断罪
決戦の後、私は王太子エドヴァルドと共に、ヴェスターラントの王都へと戻った。
国を救った援軍の指揮官として、そして――一連の騒動の中心にいた人物として、私の名は、今や王都中に知れ渡っていた。
そして、その凱旋の陰で、静かに、けれど確実に、二人の人間の運命が、決していった。
*
フェリクス・ローデンヴァルト。
彼の伯爵家は、資産の大半を失い、事業は完全に破綻した。名義を取り戻された特許も、資金網も、もはや彼の手には何も残っていなかった。屋敷は差し押さえられ、負債だけが、彼にのしかかった。
叙爵からわずか半年ほどで、フェリクスは、伯爵位を返上せざるを得なくなった。三段飛ばしの異例の出世は、同じ速さで、崩れ落ちたのだ。
*
※フェリクスの視点
伯爵位を返上したその夜、行商人時代とさして変わらない粗末な部屋で、フェリクスは一枚の号外を握りしめていた。
『辺境伯令嬢イレーネ・フォン・アイゼンヴァルト、王太子エドヴァルド殿下とご婚約』
紙面に躍る、麗々《れいれい》しい活字。何度読み返しても、意味が、頭に染み込んでこなかった。
辺境伯令嬢。……あの、地味な女が?
分かっている。分かっていながら、認めたくなかった。あの、粗末な首飾りひとつで姿を変えていた女こそが、隣国の武門の名家の娘であり、いずれ王太子妃となる女なのだと。
――俺は、いったい、何を捨てたんだ。
オデットとの縁談を選んだあの日、確かにこう考えていた。後ろ盾のない女から、侯爵家の娘へ。これは、間違いなく格上への婚姻だと。誰に誇ってもいい、立派な出世だと。
だが今なら分かる。逆だった。まるきり、逆だったのだ。
辺境伯家は、侯爵家に匹敵する――いや、それ以上の家格。しかも彼女は、聖医として王太子の命を救い、社交界を席巻する化粧品ブランドの生みの親でもあった。三つの正体、そのどれもが、オデットの家名など足元にも及ばない重みを持っていた。
自分は、まぐれのように、生涯に一度あるかないかの大魚を、この手の中に握っていたのだ。それを――自分から、手放した。「身の程を弁えろ」などと、恥知らずな台詞まで吐いて。
逃した魚は、大きかった。あまりにも、大きすぎた。
悔いても、悔いても、悔やみきれるものではなかった。もし、あのままイレーネの手を離さずにいたなら。もし、あの日、家格などではなく、彼女自身を選んでいたなら。今頃、自分は、王太子の義理の兄になっていたかもしれない。伯爵どころではない、この国の頂近くに、手が届く場所に立っていたかもしれない。
その「もし」を数えるたび、握りしめた号外が、指の中で、くしゃくしゃに歪んでいった。
オデットを選んだのは、家格のためだった。それなのに、その家格を笠に着ていた女は、今ではもう、自分の隣にすらいない。手にしたのは、何もかもを失った後の、この狭い部屋と、返しきれない借財と――そして、生涯消えることのない、この後悔だけだった。
*
オデット・ヴァイセンベルク。
彼女は、社交界から完全に姿を消した。実家の侯爵家も、醜聞を嫌って彼女を遠ざけ、後ろ盾を失った彼女に、居場所はどこにもなかった。かつて、家格を笠に着て人を見下していた女は、その家格そのものに、見放されたのだ。
*
そして――フェリクスの実家、ローデンヴァルト男爵家も、この没落に、深く巻き込まれていった。
「役立たず」と嘲って追い出した息子が、名を挙げた途端に掌を返し、すり寄ってきた一族。侯爵家との縁談を裏で後押しし、婚約破棄をけしかけた父。次男を聖職から呼び戻し、「息子はやはり見込みがあった」と吹聴していた矢先の、この破綻。
彼らは、息子の栄光にだけ乗っかろうとして、その没落の泥をも、まともに浴びることになった。世間は、この一族の掌返しの顛末を、失笑と共に語り継いだ。
中でも、あの男爵夫人。治療師の仕事を「下賤」と嘲り、女が働くことを「はしたない」と全否定した女は――その「下賤な仕事」の女が、実は息子の命の恩人であり、隣国の名門令嬢であったという事実を突きつけられ、二度と、社交界で顔を上げられなくなった。
*
すべてが決した後、私は、遠くなった彼らのことを、静かに思った。
憎しみは、もう、なかった。
ただ、三年尽くした果てに投げつけられた、あの言葉を、そのまま、彼らに返すだけだった。
「――身の程を、弁えなさいませ」
その言葉を口にする私の声には、勝ち誇る響きも、恨みの色も、なかった。
ただ、静かな、終止符だけがあった。




