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伯爵に成り上がった婚約者に「用済みだ」と切り捨てられましたが、彼の功績も財産も健康も、支えていたのはわたくしでした  作者: 鷹居鈴野


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世界戦前夜

 私の読みは、すぐに裏付けられた。


 辺境伯へんきょうはく家の諜報網と、ヴェスターラント、そして周辺国から集まった情報を突き合わせると、恐るべき全貌が浮かび上がってきた。


 ザイデルン帝国は、ヴェスターラント一国だけを狙っていたのではなかった。周辺のいくつもの小国に対し、同時多発的に、同じ手口の工作を仕掛けていたのだ。賊軍による国境の攪乱。内政への揺さぶり。経済網への打撃。ある国では穀倉が焼かれ、ある国では隊商が根こそぎ襲われ、交易路そのものが死んでいた。


 それぞれの国は、自国の問題だと思い込み、個別に対処しようとしていた。ザイデルンの狙いは、まさにそこにあった。各国がばらばらに消耗し、疲弊しきったところで、一気に呑み込む――それが、帝国の描いた絵図だった。


 急遽召集された使者たちの顔には、一様に、隠しきれない疲労と警戒の色が浮かんでいた。長旅の埃を払う間もなく、地図を囲む彼らの間に、重い沈黙が満ちる。


「――このままでは、各個撃破されますわ」


 私は、ヴェスターラントの王太子エドヴァルド、そして各国の使者たちの前で、はっきりと告げた。


「ザイデルンの狙いは、私たちを分断することです。ならば、私たちが取るべき道は、ひとつしかございません」


「……連携、ということか」


 エドヴァルドが、私を見た。


「はい。グレンヴァルト、ヴェスターラント、そして脅威に晒されているすべての国が、ひとつの同盟を結ぶ。分断されないことこそが、この工作への、最大の反撃となります」


 各国の使者たちが、顔を見合わせた。長年、互いに小さな諍いを抱えてきた国々だ。すぐに手を取り合えるほど、単純な話ではない。国境の一里塚を巡って何度も剣を交えてきたはずの二国の使者同士が、今は同じ卓についている。その事実だけで、広間の空気は張り詰めていた。


 けれど――共通の敵の存在が、明らかになった今。


「アイゼンヴァルト家は、この同盟を全力で支持する」


 私の背後で、辺境伯家を代表する使者が、力強く宣言した。父から託された言葉だった。


 その一言が、口火を切った。ひとつ、またひとつと、各国の使者が、同盟への賛意を示していく。長年の宿敵同士だったはずの二国の使者が、無言のまま、互いに手を差し出した。躊躇いは、一瞬だけだった。


 急ごしらえの、けれど確かな軍事同盟が、この夜、産声を上げた。


 この同盟が、どれほどの犠牲によって試されることになるかを、この場にいた誰ひとり、まだ知らない。


 *


 同じ頃、もうひとつの報告が、辺境伯家の元に届いていた。


 国境の抜け道――正規の関所を通さず、荷を行き来させる裏道が、ここ数年、ひそかに使われ続けていたという。父の命で内偵を進めていた諜報員が、その元締めの名を突き止めたのは、つい先日のことだった。


「――グラウフェルト伯爵家、ですって?」


 報告書に記された名前に、私は思わず、手を止めた。


 忘れるはずもない。三年前、あの夜会で私に薬を盛り、庭園に引きずり込もうとした男。アルブレヒト・フォン・グラウフェルト。当代の伯爵として、既に家督を継いでいたとは、知らなかった。


「密輸の中身は、主に宝飾品と禁制の薬種。関所の役人数名に、長年賄賂を渡し続けていたようです。……本人に、ザイデルンと通じている自覚があったかは、定かではありません。ですが」


 諜報員は、報告書の一枚を、私の前に差し出した。


「その抜け道こそが、灰色の商人の密偵たちが、幾度となく利用していた通り道と、完全に一致いたします」


 私は、報告書を、静かに閉じた。


 彼は、帝国の手先ではなかった。ただ、自分の欲得のために、国境に穴を開け続けていただけだ。けれどその穴が、結果として、帝国の工作員たちを、易々と招き入れる裏口になっていた。――知らなかった、では済まされない。


「……父上に、お伝えくださいまし。この件、私からも、直々に申し上げたいことがございますと」


 三年前、あの夜の真実は、揉み消された。「令嬢が令息をたぶらかした」という、ねじ曲げられた話だけが、社交界に残った。


 だが今度は、違う。私は、もう、身分を隠して怯える小娘ではない。援軍を率いる辺境伯家の娘として、正式な証言者として、あの夜の真実を語ることができる。


 *


 グラウフェルト伯爵の断罪は、あっけないほど、速やかに行われた。


 国境の密輸という、動かしようのない証拠。それに加えて、私が三年越しに語った、あの夜会での顛末。かつては揉み消された訴えが、今度は、辺境伯令嬢にして援軍の指揮官の証言として、正式に取り上げられた。


「――あの夜、私が令息をたぶらかしたのではございません。彼が、私に薬を盛り、手籠めにしようとしましたのよ。……ようやく、正式に申し上げられますこと、光栄に存じますわ」


 審問の場で、私は、三年前には誰ひとり聞こうとしなかった言葉を、静かに、けれどはっきりと述べた。


 アルブレヒトは、青ざめたまま、何ひとつ反論できなかった。密輸の証拠の前では、三年前の醜聞を再び揉み消す手立ても、もはや残されていなかった。


 ヴェスターラントで彼が引き起こした、もうひとつの醜聞――薬を盛られたオデット嬢の一件も、この場で合わせて裁かれることとなった。同じ手口を、性懲りもなく繰り返していた証だった。


 グラウフェルト伯爵家は、爵位を剥奪され、領地は王家に接収された。かつて「近づくな、目障りだ」と言い放った男は、今度こそ、自分自身がこの国にとっての、目障りな存在として除かれることになった。


 *


 だが、ザイデルンも、黙って見てはいなかった。


 同盟の成立を察知した「灰色の商人」は、最後の切り札を切ってきた。それは、これまでの賊軍とは比較にならない規模の――帝国が秘匿してきた、工作員を主体とする別動隊だった。同盟が形になる前に、その中核であるヴェスターラント国境を、一気に叩き潰そうという、捨て身の一手。


「――敵の本隊が、国境へ向かっています!」


 伝令の叫びが、夜の砦に響き渡った。


 剣を取る音が、あちこちで鳴り始める。


 決戦の刻が、すぐそこまで、迫っていた。

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