王太子、参陣
賊軍の初戦を退けたという報せは、瞬く間に王都へと伝わった。
その数日後、王太子エドヴァルド自らが、後詰めの兵を率いて、国境の砦へと姿を現した。国の危機に、王太子が直々に前線へ出るのは、異例のことだった。それだけ、この事態を重く見ているということでもあった。
そして――王太子の一行には、ローデンヴァルト伯爵と、その婚約者オデットの姿もあった。国境に近い所領を持つ縁で、戦況見舞いという名目で同行していたのだ。
私は、その日、辺境伯令嬢としての正装で、彼らを出迎えることになった。
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もう、『霞の首飾り』を身につける理由は、どこにもなかった。
誰かに素性を怪しまれる心配も、誰かに顔を狙われる不安も、ここにはない。私は、素顔のまま――辺境伯令嬢としての、本来の姿で、この場に立っていた。
自ら手がけた化粧品、レーヌ・ブランシュ。地味に抑える必要のないその顔を、繊細な紅と香油が、いっそう引き立てている。辺境伯家の紋章を刺繍した、深い青のドレス。銀の髪飾り。
出迎えの列の中央に立った私を見て、砦に居合わせた者たちが、一様に、目を見張った。
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馬車から降り立ったフェリクスは、私の姿を見た瞬間、雷に打たれたように、その場に立ち尽くした。
彼が三年間、隣で見てきた「イレーネ」は、地味で、素朴で、目立たない女だった。それが今、目の前にいるのは――光り輝くほどに美しい、辺境伯令嬢。
三年間、彼が見つめてきたのは、魔道具越しの、偽りの姿でしかなかった。今、ようやくそれに気づいたのだろう、その顔から、みるみる血の気が引いていった。
「君は……その顔は……」
声が、掠れていた。
「あら、フェリクス様。お久しぶりですわね。……私の顔に、何かついているかしら?」
私は、あえて、こともなげに、そう笑いかけた。
「地味に、素朴に見せる魔道具を、身につけていただけですのよ。……こちらが、わたくしの、本来の姿ですわ」
――「君は、そのままでいい。着飾ったところで……」
あの言葉を、幾度となく口にしていたのは、他ならぬフェリクス自身だった。地味なほうが身の丈に合っている。物静かで、出しゃばらない女のほうが、扱いやすい。そう思って、私を押し込めていたのは、彼だった。
今さら、その顔を見て、何を思うというのだろう。
*
フェリクスの視線が、私から、隣に立つオデットへと、ふらりと移った。
その目に、戸惑いの色が浮かぶのを、私は見逃さなかった。
どれほど高価なドレスも、どれほど贅を凝らした宝飾も、彼の目に映るオデットの装いは、心なしか、急に色褪せて見えているようだった。それが、なぜなのか、彼自身にも、分かっていない様子だった。
フェリクスの顔に、後悔とも、恐怖ともつかない色が、ゆっくりと広がっていった。
「……俺は」
彼の唇が、震えながら動いた。
「知らぬ間に……最初から、比べさせられていたのか」
その呟きは、あまりに遅すぎた。
「――イレーネ嬢」
その時、澄んだ声が、私を呼んだ。
振り向くと、王太子エドヴァルドが、まっすぐにこちらを見つめていた。
「イレーネ嬢……? 君が、あのイレーネ嬢なのか?」
戸惑いを隠せない様子で、彼は、私の顔をまじまじと見つめた。
「話に聞いていた人物像と、あまりに違う。……もっと、地味な女性だと聞いていたが」
「姿を偽る魔道具を、身につけておりましたの。理由あって」
私は、静かに答えた。
エドヴァルドは、なおも訝しげな表情を崩さなかったが、それ以上は追及せず、小さく頷いた。




