聖医の記憶
「殿下。お加減は、いかがでしょうか」
私は、王太子エドヴァルドに向かって、静かに問いかけた。
その瞬間、彼の目が、大きく見開かれた。
「……その言い方」
彼の声が、微かに震えた。
「その、確かめるような言い方を、俺は覚えている。三年前、闇の中で俺の額に触れながら、同じ言葉を言った人がいた。名も告げず、朝が来る前に去った――聖医と呼ばれた人が」
私は、何も言わなかった。ただ、静かに彼を見つめ返していた。
「あの夜、俺は死を覚悟していた。医師団が匙を投げた病だった。それなのに、灯りひとつ持たずに現れたあなたは、迷いのない手つきで俺の額に触れて、こう言ったんだ。『お加減は、いかがでしょうか』と。……その声を、ずっと覚えていた。あれから三年、俺はあの声の主を、王国中の医術師を洗って、探し続けた」
エドヴァルドは、一歩、私に近づいた。
「まさか、と思っていた。だが、確信した。あなたが――」
「はい」
私は、もう隠す理由を持たなかった。
「あの夜、殿下を治療したのは、私です」
広間が、静まり返った。
*
辺境伯令嬢。聖医。
その二つの正体が、同じ女に重なった瞬間、ざわめきが、波紋のように広間の隅々まで広がっていった。
「あの地味な女が……」
「三年前、フェリクス卿の陰に隠れていた、あの……」
そんな囁きが、驚愕の色を帯びて、幾重にも重なり合った。
そして――ざわめきの中から、思いがけない声が上がった。
「――あの声だ。間違いない」
声の主は、王太子の随行者のひとり、宮廷大使だった。彼は、目を見開いて私を見つめていた。
「三年前、私の持病を癒してくれた治療師。名も顔も明かさず、ただ静かに去った……あの手つきを、私は忘れたことがない」
「私もだ」
別の声が続いた。財務卿だった。
「長年の不眠に苦しんでいた私を、一夜で救ってくれた治療師。あれも、あなただったのか」
次々と、声が上がった。かつて私が、名も告げずに救ってきた要人たち。彼らが、口々に、恩義を語り始めたのだ。
広間の空気が、一変した。
「平民上がりの、地味な治療師」として見られていた私が、今や――辺境伯令嬢であり、王太子の命の恩人であり、そして、この国の要人たちが密かに恩義を抱く聖医だったと、明らかになったのだ。
*
その光景を、フェリクスは、蒼白な顔で見つめていた。
彼が「婚約者としての務め」と切り捨てた女。「平民風情」と嗤った女。その正体が、次々と明かされていく。彼の頭の中で、これまで信じてきた世界が、音を立てて崩れていくのが、傍目にも分かった。
「そんな……嘘だ……」
彼の呟きは、誰の耳にも届かなかった。
広間の視線は、もはや彼になど、向いていなかった。




