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京都で見つけた千年前の恋文――それを書いたのは、これから私が恋をする関白さまでした  作者: EMo


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しばし、そこにいよ


雅継が倒れてから、四日が過ぎた。


高かった熱は、ようやく下がり始めていた。


目を覚ましている時間も長くなり、煮立てて冷ました水を自分で飲めるようになった。


重湯から始めた食事も、今朝は柔らかく炊いた粥に変わっている。


「峠は越えられたものと存じます」


脈を診た医師が告げると、御簾の内側に控えていた女房たちの表情が緩んだ。


「されど、長く熱が続き、お身体は弱っておられます。今しばらくはお休みくださいませ」


雅継は黙って聞いていた。


返事をしないところを見ると、素直に従うつもりがあるのかは怪しい。


医師が退出したあと、女房が新しい水と粥を運んできた。


雅継は粥を数口食べたところで、匙を置いた。


「もう、よろしいのですか」


紗良が尋ねる。


「ああ」


紗良は膳を下げるよう女房へ頼み、水の器だけを枕元へ残した。


雅継が、その様子を見ている。


「何ですか」


「いや」


短く答え、雅継は庭へ目を向けた。


秋の光が、御簾を淡く透かしている。


乾いた風が入り込み、香炉から昇る煙を揺らした。


「起きる」


雅継が不意に告げた。


近くにいた女房たちが顔を見合わせる。


紗良はすぐに止めることはしなかった。


雅継は片手をつき、ゆっくりと上半身を起こす。


そこまでは問題なかった。


けれど、立ち上がろうと膝を動かしたところで、その顔からわずかに血の気が引いた。


動きが止まる。


紗良はすぐそばへ膝をついて、雅継の動きを見守った。


雅継はもう一度立とうとはしなかった。


「……思ったより、力が戻っておらぬ」


「四日も、ほとんど横になっておられましたから」


雅継は不本意そうに紗良を見た。


「止めぬのか」


「お止めしても、ご自分で確かめようとなさったでしょう」


雅継は否定しなかった。


「もう、お分かりになったようでしたので」


紗良が手を差し出す。


雅継はその手を見たあと、黙って取った。


女房にも支えてもらい、再び寝具へ身体を預ける。


それだけの動きで、雅継の呼吸は少し速くなっていた。


紗良は水の器を差し出した。


雅継は自分で受け取り、ゆっくりと口をつける。


飲み終えると、器を紗良へ返した。


「しばし、そこにいよ」


「はい」


紗良は器を置き、乱れた寝具を静かに整えた。



昼を過ぎた頃、雅継は文箱を運ばせた。


政務の文ではない。


宮中で父の身を案じている、姫への返事を書くためだった。


「文一通くらいは書ける」


誰に聞かれたわけでもないのに、雅継が言った。


紗良は何も答えず、硯を引き寄せた。


水を少し落とし、墨をゆっくりとすっていく。


墨の香りが、静かな室内に広がった。


一定の速さで動く紗良の手元を、雅継が見ている。


「手慣れているな」


「幼い頃から、長く習っていました」


始めた理由は、近所の書道教室でもらえる菓子が楽しみだったからだ。


その告白を関白へするのは、今ではない気がした。


「そなたの国でも、墨を使うのか」


紗良の手が、わずかに止まった。


雅継の言う「そなたの国」が、どこを指しているのかは分からない。


紗良は、この時代へ来る前のことをまだ雅継へ話していなかった。


「使う者は、少なくなっております」


嘘ではない。


「そうか」


雅継はそれ以上、尋ねなかった。


紗良が硯を差し出すと、雅継は筆を取った。


いつもなら迷いなく動くはずの手が、今日はかすかに震えている。


雅継は一度筆を置き、指を開いた。


しばらく休んでから、もう一度筆を取る。


白い紙の上に、ゆっくりと文字が連なっていった。


紗良には、すべてを読むことはできなかった。


けれど、最後に書かれた文字だけは分かった。


――身を大切にせよ。


藤原邸を出る朝、雅継が娘へ告げた言葉と同じだった。


雅継は書き終えた文を見つめ、再び筆を取った。


末尾に、短い言葉が添えられる。


――そなたの文、確かに読んだ。


雅継は筆を置いた。


「これを娘へ」


「承知しました」


紗良は文が乾くのを待ち、丁寧に畳んだ。


雅継が選んだ香を焚きしめると、寝殿に漂っていた香りが、ゆっくりと紙へ移っていった。



翌朝、紗良は宮中へ戻ることになった。


雅継の熱は、ほとんど下がっている。


食事も少しずつ取れるようになり、医師と藤原邸の者たちに任せられる状態になっていた。


紗良は雅継から預かった文を懐へ収め、寝殿へ挨拶に向かった。


雅継は寝具の上に起きていた。


まだ一人で歩けるほどには戻っていないが、顔色は数日前とは比べものにならない。


「これより、宮中へ戻ります」


紗良は静かに頭を下げた。


「ああ」


「姫さまへ、文をお届けします」


「頼む」


雅継は庭へ目を向けた。


紗良は次の言葉を待った。


「娘は、顔には出さぬ」


やがて雅継が口を開いた。


「はい」


「幼い頃から、つらい時ほど何もないように笑う」


紗良は、父の知らせを受けた姫が扇を落とした時のことを思い出した。


「よく見ていてくれ」


「承知しました」


紗良は深く頭を下げた。


「では、失礼いたします」


退出しようとした時だった。


「紗良」


名前を呼ばれ、振り返る。


雅継は、まっすぐにこちらを見ていた。


「世話になった」


紗良はもう一度頭を下げた。


「どうか、今しばらくお身体をお休めください」


雅継が、わずかに目を細める。


「考えておこう」


休むとは言わないらしい。


紗良は小さく笑い、寝殿をあとにした。



宮中へ戻ると、姫は紗良をすぐに御簾の内側へ呼んだ。


「父上は」


紗良の姿を確かめるより先に、声が届く。


「峠は越えられました。まだお休みは必要ですが、今朝はご自分で起きておられました」


御簾の向こうで、姫が息を吐くのが聞こえた。


紗良は雅継から預かった文を差し出した。


「関白さまからでございます」


姫は両手で文を受け取った。


焚きしめられた香が、局の中へほのかに広がる。


文を開き、一字ずつ確かめるように読む。


「父上が、ご自分で書かれたのね」


「はい」


「手は、震えていなかった?」


紗良は一瞬、答えに迷った。


「少しだけ」


姫が、かすかに笑った。


「それでも、お書きになったのね」


文を丁寧に畳み、膝の上へ静かに置く。


「紗良」


「はい」


「ありがとう」


紗良は黙って頭を下げた。


文から漂う香に、筆を持つ雅継の姿が浮かんだ。


秋の風が御簾を揺らす。


その香りは、しばらく局の中に残っていた。

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