


「説明しても、信じていただけないと思います」


「信じるかどうかは、私が決めます」


紗良は思わず雅臣を見た。


その言い方まで、よく似ている。


「あなたが勝手に決めないでください」


雅臣がわずかに眉を動かした。


「初対面の方に、そこまで言われるとは思いませんでした」


「申し訳ありません」


「詫びてほしいわけではありません」


紗良の胸が苦しくなった。


雅継と話しているようだった。


けれど、目の前にいるのは雅臣だ。


同じ人だと決めつけてはいけない。


雅臣には雅臣の人生がある。


前世の記憶を押しつけることも、雅継の代わりにすることもできなかった。


「今日は、帰ります」


紗良は頭を下げ、その場を離れようとした。


雅臣が半歩前へ出る。


「まだ話は終わっていません」


「今は、うまくお話しできません」


「では、いつなら話せますか」


「分かりません」


「明日は?」


「来られるかどうかも」


「ならば、連絡先を」


「藤原さん」


紗良が困ったように名前を呼ぶと、雅臣は口を閉じた。


人へ命じることに慣れていても、紗良の気持ちまで動かすことはできないと気づいたらしい。


「すみません。少し、考えさせてください」


紗良が言うと、雅臣はしばらく黙っていた。


「分かりました」


ようやく道を空ける。


紗良はその横を通り過ぎた。


けれど数歩進んだところで、背後から声がした。


「また来ますか」


紗良は振り返らなかった。


「分かりません」


「私は来ます」


「お忙しいのではありませんか」


「時間は作ります」


迷いのない答えだった。


紗良は返事をせず、展示室を出た。


*


その日から、紗良は博物館へ行けなくなった。


雅臣に会うことが怖かった。


もし、あの人が雅継の生まれ変わりではなかったら。


雅継を失った寂しさから、似ているところだけを探しているのだとしたら。


反対に、本当に雅継だったとしても怖かった。


雅臣には、紗良との記憶がない。


千年前の愛を告げても、受け止めきれないかもしれない。


それでも、もう一度会いたいと思ってしまう。


紗良は宇治川のほとりに座り、流れる水を見つめた。


博物館へ行かない日も、ここへは来ていた。


川の音を聞いていると、雅継とつながっていられるような気がした。


あれから何日も過ぎた。


雅臣は今も、博物館へ来ているのだろうか。


時間を作ると言っていた。


けれど、来るかどうかも分からない女を、いつまでも待つはずはない。


「何を期待しているんだろう」


紗良は膝を抱えた。


自分から逃げておきながら、雅臣が探しに来ることを願っている。


雅継なら、きっと呆れるだろう。


――そなたは、分かりやすいのか分かりにくいのか、時折分からぬな。


「私にも分かりません」


川へ向かって答えた。


その時、背後で足音が止まった。


「ようやく見つけた」


低い声がした。


紗良の身体が動かなくなる。


振り返らなくても、誰なのか分かった。


けれど、すぐには顔を見ることができなかった。


「なぜ、ここが」


「博物館の者から、あなたがよく川のほとりにいると聞きました」


雅臣の声が少し近づいた。


「昨日も探しました」


「昨日も?」


「一昨日もです」


紗良はゆっくりと振り返った。


雅臣は少し離れたところに立っていた。


いつもの隙のない姿とは違い、呼吸がわずかに乱れている。


本当に、紗良を探して歩いていたらしい。


「お仕事は」


「今は、あなたを探す方が先です」


あまりにも迷いなく言うので、紗良は言葉を失った。


「どうして、そこまで」


「私にも分かりません」


雅臣は紗良を見つめた。


「あなたが博物館へ来なくなってから、何も手につかない」


「まだ、一度お話ししただけです」


「知っています」


「私のことを、何もご存じないでしょう」


「だから知りたい」


雅臣が一歩近づく。


「それでは、いけませんか」


紗良は首を横に振ることも、頷くこともできなかった。


雅臣は紗良の前まで来ると、川へ目を向けた。


「昔から、同じ夢を見ることがあります」


「夢?」


「満月の夜、この川に立っている夢です」


紗良の胸が大きく鳴った。


「私は、誰かの手を握っている。けれど最後には、自分からその手を離す」


雅臣は自分の右手を見つめた。


「顔は見えません。声も、ほとんど思い出せない。ただ、行かせてはならないと思っているのに、自分で行けと言う」


紗良の目に涙が滲んだ。


「その人が光の中へ消えると、いつも目が覚めます」


雅臣は苦しげに眉を寄せた。


「清景という陰陽師の書きつけを見つけた時、夢と関わりがあると思いました。だから、反対する者を押し切って、あの文を展示させた」


「反対されたのですか」


「誰に宛てたものかも、由来も明らかでない、たった一行の文ですから」


「それでも、展示を」


「私が決めました」


短い言葉だった。


けれど、反対した者たちをどう納得させたのかは、聞かなくても想像できた。


雅臣は雅継と同じように、自分が必要だと判断したことを、最後には実現させる人なのだ。


「あなたがあの文の前に立っているのを見た時、やっと届いたと思いました」


「雅臣さんにも、分かったのですか」


「何が届いたのかは、分かりませんでした」


雅臣が紗良を見る。


「ただ、あの文はあなたのために残されたものだと思った」


涙が頬を伝った。


雅臣の手が伸びる。


けれど、紗良へ触れる直前で止まった。


博物館で初めて話した時と同じだった。


紗良はその手を見つめた。


千年前、最後まで離れなかった手。


自分の記憶から、感触さえ消えかけていた。


紗良は自分から、その手を取った。


指が触れた瞬間、雅臣の身体がわずかに揺れた。


握られた手の温かさが、紗良の中に残っていた記憶と重なる。


雅継の顔。


声。


月の下で涙をこらえていた目。


忘れかけていたものが、一度に胸へ戻ってきた。


「雅継さま」


紗良の唇から、その名がこぼれた。


雅臣の指に力がこもる。


「それが、あの文を書いた男の名ですか」


「はい」


「あなたが待っている人?」


「はい」


雅臣の目に、痛みが浮かんだ。


「では、私はその男ではないのですか」


紗良は答えられなかった。


雅継と雅臣は、同じではない。


それでも、つないだ手が知っている。


この人を、ずっと探していた。


「分かりません」


紗良は正直に答えた。


「でも、あなたの手を知っています」


雅臣は紗良の手を見下ろした。


「私は、あなたの手を離した」


「私を生かすために、離してくださいました」


「それで、あなたを千年も待たせたのですか」


「いいえ」


紗良は泣きながら首を横に振った。


「あなたが、千年かけて会いに来てくださったのです」


雅臣は何かを思い出そうとするように、目を閉じた。


満月。


白い光。


指先から失われていく温かさ。


断片的な景色が、その表情を通り過ぎる。


やがて雅臣が目を開いた。


「遅くなりました」


紗良の涙が、また一つこぼれた。


「遅いです」


「どれほど?」


「千年です」


雅臣の眉がわずかに動いた。


「そなたが、千年も先へ行くからだ」


二人とも、動かなかった。


雅臣自身が、自分の口から出た言葉に驚いている。


現代の雅臣が使うはずのない言葉だった。


紗良の目から、涙があふれた。


「今、何と」


「分かりません」


雅臣は戸惑いながらも、紗良の手を離さなかった。


「なぜ、あのような言葉が出たのか」


「もう一度、言ってください」


「紗良」


呼ばれたのは、頼んだ言葉ではなかった。


けれど千年前と同じ響きだった。


雅臣の指が、紗良の指の間へ深く重なる。


「ようやく見つけた」


今度は、はっきりと自分の意志で告げた。


「あなたが誰を待っていたとしても、私はもう、あなたを見失いたくない」


「それでは、雅継さまが嫉妬します」


「過去の私にですか」


「ご自分だとお認めになるのですか」


「あなたをほかの男へ渡したくないと思うなら、同じでしょう」


紗良は涙の中で笑った。


そういうところまで変わっていない。


「人とは、なんと厄介なものか」


雅臣が呟いた。


紗良の笑みが止まった。


それは、千年前の雅継が最後の夜に思った言葉だった。


紗良が知るはずのない、雅継の心の声。


雅臣にも、その理由は分かっていない。


それでも、時を越えて残った何かが確かに二人を結んでいる。


「雅臣さん」


「はい」


「私のお話を、聞いていただけますか」


「すべて聞きます」


「とても長いですよ」


「千年よりは短いでしょう」


紗良は笑った。


今度は、泣きながらではなかった。


「私も、まだ調べなければならないことがあります」


雅臣が言った。


「藤原家の蔵には、整理を終えていない文書が残っています。この文と同じ箱の近くにあったものも、まだすべては読めていません」


「そこに、何が」


「分かりません。ですが、雅継という人が、あなたを送り出したあと、どのように生きたのか。その記録も残っているかもしれない」


紗良の胸が詰まった。


知りたい。


自分のいない時を、雅継がどのように生きたのか。


それを知ることが、怖くもあった。


「一緒に、探していただけますか」


雅臣が尋ねた。


紗良は頷いた。


「はい」


雅臣は、つないだ手を少し持ち上げた。


「今度は離しません」


紗良はその手を握り返す。


「はい」


宇治川は、千年前と同じ音を立てて流れている。


かつて別れた場所で、二人の手はもう一度つながった。


今度は、どちらも離さなかった。

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