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正夢

家を出てからも、朝の出来事が頭から離れなかった。


「俺がおかしくなったのか……?」


自分で言ってみる

可能性としては、それが一番高い気がする。


夢の見すぎ


寝不足


幻覚


それなら説明できる。

空から落ちたおっさんも幻覚だったことになるけど。


「……病院行った方がいいかもな」


そんなことを考えながら、いつもの通学路を歩く。


学生たちが俺を追い越していく


自転車に乗った高校生


駅へ急ぐ会社員


犬を散歩させている老人


いつもの朝


昨日と何も変わらない

そう思ったとき足が止まった。


「……ん?」


コンビニと古い薬局の間

そこに、細い路地があった。


「…………」


こんな道、あったか?

毎日通っている、昨日もここを歩いた

コンビニと薬局の間には、確か壁があった、

人が通れる隙間なんてなかったはずだ。


なのに今は…


建物と建物の間に、人一人がやっと通れるほどの細い路地が伸びている。


奥は薄暗い

朝なのに、光が届いていない


俺の横を学生が通り過ぎていく

誰も見ない。


誰も立ち止まらない

まるで――


そこに道なんて存在していないみたいに。


「…………」


行くな

頭のどこかで、そう思った。


なのに、身体は正直だった。


一歩、路地へ入る

空気が変わった。


さっきまで聞こえていた車の音が遠くなる


一歩


また一歩


なぜだろう、初めて来たはずなのに。


懐かしい


ずっと昔…本当にずっと昔に。


――ここを歩いたことがあるような――


「……?」


奥に誰かいる、少女だった。

白い髪、腰まで伸びた長い髪が朝の微かな風に揺れている。


真っ白なワンピース

俺と同じくらいの年齢だろうか

少女は俯いていた。


「……誰?」


俺の声に反応して

少女がゆっくり顔を上げた

目が合う。


「――――」


少女の瞳が大きく見開かれた。


唇が震える


一歩


少女がこちらへ歩く、


その瞳にはゆっくりと水が溜まっていた。


一滴…透明な涙が頬を伝う。


「……え?」


少女は泣いていた。


なのに……


笑っていた


まただ、昨日の母さんと同じ


人間は悲しいときに泣く

俺はそう理解していた。


なら、どうしてこの少女はこんなに嬉しそうに笑っている?


「なんで……」


少女の声が震えた。


一歩


また一歩


そして突然、俺に向かって走り出した。


「お、おい」


目の前で止まる

近くで見ると、やっぱり知らない顔だった。

会ったことなんてない。


それなのに少女は、何年も探し続けていた人間に再会したみたいに俺を見ている。


「やっと……」


「え?」


「やっと……見つけた……」


少女が俺の手を握った

冷たい指だった。


その瞬間――


「――っ!?」


頭の中で、何かが弾けた。


星


海


大地


生まれる命


滅びる文明


争う人々


泣く人間


愛し合う人間


死んでいく人間


また生まれる命


何百年


何千年


何万年


違う…


もっと、もっと長い


俺は…


ずっと


ずっと、この世界をっっ…


「ぐっ……!」


頭が割れるように痛い

膝から力が抜ける

倒れかけた俺を、少女が抱きとめた。


「はぁ……はぁ……なんだ……今の……」


知らない…


あんな記憶、俺にはない。

なのに、なぜだろう

知らないはずの景色が――懐かしかった。


「お前……」


息を整えながら、少女を見る。


「誰なんだ……?」


少女は答えなかった。

代わりに俺の身体を強く抱きしめた。


「……っ」


身体に触れる


少女の温度


僅かに震える肩


耳元から聞こえる小さな呼吸


抱きしめる


人間がよくする行為

俺には、その意味がよく分からない


なのに…胸の奥が痛かった。

葬式で爺ちゃんを見たときと似ている。


でも、少し違う。


もっと強くて。


もっと……


「お待ちしていました」


少女が囁いた。


「ずっと……」


声が震えている。


「ずっと、お待ちしていました」


俺の耳元で


「おかえりなさいませ」


一瞬だけ

世界から、音が消えた気がした。


「――神様」


「…………は?」


意味を理解できなかった


神様?


誰が?


俺が?


「何言って――」


そのとき

ピシッ――┈┈┈┈┈┈┈┈


何かが割れる音がした。


聞き覚えがある

ついさっき、夢の中で聞いた音

嫌な予感がした

ゆっくり顔を上げる。


「…………嘘だろ」


青空に亀裂が入っていた

細い一本の亀裂。

そこから枝分かれするように、少しずつ空へ広がっていく。


まるで、巨大なガラスの向こう側に、空が描かれているみたいに。


俺は路地の外を見る


人が歩いている


学生が笑っている


車が走っている


誰も空を見ない


誰も立ち止まらない


「おい……」


少女を見る、少女も空を見ていた。

その顔からさっきまでの笑顔が消えている。


「これ……見えてるよな?」


「……はい」


「なんなんだよ、これ」


少女は答えない。


「朝も世界が止まった。変な道もできてる。今度は空が割れてる」


自分で言いながら、背筋が冷たくなっていく。


「お前、何か知ってるんだろ?」


少女が俺を見る


「教えてくれ」


「…………」


「何が起きてる?」


少女はしばらく黙った後

悲しそうに目を伏せた。


「世界が――」


小さく呼吸を整える様に息を吸う


「あなたを、探しているんです」


「……俺を?」


「はい」


少女は空の亀裂を見上げた。


「神様を失った、この世界そのものが」


ピシッ――┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


また、空に新しい亀裂が走った

このときの俺は、まだ知らなかった。


あの夢が、夢ではなかったことも

世界がおかしくなった理由も

少女が俺を『神様』と呼んだ意味も。


そして、母さんが言った


『失いたくないって思えるくらい、大切な人』


その言葉の意味を。


俺が、嫌というほど思い知ることになることも。


これは、人間の心が分からなかった俺が

初めて誰かを愛し

初めて誰かを失うことを恐れ

そして最後に――


世界と、たった一人の人間を天秤にかけることになるなんて思っても居なかった。


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