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神様を探していた少女

空が、割れていた。

雲一つない青空に、黒い亀裂が走っている。


細い線は途中でいくつにも枝分かれし、ゆっくりと範囲を広げていた。


ピシッ――

乾いた音が頭上から響く。


亀裂の先端が、また少し伸びた

どれほど大きいのかは分からない。遥か上空にあるせいで距離感すら掴めなかった。


朝日に照らされた街並みは、普段と何も変わっていない、変わっているのは空だけだ。


「世界が……俺を探してる?」


「はい」


隣から返ってきた声は、驚くほど落ち着いていた。


俺は空から少女へ視線を移した。

腰まで伸びた白い髪が、路地を抜ける風に揺れている。


年齢は俺と同じくらいだろうか…

白いワンピースから伸びた手足は細く、肌も透き通るほど白い。


こんな薄暗い路地に立っているせいか、余計に目立つ。


少女が俺を見上げた

淡い青色の瞳

さっきまで流していた涙が、目尻にまだ少し残っている。


「神様を失った世界は、正常な状態を保てなくなっています」


「…………」


意味が分からない。


いや、今日起きたこと全部意味が分からない、

朝起きたら、スーツ姿のおっさんが空中を歩いていた。


六時十二分

また三秒間だけ世界が止まった。


昨日までなかった路地が現れて、知らない少女に手を握られた。

その瞬間、俺のものではない記憶が頭へ流れ込んできた。


最後には「神様」と呼ばれた

これだけでも十分おかしい。


そこへ空の亀裂まで加わった


「…………」


路地の出口へ目を向ける

数メートル先には、いつもの通学路が見えていた。


制服姿の学生が三人、横に並んで歩いている。

何か面白いことでもあったのか、一人が声を上げて笑った。


スーツ姿の男は腕時計を確認すると、駅へ向かって足を速める信号が青に変わり、止まっていた車が一斉に動き出した。


誰も空を見ない、頭上には、あんな亀裂があるのに。


「なあ」


「はい」


「あれ、他の奴には見えてないのか?」


俺は空を指さした、少女も顔を上げる。


「見えていない、という表現は少し違います」


「どういうこと?」


「目には映っています」


「……映ってる?」


「はい。ですが、異常だと認識できません」


俺は眉を寄せた


「余計分からん」


少女は少し考えてから、路地の外を指さした

ちょうど男子高校生が二人、こちらの前を通り過ぎるところだった。


「彼らの目にも、空の亀裂は映っているはずです」


「うん」


「ですが、脳が認識を拒んでいます。この世界に存在してはいけないものだからです」


「存在してはいけない……」


もう一度、空を見る

亀裂は消えていない

俺には、はっきりと見えている。


「じゃあ、なんで俺は見える?」


「レイ様だからです」


「…………」


少女は真顔だった。


「それで納得すると思う?」


「できませんか?」


「できるわけないだろ」


「そうですか……」


本当に不思議そうに首を傾げる

頭が痛くなってきた。

この少女と話していると、別の意味で疲れる。


「一回、整理しよう」


「はい」


「まず神様って何?」


「神様は、神様ですが」


「…………」


「何か?」


「いや、聞き方が悪かった」


俺は額を押さえた


「なんで俺を神様って呼ぶ?」


「レイ様が神様だからです」


「俺は人間だっ!」


思わず声が大きくなった。

路地の外を歩いていた女性がこちらを振り向く。


「あ……」


女性と目が合った

怪訝そうな顔をされたあと、何事もなかったように歩いていく。


俺は声を落とした


「……誰のせいだよ」


「申し訳ございません」


少女は素直に頭を下げた、怒る気が失せる。


「じゃあ質問を変える。俺の名前は?」


「天城レイ様です」


即答だった。


「名字まで知ってんのか」


「もちろんです」


「年齢」


「十七歳です」


「…………」


適当に誕生日を聞いてみる。


「十二月 六日」


正解。


通っている学校も聞いた。


「県立天立高校、 二年三組」


それも正解。


「怖っっ」


思わず一歩下がった、少女の眉が僅かに動く。


「なぜでしょう?」


「いや普通に怖いだろ。会ったこともない女が俺の個人情報全部知ってんだぞ」


「会ったことはあります」


「俺には記憶がない」


「……そうでした」


少女が目を伏せる。


「ずっと探しておりましたので、今のレイ様についても調べていました」


「ずっと?」


「はい」


引っかかった


「いつから?」


少女が黙る。


「何年くらい?」


「…………」


さっきまで即答していたのに今度は答えない


白い髪が頬にかかり、少女はそれを耳へ掛けた視線は俺から外れている。


「言えない?」


「いえ」


「じゃあ教えて」


「今は……まだ」


声が小さくなった。


「なんで?」


「…………」


返事はなかった。指先がワンピースの裾を掴んでいる、さっきまで真っ直ぐ俺を見ていた瞳も、今は足元へ向けられていた。


何か聞いてはいけないことだったのかもしれない。けれど、その理由までは分からない


「じゃあ、別の質問」


「はい」


「お前は誰?」


少女が顔を上げた

また黙った。


「それも言えない?」


「いえ……そうではありません」


「じゃあ何?」


少女は俺の顔をじっと見つめた

何かを待っている。

少なくとも、俺にはそう見えた。


数秒経っても何も起こらない。

やがて少女の唇が少しだけ緩んだ。


「少しだけ、期待していました」


「何を?」


「私の名前です」


「名前?」


「レイ様が呼んでくださるかもしれない、と」


「…………」


知らない名前をどうやって呼べというんだ

そう言おうとして、やめた。


少女の口元には笑みが残っている。

けれど、さっきまで俺を見ていた瞳は下を向いていた。


「やはり、何も覚えておられないのですね」


「……悪い」


気づいたときには謝っていた

少女が顔を上げる。


「どうして謝られるのですか?」


「分からん」


「…………」


「でも、なんか俺が悪い気がした」


自分でも意味が分からない、俺はこの少女を知らない、約束を破った覚えもない、名前を忘れた覚えだってない…


なのに、何も言わずにいるのが嫌だった

少女はしばらく俺を見ていた。


やがて、目元から力が抜ける。


「やはり、レイ様ですね」


「さっきも言ってたけど、それ何?」


「秘密です」


「おい」


少女が小さく笑った。


初めて、普通に笑った顔を見た気がした

なぜか少し安心する。


理由は分からない。


少女は一歩後ろへ下がった

ワンピースの裾を軽く摘み、片足を引く。


背筋を伸ばし、静かに頭を下げた。


「申し遅れました」


風が路地を抜けた

白い髪が肩から流れ落ちる。


「私の名は、シエル」


「シエル……」


「はい」


声に出してみた、知らない名前だ。


少なくとも、俺の記憶にはない。


なのに…口にした瞬間、妙な感覚が残った。


「…………」


もう一度、頭の中で繰り返す。


シエル、やっぱり知らない。


それでも、初めて口にした名前とは思えなかった。


「どうされました?」


「いや」


「?」


「なんでもない」


「そうですか」


考えても答えは出そうにない。


「シエルは、俺とどういう関係なんだ?」


今度はすぐに答えなかった。

路地の外から、信号機の電子音が聞こえてくる青になったらしい。


何人もの足音が重なり、また遠ざかっていく。


少しして、シエルが口を開いた。


「私は、あなたに仕えていた者です」


「…………」


仕えていた? 意味を考える。


「俺、そんな金持ちじゃないけど」


「お金?」


「いや、だって仕えてたんだろ? メイドとか?」


「めいど……?」


「違うっぽいな」


シエルが首を傾げている


「じゃあ、何してたの?」


シエルは空を見上げた

俺もつられて顔を上げる。


亀裂はまだ残っている

気のせいだろうか、最初に見たときより、枝分かれした線が増えていた。


「私は、レイ様と共に世界を見守っていました」


「世界を?」


「はい」


「俺と?」


「はい」


迷いのない返事。


「どういう意味?」


シエルの視線が俺へ戻る。


「レイ様は、かつてこの世界を管理しておられました」


遠くで車のクラクションが鳴った。


「人が生まれ、死ぬまでの流れ」


路地の入口を、一台の自転車が横切る。


「時間が正常に進んでいるか」


腕時計を確認していた会社員が、小走りで駅へ向かっていく。


「起こるべき出来事が、正しい順序で起きているか」


風が吹き、足元に落ちていた小さな紙くずが転がっていく。


「世界を形作る空間に、異常が生じていないか」


「……待って」


俺はシエルを止めた。


「はい?」


「今の、もう一回」


「どの部分でしょうか」


「生命とか、時間とか」


胸の奥がざわついている。

夢の中で聞いた声が、頭の中に蘇る。


生命循環――正常。


因果律――正常。


時間軸――


「シエル」


「はい」


「お前……俺の夢について何か知ってる?」


シエルの目が僅かに見開かれた。


「夢、ですか?」


「ああ」


俺は壁に背中を預けた。

冷たいコンクリートの感触が制服越しに伝わってくる。


「最近、同じ夢を見るんだ」


シエルは何も言わない。


「真っ暗な場所にいて、目の前に地球が浮かんでる」


夢の光景を思い出す。


音のない暗闇


青い星


地表に浮かぶ無数の光。


「女性の声が聞こえる」


シエルの指先が動いた。


「生命循環、正常」


さっきまで俺を見ていた目が止まる。


「因果律、正常」


「…………」


「時間軸――異常を検知」


シエルの顔から、さっきまでの柔らかさが消えた。


俺は空を見上げる

夢で見た亀裂

現実の空にも、同じものが刻まれている。


「最後に、地球が割れるんだ」


返事がない


「シエル?」


彼女は俺を見たまま動かなかった。

右手だけが、ワンピースの布を強く握っている。


「知ってるんだろ?」


「…………」


「俺が見てる夢が何なのか」


シエルの喉が小さく動いた。


「教えてくれ」


沈黙が続く

大通りから聞こえてくる車の走行音だけが、二人の間を埋めていた。


やがてシエルが息を吸う。


「その夢は――」


キィィィィィン――

鋭い音が路地を貫いた。


「っ……!」


耳の奥が痛む、俺は反射的に両耳を塞いだ。


何だ?


どこからっっ


「レイ様!」


シエルの声が飛ぶ

顔を上げる、彼女は俺ではなくその向こうを見ていた。さっきまでとは明らかに違う表情。


見開かれた瞳。


強く結ばれた唇。


俺はゆっくり振り返る

路地の奥で。


コンクリートの壁が、音もなく歪み始めていた。

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