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京都で見つけた千年前の恋文――それを書いたのは、これから私が恋をする関白さまでした  作者: EMo


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11/33

最高権力者から文が届きました

翌朝、萩は自分の部屋で目を覚ました。


七日ぶりに、夜が明けるまで眠ったという。


物の怪の文も届かなかった。


それを聞いた女房たちは安堵し、清景は「まだ終わったとは限らぬ」と相変わらず愛想のないことを言った。


けれど紗良が萩の部屋を訪ねると、彼女は寝床の上で一人、泣いていた。


「眠れなかった?」


紗良が尋ねると、萩は首を振った。


「眠れました。夢も見ずに」


「では、どこか苦しい?」


「いいえ」


萩の身体に、目立った異常はなさそうだった。


熱はない。


呼吸も落ち着いている。


脈も、昨日よりゆっくりしている。


それでも涙は、あとからあとから頬を伝っていた。


「妹の文を、もっと早く読めばよかったと思っております」


紗良は何も言わず、萩へ水を渡した。


「わたくしが返事をしていれば、妹は寂しいまま亡くならずに済んだかもしれません」


「そうかもしれないね」


萩が顔を上げる。


慰められると思っていたのかもしれない。


大丈夫。


妹は許している。


あなたのせいではない。


そう言えば、少しは楽になるだろうか。


だが、紗良には分からなかった。


返事が届いていれば、妹の心が救われたのか。


届かなくても、妹は姉を恨んでいなかったのか。


今となっては、確かめることができない。


「でも、返事をしなかった時の萩には、返事ができない理由があったんでしょう」


「寂しさと腹立ちなど、理由にはなりませぬ」


「立派な理由じゃなくても、その時の萩には、それが本当の気持ちだったんだと思う」


萩は水を一口飲んだ。


「この悲しみは、いつ消えるのでしょう」


「分からない」


紗良は答えた。


「消えないかもしれない」


萩の目から、また涙がこぼれた。


紗良は拭おうとしなかった。


泣いている人を見ると、何か言わなければならない気持ちになる。


早く泣き止ませることが、助けることのように思えてしまう。


けれど、悲しみにはその人の時間がある。


今は、泣くことが必要なのかもしれない。


紗良は萩のそばに座り、水の器を持ったまま待った。


しばらくすると、萩が小さく息を吐いた。


「紗良さまは、何もおっしゃらないのですね」


「何か言った方がいい?」


「いいえ」


萩は涙を拭い、僅かに笑った。


「今は、このままで」


「分かった」


それから二人は、言葉を交わさずに座っていた。


昼近くになり、紗良が姫の部屋へ戻ると、室内の様子がいつもと違っていた。


小夜と千代が、一通の文を前にして固まっている。


姫は御簾の内側で、楽しそうに笑っていた。


「何かあったんですか」


紗良が尋ねても、小夜は答えない。


代わりに千代が、おそるおそる文を差し出した。


「紗良さまへ、こちらが届いております」


「私に?」


「はい」


「誰から?」


千代の視線が泳ぐ。


小夜は文の上に置かれた細い枝を見つめたまま、深刻な顔をしている。


文には、見覚えのある香が焚きしめられていた。


甘すぎず、深く、静かな香り。


月の下で初めて出会った時、雅継の衣から感じた香り。


紗良は文を見下ろした。


「もしかして……」


「父上からです」


姫が答えた。


紗良は顔を上げた。


「雅継さまから、私に?」


「そのようでございます」


小夜の声は硬い。


「何て書いてあるの?」


「紗良さま。まずは御文をお受け取りになり、ご自分でお読みくださいませ」


「読めないのを知ってるでしょう」


昨日一日習ったところで、文字を読めるようにはなっていない。


紗良は文を受け取り、ゆっくり広げた。


流れるような文字が、紙の上に並んでいる。


雅継の筆跡だ。


先日見た命令の文より柔らかい。


けれど、やはり一文字も読めない。


「これは、『あ』?」


「一文字目から違います」


小夜が即答した。


「では、『の』」


「違います」


「まだ、その二つしか習ってないんだけど」


「『月』と書かれております」


「急に難しくなった」


姫が御簾の向こうで笑っている。


「お願い。読んで」


紗良が文を小夜へ差し出すと、小夜は両手で受け取り、姿勢を正した。


「月影を」


静かな声で読み始める。


「たどりて迷ふ」


そこで、小夜の目が紗良へ向いた。


「夜の道」


千代が俯き、口元を隠す。


「誰をしるべに」


姫の肩が揺れている。


「また歩くらむ」


読み終えた小夜は、文を丁寧に畳んだ。


紗良には、ほとんど意味が分からなかった。


「どういうこと?」


小夜は答えにくそうに黙っている。


姫が代わりに口を開いた。


「月明かりをたどりながら夜道に迷うそなたは、今度は誰を道案内にして歩いたのか、と」


「叱られてる?」


「そのようにも読めます」


「ほかには、どう読めるの?」


小夜と千代が顔を見合わせる。


「歌というものは、いくつもの意味を重ねるものでございます」


小夜が慎重に答えた。


「では、これは叱っているのか、いないのか、どっち?」


「わたくしどもには何とも」


「本人に直接聞いた方が早くない?」


「それでは、歌をお送りになった意味がございません」


面倒な文化だった。


昨夜、紗良が禁を破って東の倉へ行ったことは、すでに雅継の耳へ届いている。


当然といえば当然だ。


何人もの女房を連れ、陰陽師まで一緒に邸を歩いたのだから、隠せるはずがない。


「でも、一人で出歩くなと言われただけでしょう」


「雅継さまは、そのような意味で仰せになったのではございません」


「清景もいたし、小夜も千代も一緒だった。団体行動です」


「その言葉を、そのままお返しになるおつもりですか」


小夜の顔が青ざめる。


「そうしようかな」


「なりません」


「では、何て返せばいいの?」


「歌には歌でお返しするのがよろしいかと」


紗良は固まった。


「私が作るの?」


「紗良さまに届いた御文でございますので」


「無理」


「宮中へ上がられるのでしたら、歌を詠めなければなりません」


「まだ行くと決めてないから」


「今から学ばなければ、間に合いません」


また学ぶことが増えた。


文字。


作法。


言葉遣い。


そして、和歌。


看護師国家試験の勉強より、範囲が広いかもしれない。


「姫さま、何か考えてください」


紗良が助けを求めると、姫は首を振った。


「わたくしが作れば、父上にはすぐ分かります」


「少しくらい手伝ってくれても」


「紗良の言葉でなければ、父上もお喜びにならないでしょう」


「喜ばせる必要ある? 叱られてるんでしょう?」


姫は答えず、また楽しそうに笑った。


紗良は紙と筆を前に座った。


書道五段。


筆を持つことには自信がある。


だが、美しい文字で書けば、内容まで美しくなるわけではない。


「まず、言いたいことをお考えくださいませ」


小夜に促され、紗良は腕を組んだ。


「一人ではありませんでした。物の怪を追っていただけです。無事に戻りました。以上」


「それでは申し開きにございます」


「実際、申し開きをしてるの」


「歌になさってください」


「五、七、五、七、七だよね」


「ご存じなのですね」


「それくらいは知ってる」


紗良は指を折りながら考えた。


「もののけを」


「五文字にございます」


「追って夜道を」


小夜が首を振る。


「六文字です」


「『追ひて夜道を』なら?」


「七文字にございます」


紗良は紙へ書き留める。


「行きし身は」


「五文字にございます」


ここまでは順調だ。


「一人じゃないのに」


「口語にすぎます」


「意味は分かるでしょう」


「分かりますが、お歌にはなりません」


何度も書き直し、数え直す。


千代も途中から加わり、姫は御簾の内側から口を挟んだ。


半刻ほどかけて、ようやく一首ができあがった。


もののけを


追ひて夜道を


行きし身は


ひとりならねど


叱らるるかな


小夜が、完成した歌を見つめている。


「何?」


「これを、本当に雅継さまへお送りになるのでございますか」


「ちゃんと五、七、五、七、七でしょう?」


「数は合っております」


「では問題ない」


「数だけの問題ではございません」


姫が、とうとう声を上げて笑った。


「よいではありませんか。紗良らしい歌です」


「姫さままで……」


小夜はまだ不安そうだったが、姫の許しが出れば止められない。


紗良は新しい紙を用意してもらい、墨を磨った。


先ほどの下書きとは違い、一画ずつ丁寧に筆を運ぶ。


和歌の出来には自信がない。


それでも、文字だけは自分のものだった。


最後の一画を引き、筆を置く。


「いかがでしょう」


千代が感嘆の息を漏らす。


「本当にお美しい文字です」


「内容さえ読まなければ、完璧ね」


「そのようなことを、ご自分でおっしゃらないでくださいませ」


小夜は文を折り、使いの者へ渡した。


それが廊の向こうへ運ばれていく。


紗良は、その後ろ姿を何となく見送った。


「これで終わり?」


「はい」


「雅継さまが読んだかどうかは、分かるの?」


「御使いが、確かにお届けいたします」


「読んだあと、返事は?」


「お返しになるかどうかは、雅継さまがお決めになります」


つまり、何も分からない。


届いたのか。


読んだのか。


怒ったのか。


笑ったのか。


返事を書くのか。


すべて、相手次第だった。


「不便……」


紗良は呟いた。


「文とは、そのようなものでございます」


小夜は当然のように答える。


午後になっても、雅継から返事は届かなかった。


紗良は姫のそばで文字の手習いを続けた。


けれど、廊を誰かが通るたびに顔を上げる。


「紗良さま、こちらの文字をお読みください」


「今、誰か来なかった?」


「千代が水を取りに参っただけです」


「そう」


紗良は再び紙へ目を落とす。


少しすると、また足音が聞こえた。


顔を上げる。


今度は、衣を運ぶ女房だった。


「別に、待ってるわけじゃないけど」


誰にも聞かれていないのに、言い訳をした。


夕方になっても、何も届かなかった。


姫が休んだあと、紗良は自分の部屋へ戻った。


小夜が水を置き、灯りを整える。


「雅継さま、怒ったのかな」


「何とも申し上げられません」


「歌がひどすぎた?」


「何とも……」


小夜の返事に、僅かな間があった。


「今、ひどいと思ったでしょう」


「申し上げておりません」


「顔に出てる」


「暗くて、見えないはずでございます」


小夜は頭を下げ、部屋から出ていった。


紗良は一人になる。


返事がないだけだ。


そもそも、雅継はこの国で最も力を持つほどの男なのだという。


一女房の歌へ、いちいち返事をするほど暇ではない。


最初の文も、命令を破った紗良への注意にすぎない。


それなのに、胸の奥が落ち着かなかった。


月の下では、相手の顔を見て話せた。


今は、御簾よりも遠いところにいる。


言葉を送っても、届いたかどうかさえ分からない。


現代なら、既読の印がつく。


返事がなければ、忙しいのだろうか、それとも無視されたのだろうかと考える。


この時代では、既読さえない。


紗良は廊の方へ目を向けた。


誰も来ない。


「平安時代、既読機能くらいつけてよ……」


小さく呟いた声だけが、静かな部屋に残った。

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