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京都で見つけた千年前の恋文――それを書いたのは、これから私が恋をする関白さまでした  作者: EMo


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宇治の池


二の宮が紗良へ、御印の入った檜扇を贈った。


その知らせを受けても、雅継はすぐには言葉を発しなかった。


「宴で使うようにと、二の宮さまご自身が仰せになったそうでございます」


報告に来た男が、頭を伏せたまま続ける。


「扇面には紅葉と流水が描かれ、流れる水の中に、銀で縁取られた二枚の紅葉が重ねられていると」


「見間違いではないのだな」


「二の宮さまの御印を、見誤る者はおりますまい」


「そうか」


雅継は短く答えた。


――宴へ伴うだけでは足りず、御印まで持たせるか。


二の宮の意図は明らかだった。


誰の庇護を受ける女なのか。


誰がその女を自分のそばに置こうとしているのか。


言葉にせずとも、見る者には伝わる。


二の宮は、すべてを承知で紗良へ贈ったのだろう。


紗良は、檜扇に込められた意味をどこまで理解しているのか。


おそらく、すべては分かっていない。


見たことのない品を与えられ、困ったように返そうとする姿が目に浮かぶ。


それでも最後には、二の宮に押し切られるように受け取ったのだろう。


「すでに、女房たちの間では話が広がっております」


男の言葉に、雅継は目を上げた。


「何と申している」


「二の宮さまが、素性の分からぬ女を宴へお連れになると」


やはり、そうなる。


紗良が何者なのか、都の者には説明できない。


どこの家に生まれたのか。


父は誰なのか。


なぜ姫の局に現れ、病に倒れた者たちを救うことができたのか。


調べようとしても、何も出てこない。


千年後の世から来た者だと知らない者にとって、その事実は疑いを深めるだけだった。


「ほかには」


男がわずかにためらった。


「怪しき術を使う女ではないかと申す者もおります」


雅継の目が冷たくなる。


「誰が申した」


「それは、まだ」


「確かめよ。ただし、騒ぎにはするな」


「承知いたしました」


男が退出しようとした時、雅継は呼び止めた。


「待て」


男が再び頭を下げる。


「紗良は、素性の分からぬ女ではない」


雅継は静かに告げた。


「関白家が身元を預かる者だ。姫の病を退け、二の宮の命を支えた。その働きを認め、私が二の宮のもとへ遣わした」


男がわずかに顔を上げる。


「そのように申し広めてよろしいのでございますか」


「触れ回る必要はない。だが、紗良の出自を問う者がいれば、そう答えよ」


「承知いたしました」


「勝手に素性を探ることも、怪しき女と噂することも許さぬ。異を唱える者には、私へ直接申せと伝えよ」


雅継の声に、男は深く頭を下げた。


「かしこまりました」


男が退出したあと、雅継は庭へ目を向けた。


関白家が身元を預かる者。


それですべての疑いが消えるわけではない。


だが、関白である雅継が認めたと知れば、軽々しく紗良を探ろうとする者はいなくなる。


二の宮の御印は紗良を守る。


同時に、人々の目を紗良へ向けさせる。


ならば自分は、別の形で紗良を守らなければならない。


*


昼を過ぎた頃、清景が宇治から戻った。


衣の裾には土がつき、長く外を歩いてきたことが分かる。


清景は雅継の前へ座ると、懐から何枚もの紙を取り出した。


紙には月の動きと方角、それに川の流れが細かく書き込まれている。


「宇治の別邸を見てまいりました」


「池は、あの時のままか」


「はい。川から引いた水も、絶えてはおりません」


雅継は紙へ目を落とした。


宇治川沿いにある別邸は、雅継が人目を避けて過ごすために使う場所だった。


都の邸ほど広くはない。


庭の奥には、宇治川から水を引いた池がある。


紗良がこの時代へ現れたのは、その池のほとりだった。


夜明け前、別邸を守る者が、水際に倒れている見慣れぬ衣の女を見つけた。


身につけていたものも、話す言葉も奇妙だった。


姫の局へ紗良が連れてこられたのは、そのあとだ。


「池の底や周囲も調べましたが、怪しきものは見つかりませんでした」


清景は、月の動きを描いた紙を雅継の前へ広げた。


「ただ、紗良が現れた夜と、次の満月の夜では、月の位置が重なります」


「宴の夜か」


「はい」


秋の宴は、満月を愛でるために開かれる。


紗良が帰る道が開くとすれば、宴と同じ夜になる。


「どのようにして、池へ現れたのだ」


「それは、まだ分かりませぬ。ただ、紗良は水の中ではなく、池のほとりに倒れていたと聞いております」


「池が道そのものではないと?」


「池に映った月が、道を開くのかもしれません」


清景は紙の上に描かれた円を指した。


「紗良が現れた夜、月は池の正面にございました。次の満月にも、同じ場所へ月が映ります」


雅継は、宇治の池を思い浮かべた。


夜になると、周囲の木々も空も暗く沈み、池の水面だけが月の光を映す。


紗良は、その光の中から千年の時を越えてきたのだろうか。


「帰る道は、必ず開くのか」


「そこまでは申し上げられません」


清景は慎重に答えた。


「同じ場所に同じ月が映れば、何かが起こる可能性はございます。されど、道が開いたとしても、紗良にしか見えぬものかもしれませぬ」


「どの頃だ」


「月が最も高く昇る頃かと」


宴の最中になる。


雅継は黙って紙を見つめた。


紗良は、二の宮とともに宮中へ入る。


宴の間は、二の宮のすぐそばに座るはずだ。


しかも、その手には二の宮の御印が入った檜扇がある。


そこから紗良を連れ出せば、必ず人目につく。


二の宮も、黙って見送るとは思えない。


「宴の夜、そなたは先に宇治へ向かえ」


雅継が告げると、清景は頭を下げた。


「池と月の位置を確かめ、異変があれば知らせよ」


「承知いたしました」


「事情を知る者は増やすな。護衛も、口の堅い者だけを使う」


「二の宮さまには、どのように」


雅継はすぐには答えなかった。


紗良が帰るかもしれないことを、二の宮は知らない。


知らせれば、二の宮は紗良を宴へ連れてこないかもしれない。


だが、何も告げずに紗良を宇治へ連れ出せば、二の宮は必ず理由を求める。


「今は申すな」


「よろしいのでございますか」


「道が開くと決まったわけではない」


「されど、紗良には伝えなければなりません」


「宴の折に話す」


宴の前に伝えれば、紗良は二の宮へ隠し通せないだろう。


嘘をつくことも、何も知らない顔をすることも、あの女には難しい。


帰れるかもしれないと知ったまま二の宮とともに宴へ出れば、その様子だけで気づかれる。


だから、宴が始まってから呼び出す。


宇治へ向かう直前にすべてを話し、紗良自身に決めさせる。


「紗良を、お帰しになるのですか」


清景が尋ねた。


「帰るべきだと申した」


「それは、関白さまのお考えでございますか」


雅継は目を上げた。


「何が言いたい」


「紗良が元の世へ帰ることを、関白さまご自身が望んでおられるのかと」


雅継は答えなかった。


元の世には、紗良を待つ者がいる。


家族もいる。


見知らぬ時代に一人で残り、身元を明かすこともできずに生きるより、帰る方がよい。


だから、戻るがよいと告げた。


それは間違っていないはずだった。


「私が望むかどうかは関係ない」


「紗良にとっても、そうでしょうか」


清景の声は穏やかだった。


「道が開いたとしても、そこを通るかどうかは、紗良が決めになることでございます」


「分かっている」


雅継の返事に、清景はそれ以上何も言わなかった。


*


清景が退出したあと、雅継は一人で庭へ下りた。


秋の風が、衣の袖を揺らす。


宇治の池で道が開けば、紗良は元の世へ帰ることができる。


だが、帰らないと決めた場合には、この都で生きるための身分が必要になる。


関白家が身元を預かる者だというだけでは、いつまでも通らない。


どこの家の女として扱うのか。


なぜ二の宮のそばにいるのか。


いずれ、さらに多くの説明を求められる。


二の宮の御印を持つということは、紗良自身が思うよりも重い。


雅継は廊へ戻った。


控えていた男が、入れ替わるように姿を現す。


「関白さま」


「何だ」


「宴の折、紗良さまの出自を、公の場で問おうとしている者がいるようでございます」


雅継の表情が変わった。


「誰だ」


男が名を告げる。


右大臣に近い公卿の一人だった。


狙いは紗良ではない。


身元の分からない女を二の宮が宴へ伴うことを問題にし、二の宮の判断へ疑いを向けるつもりなのだろう。


同時に、その女が雅継の姫の局にいたことも追及できる。


二の宮と雅継の間に、わずかでも隔たりがあるように見せたいのだ。


「宴の場で問うつもりか」


「そのようでございます」


「好きにさせよ」


男が驚いたように顔を上げた。


「よろしいのでございますか」


「問わせればよい」


雅継は静かに告げた。


「紗良が答える前に、私が答える」


「関白さまが?」


「あれは、私が身元を預かる者だ。姫を救い、二の宮の命を支えた。その働きを認め、二の宮のもとへ遣わした」


雅継の声には、迷いがなかった。


「それでも異を唱える者がいるならば、私に申せと伝えよ」


「承知いたしました」


「紗良には知らせるな」


知れば紗良は、自分は宴へ出ないと言い出すだろう。


二の宮にも雅継にも迷惑をかけたくない。


そう言って、自分だけが身を引こうとする。


それでは困る。


宴の夜、紗良には必ず宮中へ来てもらわなければならない。


帰る道が開くかもしれないことを伝え、宇治の池へ連れていくために。


そして、その先を紗良自身に選ばせるために。


雅継は硯を引き寄せた。


墨を含ませた筆を紙の上で止める。


帰る道のことを文へ書くわけにはいかない。


長く記せば、二の宮の目に触れる可能性もある。


――宴の折、話がある。


それだけを書き、紙を折った。


「これを紗良へ」


控えていた従者へ文を渡す。


「必ず本人の手へ届けよ」


「承知いたしました」


従者が去ったあと、雅継は目を閉じた。


満月の夜。


紗良は二の宮の御印を持って、宴へ現れる。


その紗良を人々の問いから守り、宴の席から呼び出し、宇治の別邸へ伴う。


池に月が映った時、千年の時を越える道が開くかもしれない。


そこを通るかどうかは、紗良が決める。


そう思いながらも、雅継の胸には一つだけ、消すことのできない望みが残っていた。


宇治の池に何も起こらなければよい。


その思いを、雅継は誰にも明かすことができなかった。

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