王都から、招待状が届きました
その手紙が届いたのは、年の瀬も近い、雪の深い朝だった。
「奥様宛てです。ハートウェル伯爵家から」
執事が銀の盆に載せて差し出した封筒を見て、私の指は、一瞬だけ強張った。
実家からの手紙。
最後に届いたのは、母と妹が訪ねてくると知らせてきた、あの手紙だった。
けれど、封筒の宛名の字は、母のものではなかった。
大きさのそろわない、少し右に傾いた、子どもの字。
「……テオ?」
弟の字だった。
◇
『姉上へ
突然手紙を書いて、ごめんなさい。
母上には内緒で書いています。
姉上がいなくなってから、家の中がおかしいです。
母上は毎日、誰かに手紙を書いては、返事が来ないと怒っています。
セレナ姉上は、デビューの夜会から、ずっと部屋にこもっています。
父上は、何も言いません。いつもどおりです。
王都では、うちの悪い噂が流れているそうです。
姉上に冷めた残りものしか食べさせなかった、という噂です。
僕は、それを聞いて、初めて気づきました。
僕はずっと、姉上が後で食べるのを、当たり前だと思っていました。
姉上が僕の肉を切り分けてくれるのも、当たり前だと思っていました。
姉上は、いつも何を食べていたのですか。
僕は、一度も訊いたことがありませんでした。
ごめんなさい。
姉上は今、温かいご飯を食べていますか。
テオ』
手紙を読み終えて、私はしばらく動けなかった。
テオは、今年十二歳になる。
私が家を出たとき、まだ十一歳だった。
食卓で、いつも私が切り分けた肉を、おいしそうに頬張っていた弟。
あの子は、何も悪くない。
あの子は、ただ、そういう家に生まれただけだ。
それなのに、こんな手紙を書いてくれた。
母に隠れて、震えるような字で。
「……奥様」
アンナが、そっとハンカチを差し出してくれた。
私は、自分が泣いていることに、そのとき初めて気づいた。
◇
その日の午後、もう一通の手紙が届いた。
今度は、白い封筒に、金の封蝋。
押されていたのは、王家の紋章だった。
「王城の、新年の夜会への招待状だ」
旦那様が、封を切って、中の書状に目を通した。
「辺境伯夫妻あて。……それと、もう一枚ある」
旦那様は、二枚目の小さな紙を、私に手渡した。
上品な、流れるような字で、短く書かれていた。
『噂の奥様に、ぜひお会いしたいわ。
――エレオノール』
「……エレオノール様、というのは」
「王妃陛下だ」
私は、紙を取り落としそうになった。
王妃陛下が、私に会いたいと仰っている。
噂の奥様。
つまり、王都で流れているという、あの噂のことだ。
指先が、冷たくなっていくのが分かった。
王都の夜会。
私は、何度か出たことがある。
母と妹の付き添いとして。
煌びやかな広間で、妹が踊っている間、私は壁際に立っていた。
長いテーブルには、豪華な料理が並んでいた。
けれど、私が手をつけたことは一度もない。
妹のドレスの裾を直し、母の扇を持ち、帰りの馬車を手配するのが、私の役目だったから。
夜会が終わる頃、テーブルの上の料理は、全部冷めていた。
あの広間に、もう一度行く。
今度は、噂の主として。
「行きたくなければ、行かない」
旦那様の声で、私は顔を上げた。
「断る理由なら、いくらでもある。冬の国境を空けられない、と言えば済む話だ」
「でも、王妃陛下からの」
「構わない」
旦那様は、書状を机の上に置いた。
「行かないのも、我儘でいい」
私は、旦那様の顔を見た。
いつもと同じ、表情の少ない顔だった。
でも、その目は、私を急かしてはいなかった。
行かないのも、我儘でいい。
そう言ってもらえたのは、生まれて初めてだった。
実家では、行きたくないなんて、一度も言えなかった。
言ってはいけないことだと思っていた。
だからこそ、だろうか。
私は、自分で決めたいと思った。
◇
その夜、私は帳面を開いた。
九行目に、ペンを置く。
今度は、迷わなかった。
翌朝。
旦那様は、帳面を開いて、眉を寄せた。
「二つ書いてある」
「……今日だけ、特別です」
旦那様は、もう一度、帳面に目を落とした。
『九つ目 王都の夜会で、レオンハルト様と一緒に、温かいものを食べたい』
『十番目 テオに、会いたい』
長いこと、旦那様は黙っていた。
それから、帳面を閉じて、私を見た。
「いいのか。あの広間は、君にとっていい場所ではないだろう」
「はい。だから、行きたいのです」
声が震えないように、私は膝の上で両手を握りしめた。
「冷めた料理しかなかった場所で、温かいものを食べてみたいのです。……レオンハルト様と、一緒に」
旦那様は、少しだけ目を見開いた。
それから、ゆっくりと目を細めた。
「……分かった」
旦那様は、執事を振り返った。
「王城に返事を出せ。辺境伯夫妻は、喜んで出席する、と」
「かしこまりました」
「それと、ガストンを呼べ」
厨房の扉が、呼ぶ前に開いた。
料理長が、白い帽子を握りしめて立っていた。
やっぱり、聞いていたらしい。
「旦那様。王城の料理は、たぶん全部冷めてますぜ」
「分かっている」
「ですから、俺も行きます」
料理長は、胸を張った。
「奥様の皿だけは、意地でも温かくしてみせます」
旦那様は、額を押さえて溜め息をついた。
私は、思わず笑ってしまった。
◇
出発の前の晩、旦那様が私の部屋を訪ねてきた。
珍しいことだった。
旦那様は、いつも書斎か食堂でしか私と話さない。
「一つ、言っておくことがある」
旦那様は、扉の前に立ったまま言った。
暖炉の明かりで、表情がよく見えなかった。
「王都には、君に会わせたい人がいる」
「会わせたい、人……ですか」
「ああ」
旦那様は、少しだけ言葉を探すように、黙った。
「それと、君に話さなければならないことも、ある」
それは、もしかして。
どうして私だったのか、という、あの答えだろうか。
訊こうとして口を開いたとき、旦那様はもう、背を向けていた。
「おやすみ、クラリス」
「……おやすみなさい、レオンハルト様」
扉が閉まった。
私は、寝台に腰を下ろして、胸の前で帳面を抱きしめた。
窓の外では、また雪が降り始めていた。
柔らかくて、軽くて、綺麗な雪だった。




