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こびり付く言葉

人が死んだ。


だから、みんな泣いていた。


俺には、それがよく分からなかった。

線香の煙が、細い糸のように天井へ昇っていく。

鼻の奥に残る独特な匂い

部屋には黒い服を着た大人たちが並び、誰も大きな声を出そうとはしない。

聞こえてくるのは、時折漏れる小さなすすり泣きと、衣擦れの音くらいだった。

正面には、白い花に囲まれた一枚の写真が置かれてる

爺ちゃんだ。

写真の中の爺ちゃんは、目尻に皺を寄せながら笑っていた。

昔から写真を撮られるときは、いつもこの顔だった。


三日前

病院で会ったときも、爺ちゃんは笑っていた


『そんな顔すんな。まだ死なんわ』


そう言っていた


その二日後に死んだ

人間は、嘘をつく

爺ちゃんも最後に嘘をついた


「……レイ」


隣から小さな声がして、俺は顔を向けた

母さんだった

目元が赤く腫れている

朝から何度も泣いているからだろう

膝の上では、両手で握りしめられた白いハンカチが、くしゃくしゃになっていた。


「大丈夫?」


「何が?」


そう答えると、母さんの手が止まった


「…………」


数秒


母さんは何も言わずに俺を見ていた

その目が、ほんの少しだけ揺れた。


――まただ


どうやら俺は、返事を間違えたらしい


「……ううん。なんでもない」


母さんは無理に口元を緩めると、再び正面を向いた

その頬を、一筋の涙が伝っていく

俺も遺影へ視線を戻した

写真の中の爺ちゃんは、変わらず笑っている


――死んだ。

その事実は理解している


心臓が止まる


呼吸が止まる


脳が機能を失う


身体は動かなくなり、やがて焼かれて骨になる

そして、二度と戻ってこない

人間なら、いつか必ずそうなる

爺ちゃんだけじゃない

母さんも。ここにいる親戚たちも、俺も

全員いつか死ぬ

そんなことは、誰でも知っているはずだ。


なのに――。


「うぅ……親父……」


少し離れたところから、掠れた声が聞こえた

叔父さんだった

普段は大きな声で笑う人なのに、今日は背中を丸めている。両手で顔を覆い、その肩を小さく震わせていた。


その隣に座っている叔母さんが、何も言わずに背中をさすっている。


母さんも泣いている


叔父さんも泣いている


爺ちゃんの友人らしい老人も泣いている


誰かが鼻をすするたびに、別の場所からまた小さな泣き声が聞こえた

まるで、この部屋だけ雨が降っているみたいだった。

俺は自分の頬に触れてみる。


乾いている

涙は出ていなかった

悲しくない、、わけではないと思う

爺ちゃんとの記憶なら、たくさんある

ふと、一つの光景が頭に浮かんだ

小学生の頃だった。


――夏祭り


夜なのに蒸し暑くて、どこへ行っても人だらけだった

屋台から漂ってくる焼きそばの匂い

遠くから聞こえる太鼓の音

赤や黄色の提灯が並ぶ中、俺は一つのお面を見つめていた。


「レイ、もう行くよ」


母さんに手を引かれて、その場を離れた

欲しいとは言わなかった

母さんが買ってくれないことは分かっていたからだ

しばらく歩いたところで、後ろから服を引っ張られた

振り返ると、爺ちゃんが立っていた。


『レイ』


「なに?」


『どれだ?』


「何が?」


『欲しかったやつ』


爺ちゃんは母さんに聞こえないよう、小声で言った。


『爺ちゃんが買ったる』


「でも母さんに怒られるで」


『大丈夫や』


「なんで?」


爺ちゃんはニヤッと笑った


『バレなきゃ怒られん』


結局

十分後にはバレた。


「お父さん! また甘やかして!」


『ええやないか、祭りくらい!』


「そういう問題じゃないの!」


爺ちゃんが怒られている横で、俺は買ってもらったお面を顔につけていた

母さんに怒られているのに、爺ちゃんは俺を見て笑っていた。俺も、たぶん笑っていた。


――もう、あんなことは起きない――

そう思った瞬間 胸の奥が、きゅっと縮んだ


「…………」


少し痛い、身体の痛みとは違う 胸のもっと奥

手で触れられない場所に、小さな石でも詰まったような感覚。これを、人間は悲しいと呼ぶのだろうか。


分からない

ただ、涙は出なかった。


「なあ、母さん」


「……ん?」


「なんで、みんな泣いてるんだ?」

母さんがゆっくりこちらを向いた。


「お爺ちゃんが……亡くなったからでしょ?」


「それは分かってる」


「じゃあ……」


「人間って、いつか死ぬんだろ?」

母さんの眉が、わずかに動いた。


「俺も死ぬ、母さんも死ぬ、爺ちゃんだって、いつか死ぬってみんな知ってた」


「……レイ?」


「だったら――」


俺は正面を見る 写真の中で笑う爺ちゃん

その写真を見ながら、何十人もの人間が泣いている

本当に不思議だった。


「なんで人間って、誰かを大切にするんだ?」


母さんは答えなかった


「死んだら、こんなに苦しいんだろ?」


大切なものを失えば、苦しい、なら

最初から大切なものを作らなければいい

誰かを好きにならなければいい

失うものがなければ、失ったときに苦しむこともない


その方が合理的だ。


「最初から一人なら――」


母さんを見る


「こんなに泣かなくて済むのに」


母さんの目から、大粒の涙が一つ零れた

ぽたり、膝の上のハンカチに、小さな染みが広がった。


「……レイ」


母さんは俺の頭に手を伸ばした

もう高校生なのに

小さな子供にするみたいに、ゆっくりと髪を撫でる

手のひらが温かい。


「いつか、分かるよ」


「いつ?」


「あなたにも……」


母さんは少しだけ笑った。

涙を流したまま。


「失いたくないって思えるくらい、大切な人が出来たら」


「…………」


まただ

泣いているのに、笑っている

悲しいはずなのに、どこか優しい顔をしている

相反する感情が、一人の人間の中に同時に存在している俺には、それが理解できなかった。


やっぱり、よく分からない。


けれど


「失いたくないって思えるくらい、大切な人」


その言葉だけが

なぜか、いつまでも頭から離れなかった。

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