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【連載版】「一つくらい我儘を言え」と旦那様に言われたので、一晩考えて「温かいうちにご飯が食べたい」とお願いしました  作者: もしものべりすと


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7/7

王都から、招待状が届きました

その手紙が届いたのは、年の瀬も近い、雪の深い朝だった。


「奥様宛てです。ハートウェル伯爵家から」


執事が銀の盆に載せて差し出した封筒を見て、私の指は、一瞬だけ強張った。


実家からの手紙。

最後に届いたのは、母と妹が訪ねてくると知らせてきた、あの手紙だった。


けれど、封筒の宛名の字は、母のものではなかった。

大きさのそろわない、少し右に傾いた、子どもの字。


「……テオ?」


弟の字だった。


◇


『姉上へ


突然手紙を書いて、ごめんなさい。

母上には内緒で書いています。


姉上がいなくなってから、家の中がおかしいです。

母上は毎日、誰かに手紙を書いては、返事が来ないと怒っています。

セレナ姉上は、デビューの夜会から、ずっと部屋にこもっています。

父上は、何も言いません。いつもどおりです。


王都では、うちの悪い噂が流れているそうです。

姉上に冷めた残りものしか食べさせなかった、という噂です。


僕は、それを聞いて、初めて気づきました。


僕はずっと、姉上が後で食べるのを、当たり前だと思っていました。

姉上が僕の肉を切り分けてくれるのも、当たり前だと思っていました。

姉上は、いつも何を食べていたのですか。

僕は、一度も訊いたことがありませんでした。


ごめんなさい。


姉上は今、温かいご飯を食べていますか。


テオ』


手紙を読み終えて、私はしばらく動けなかった。


テオは、今年十二歳になる。

私が家を出たとき、まだ十一歳だった。

食卓で、いつも私が切り分けた肉を、おいしそうに頬張っていた弟。


あの子は、何も悪くない。

あの子は、ただ、そういう家に生まれただけだ。


それなのに、こんな手紙を書いてくれた。

母に隠れて、震えるような字で。


「……奥様」


アンナが、そっとハンカチを差し出してくれた。

私は、自分が泣いていることに、そのとき初めて気づいた。


◇


その日の午後、もう一通の手紙が届いた。


今度は、白い封筒に、金の封蝋。

押されていたのは、王家の紋章だった。


「王城の、新年の夜会への招待状だ」


旦那様が、封を切って、中の書状に目を通した。


「辺境伯夫妻あて。……それと、もう一枚ある」


旦那様は、二枚目の小さな紙を、私に手渡した。

上品な、流れるような字で、短く書かれていた。


『噂の奥様に、ぜひお会いしたいわ。

――エレオノール』


「……エレオノール様、というのは」

「王妃陛下だ」


私は、紙を取り落としそうになった。


王妃陛下が、私に会いたいと仰っている。

噂の奥様。

つまり、王都で流れているという、あの噂のことだ。


指先が、冷たくなっていくのが分かった。


王都の夜会。


私は、何度か出たことがある。

母と妹の付き添いとして。


煌びやかな広間で、妹が踊っている間、私は壁際に立っていた。

長いテーブルには、豪華な料理が並んでいた。

けれど、私が手をつけたことは一度もない。

妹のドレスの裾を直し、母の扇を持ち、帰りの馬車を手配するのが、私の役目だったから。


夜会が終わる頃、テーブルの上の料理は、全部冷めていた。


あの広間に、もう一度行く。

今度は、噂の主として。


「行きたくなければ、行かない」


旦那様の声で、私は顔を上げた。


「断る理由なら、いくらでもある。冬の国境を空けられない、と言えば済む話だ」

「でも、王妃陛下からの」

「構わない」


旦那様は、書状を机の上に置いた。


「行かないのも、我儘でいい」


私は、旦那様の顔を見た。

いつもと同じ、表情の少ない顔だった。

でも、その目は、私を急かしてはいなかった。


行かないのも、我儘でいい。


そう言ってもらえたのは、生まれて初めてだった。

実家では、行きたくないなんて、一度も言えなかった。

言ってはいけないことだと思っていた。


だからこそ、だろうか。


私は、自分で決めたいと思った。


◇


その夜、私は帳面を開いた。


九行目に、ペンを置く。

今度は、迷わなかった。


翌朝。


旦那様は、帳面を開いて、眉を寄せた。


「二つ書いてある」

「……今日だけ、特別です」


旦那様は、もう一度、帳面に目を落とした。


『九つ目 王都の夜会で、レオンハルト様と一緒に、温かいものを食べたい』

『十番目 テオに、会いたい』


長いこと、旦那様は黙っていた。

それから、帳面を閉じて、私を見た。


「いいのか。あの広間は、君にとっていい場所ではないだろう」

「はい。だから、行きたいのです」


声が震えないように、私は膝の上で両手を握りしめた。


「冷めた料理しかなかった場所で、温かいものを食べてみたいのです。……レオンハルト様と、一緒に」


旦那様は、少しだけ目を見開いた。

それから、ゆっくりと目を細めた。


「……分かった」


旦那様は、執事を振り返った。


「王城に返事を出せ。辺境伯夫妻は、喜んで出席する、と」

「かしこまりました」

「それと、ガストンを呼べ」


厨房の扉が、呼ぶ前に開いた。

料理長が、白い帽子を握りしめて立っていた。

やっぱり、聞いていたらしい。


「旦那様。王城の料理は、たぶん全部冷めてますぜ」

「分かっている」

「ですから、俺も行きます」


料理長は、胸を張った。


「奥様の皿だけは、意地でも温かくしてみせます」


旦那様は、額を押さえて溜め息をついた。

私は、思わず笑ってしまった。


◇


出発の前の晩、旦那様が私の部屋を訪ねてきた。


珍しいことだった。

旦那様は、いつも書斎か食堂でしか私と話さない。


「一つ、言っておくことがある」


旦那様は、扉の前に立ったまま言った。

暖炉の明かりで、表情がよく見えなかった。


「王都には、君に会わせたい人がいる」

「会わせたい、人……ですか」

「ああ」


旦那様は、少しだけ言葉を探すように、黙った。


「それと、君に話さなければならないことも、ある」


それは、もしかして。

どうして私だったのか、という、あの答えだろうか。


訊こうとして口を開いたとき、旦那様はもう、背を向けていた。


「おやすみ、クラリス」

「……おやすみなさい、レオンハルト様」


扉が閉まった。


私は、寝台に腰を下ろして、胸の前で帳面を抱きしめた。


窓の外では、また雪が降り始めていた。

柔らかくて、軽くて、綺麗な雪だった。


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