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伯爵に成り上がった婚約者に「用済みだ」と切り捨てられましたが、彼の功績も財産も健康も、支えていたのはわたくしでした  作者: 鷹居鈴野


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財産回収

 その日の夕刻、王都から早馬が届いた。私が、あの夜のうちに手配しておいた、法律家からの正式な報告書だった。


 私は、それを広間の一同の前で、静かに開いた。


「フェリクス様。……いえ、ローデンヴァルト伯爵はくしゃく。ひとつ、お知らせしておくことがございます」


 フェリクスの顔が、警戒に強張った。


「あなたの事業を支えていた資金網、そして治水事業の特許――そのすべての名義を、本日付で、本来の持ち主に戻す手続きが、完了いたしました」


「……本来の、持ち主?」


「わたくし、イレーネ・フォン・アイゼンヴァルトですわ」


 彼の顔が、蒼白になった。


「治水の設計を描いたのも、資金を出したのも、王宮への口利きの伝手を作ったのも――すべて、わたくしです。あなたの名義になっていただけで、実体は、最初から私のものでした。その証拠となる原本は、三年前から、法律家の元に預けてございます」


「そんな……待ってくれ、それでは、事業が、屋敷が……!」


 フェリクスは、青ざめ、胸を押さえた。持病の発作が、この動揺で顔を出したのだろう。彼は、苦しげに息をついた。


 *


 私は、その様子を、静かに見つめた。


「……胸が、お苦しいのですか」


「な……なぜ、それを」


「婚約中、毎朝お淹れしていたお茶。あれは、あなたの持病を抑える薬でしたのよ」


 フェリクスの目が、大きく見開かれた。


「あなたには、生まれつき、心の臓の弱りがございました。放っておけば、いずれ命に関わる病。……私は、それを毎朝の一杯で、抑え込んでいたのです。あなた自身にも気づかれないように」


「……嘘、だ」


「嘘ではございません。婚約破棄の後、あなたの体調が悪化したのは、その薬が届かなくなったからですわ。……知らなかったでしょう?」


 フェリクスは、言葉を失っていた。


 毎朝の、少し苦い茶。「体にいい」とだけ言われて、深く考えもせずに飲んでいた一杯。それが、自分の命を繋いでいたなど――彼は、想像すらしていなかったのだ。


 *


 私は、さらに続けた。


「近頃、あなたの領地で、魔獣が増えたそうですわね」


 フェリクスの肩が、びくりと震えた。


「あれも、私と、実家からひそかに借り受けた辺境伯へんきょうはく家の騎士たちが、夜のうちに片づけていたものですの。あなたが『近頃、魔獣が少ない』と喜んでいた、その裏で。……討伐した魔獣の素材は、無駄にはいたしませんでした。薬にも、化粧品にもなりましたのよ」


 私は、一同を見渡した。


「あなたの領地の平穏も。あなたの事業の収益も。あなたの健康も。……全部、根っこは同じところにございました。わたくしという、たったひとつの根から」


 広間が、水を打ったように静まり返った。


 *


 そして、その言葉を聞いていた男爵だんしゃく夫人――フェリクスの母が、よろめいて、立ち尽くした。


 かつて、私を「下賤げせんな仕事」と嘲った女。「殿方の体に触れる、はしたない真似」と見下した女。


 その「下賤な仕事」の手が、実は、息子の命そのものを握っていたと――今、彼女は、思い知らされていた。


「そんな……そんなこと……」


 男爵夫人の声は、震えていた。


 私は、彼女に向かって、静かに一礼した。


「ご忠告、痛み入りましたわ。治療師の仕事は、下賤なのだそうですわね。……その下賤な手が、あなたのご子息を、何度お救いしたことか」


 男爵夫人は、青ざめたまま、一言も返せなかった。

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