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京都で見つけた千年前の恋文――それを書いたのは、これから私が恋をする関白さまでした  作者: EMo


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病人ではない時間


二の宮の邸へ来て、四日目の朝を迎えた。


三日分しか持ってこなかった衣は、橘が手配した女房によって洗われ、きれいに畳まれている。


姫の局へ戻るはずだった昨日、主上から滞在を延ばすようにとの命が届いた。


いつまでとは、書かれていなかった。


紗良は姫へ文を送り、しばらく戻れなくなったことを伝えた。


千代と小夜は心配しているだろう。


姫も、寂しく思っているかもしれない。


懐には、雅継から届いた短い文が入ったままだ。


――そなたの願いに従い、今日までは休む。


もう何日も前の文なのに、なぜ持ち歩いているのだろう。


紗良は紙に触れた指を離した。


「紗良さま」


几帳の向こうから、橘が声をかけた。


「宮さまがお目覚めにございます」


「すぐに参ります」


紗良は立ち上がった。



二の宮は、寝具の上へ身体を起こしていた。


部屋から香炉を遠ざけて三日が経つ。


火鉢も身体の近くには置かず、煙がこもらないよう気をつけている。


女房たちは最初こそ不安そうだったが、二の宮の咳が少し減ったことで、今では紗良の言葉を聞くようになっていた。


「昨夜は眠れましたか」


紗良が尋ねる。


「夜中に一度、咳で目を覚ました」


「そのあとは?」


「朝まで眠った」


「息苦しさはありましたか」


「少し。だが、以前ほどではない」


紗良は二の宮の顔色を見る。


初めて会った日よりもよい。


唇の色も悪くなく、話している間に息を継ぐことも減っている。


「お手に触れてもよろしいですか」


二の宮は黙って手首を差し出した。


紗良が指を当てる。


脈は落ち着いていた。


「今日は、何をする」


二の宮が尋ねた。


「何を、とは?」


「そなたは昨日、何をすれば苦しくなるのか、少しずつ確かめると申した」


「覚えていらしたのですね」


「私を何だと思っている」


「お話を聞いてくださらない方かと」


二の宮が眉を寄せた。


「ずいぶんな言いようだな」


「初日は、帰るようにおっしゃいましたから」


「帰らなかったではないか」


「主上から、三日間はこちらにいるよう命じられておりましたので」


二の宮は、呆れたように紗良を見る。


「兄上の命には、忠実なのだな」


「帝の仰せですから」


几帳の外で、橘が小さく息を呑むのが聞こえた。


二の宮はしばらく紗良を見ていたが、やがて庭へ目を向けた。


「外へ出たい」


紗良も、御簾の向こうへ目を向ける。


秋の空は晴れ、風も昨日ほど強くない。


「これまで、どのくらい歩いていましたか」


「今年の春に、あの廊の端まで」


二の宮が指した先は、寝殿から続く廊の先だった。


「その後は?」


「出ていない」


橘が几帳の外から口を挟んだ。


「その折にもお咳が止まらなくなりました。以来、宮さまにはお控えいただいております」


「今日は風も穏やかです。お身体も昨日より落ち着いています」


紗良が答えると、橘は不安そうに首を振った。


「もし、またお苦しくなられたら」


「苦しくなる前に戻ります」


「その時を、どう見極めるのですか」


「宮さまに教えていただきます」


紗良は二の宮を見る。


「少しでも胸が苦しい、息を吐きにくい、咳が出そうだと感じたら、すぐにおっしゃってください」


二の宮は黙って聞いている。


「我慢して歩き続けるのであれば、今日は出られません」


「私の邸で、そなたが決めるのか」


「宮さまが我慢なさっていることを、私には見抜けないからです」


「顔を見れば、何でも分かるのではないのか」


「分かりません。ですから、お話しいただきたいのです」


二の宮の表情から、わずかな苛立ちが消えた。


しばらく沈黙したあと、静かに尋ねる。


「苦しいと申せば、すぐに寝具へ戻されるのか」


「休んで、落ち着いたら、また次を考えます」


「二度と出るなとは?」


「申しません」


二の宮は庭へ目を向けた。


その横顔は、初めて会った時よりも幼く見えた。


「皆、私が一度咳をすれば、もう何もするなと申す」


橘が目を伏せる。


「宮さまのお身体を案じてのことでございます」


「分かっている」


二の宮の声は穏やかだった。


「分かっているから、何も申さなかった」


紗良には、その言葉の重さが分かるような気がした。


心配され、守られ、大切にされる。


それでも、何もさせてもらえない日々は、その人から自分で選ぶ力を少しずつ奪っていく。


「今日は、あの廊の端までにしましょう」


紗良が言った。


「その先は?」


「戻ってきた時のご様子を見てからです」


「今日で終わりではないのか」


「お身体の状態がよければ、また歩けます」


二の宮は、橘へ視線を向けた。


「衣を」


橘はまだ迷っていたが、やがて深く頭を下げた。


「承知いたしました」



二の宮が立ち上がろうとすると、すぐに二人の女房が左右から身体を支えた。


二の宮の顔に、不本意そうな色が浮かぶ。


紗良はその表情に気づいた。


「まずは、ご自分で立っていただいてはいかがでしょう」


「もし、お倒れになったら」


橘が言う。


「すぐそばで、皆さまと一緒に見ています」


二の宮が、女房たちを下がらせた。


片手を床につき、ゆっくりと腰を上げる。


途中で動きが止まった。


紗良は手を出さず、顔色と呼吸を見ていた。


やがて二の宮は、自分の力で立ち上がった。


「お加減はいかがですか」


「これだけで尋ねるのか」


「立ち上がることも、身体には負担ですから」


「何ともない」


「では、ゆっくり参りましょう」


二の宮が一歩を踏み出す。


裾を踏まないよう足元を確かめながら、もう一歩進む。


歩みは遅い。


けれど、誰の手も借りていなかった。


紗良は半歩後ろを歩いた。


橘と女房たちも、少し離れてついてくる。


御簾の外へ出ると、庭から秋の風が届いた。


紗良は、目の前に広がる景色に思わず足を止めた。


寝殿の前には、白い砂を敷き詰めた広い庭がある。


その向こうには大きな池があり、秋の空を静かに映していた。


池の中央には木々の生えた小さな島が浮かび、岸との間に赤い橋が架かっている。庭の端から流れてきた細い水が、石の間を通り、かすかな音を立てながら池へ注いでいた。


紗良には、庭の造りや、置かれた石や木の意味までは分からない。


それでも、長い年月をかけ、大切に手入れされてきた美しい庭であることは分かった。


赤や黄色に色づき始めた木々が池へ映り、白や薄紫の菊が風に揺れている。


庭というより、一つの風景が、そのまま邸の中に置かれているようだった。


これほど広く美しい場所が、寝殿のすぐ前にある。


それなのに二の宮にとっては、半年もの間、たどり着けない場所だった。


紗良が隣を見ると、二の宮も庭を見つめていた。


「冷たくありませんか」


「いや」


「息苦しさは?」


「まだない」


二の宮はそう答え、ゆっくりと歩き始めた。


廊を半ばまで進んだところで、二の宮の呼吸が少し速くなった。


紗良は歩みを止めた。


「少し休みましょう」


「まだ歩ける」


「歩けることと、今休むことは別です」


二の宮は不満そうに紗良を見たが、廊の柱へ背を預けた。


「そなたは、関白にもそのように申したのか」


突然名を出され、紗良は二の宮を見る。


「なぜ、関白さまが」


「そなたが世話をしたのであろう」


「はい」


「素直に休んだのか」


「一日だけ、延ばしてくださいました」


二の宮が小さく笑った。


「そなたの言葉でも、一日か」


「お忙しい方ですから」


それ以上、二の宮は雅継について尋ねなかった。


紗良も、何も付け加えなかった。


「呼吸は、いかがですか」


「少し速い。だが、苦しくはない」


「では、あと少しだけ進みましょう」


再び歩き始める。


やがて二の宮は、目指していた廊の端へたどり着いた。


庭が最もよく見える場所だった。


二の宮は柱のそばへ座り、紗良も少し離れて膝をつく。


「ここまで来たのは、春以来だ」


「半年ほどですか」


「ああ」


「お庭は、毎日ここにあったのに」


「私には、遠い場所だった」


二の宮は目を細め、秋の庭を眺めた。


誰も言葉を発しなかった。


風が木の葉を揺らし、乾いた音を立てる。


二の宮は病人としてではなく、ただ庭を眺める一人の男に見えた。



部屋へ戻る途中、二の宮の足が止まった。


呼吸が先ほどより速くなっている。


「苦しいですか」


「少しだけだ」


今度は、隠さずに答えた。


「では、ここで休みましょう」


二の宮は素直に柱へ身体を預けた。


紗良は少し離れたところへ膝をつき、呼吸の様子を見る。


「お話しくださって、ありがとうございます」


「そのように礼を言われることか」


「我慢せずに伝えていただかなければ、私には分かりませんから」


二の宮は何も答えなかった。


けれど、その表情に先ほどまでの不満はなかった。


呼吸が落ち着くのを待ち、再びゆっくりと歩き始める。


部屋へ戻ると、二の宮は寝具へ身体を預けた。


疲れは見えるが、呼吸は大きく乱れていない。


「今日は、ここまでにしましょう」


紗良が言う。


二の宮は庭の方へ目を向けた。


「明日は」


「今夜と明日の朝のお身体を見てからです」


「そうか」


それ以上、二の宮は求めなかった。


その時、橘が一通の文を運んできた。


「宮さま。主上より、来月の秋の宴について、再びお文が届いております」


二の宮の表情が、わずかに変わった。


「そこへ置いておけ」


「お返事は、いかがいたしましょう」


「今は要らぬ」


橘はそれ以上何も言わず、文箱の上へ文を置いた。


二の宮は、そちらを見ようともしなかった。


紗良も尋ねなかった。


来月、宮中で秋の宴がある。


先ほどまで庭を眺めていた二の宮は、病に伏す皇子ではなく、ただ秋の美しさを楽しむ一人の人に見えた。


けれど、宮中から届いた文を前にした途端、その横顔は再び遠いものになっていた。


寝殿の前の庭へ出るだけでも、半年かかった。


二の宮にとって宮中は、その庭よりもさらに遠い場所なのだろう。


庭から吹き込んだ風が、文箱の上に置かれた紙の端をかすかに揺らした。


それでも二の宮が手を伸ばすことはなく、主上からの文は、開かれないままそこに残った。

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