灰色の商人
剣の稽古と並行して、私は辺境伯家の諜報網の仕事にも、少しずつ関わるようになっていた。
国境警備の記録を整理するのは、地味だが重要な仕事だ。商隊の出入り、荷の中身、通行証の発行記録――そういった膨大な書類が積み上がった一室で、私は日々、紙の匂いと埃っぽい空気の中に埋もれていた。時折、その中に、不自然な影が紛れ込んでいる。
「お嬢様、これを見ていただけますか」
諜報方の老臣が、一枚の記録を差し出してきた。父の代から仕えるこの老人は、口数は少ないが、書類の綻びを見つける目にかけては、家中の誰も敵わない。
「ここ数ヶ月、国境を頻繁に行き来している商隊があるのですが……取り扱う品目の割に、護衛の数が妙に多いのです」
私は、書類に目を通した。毛織物と塩を扱う、ごく普通の商会。だが確かに、記された護衛の人数は、その規模の商いには不釣り合いだった。荷馬車一台に、屈強な男が十人近く。塩と毛織物を守るには、あまりに厳重すぎる。
「商会の名は?」
「グラウ商会、と」
「グラウ……」
聞き覚えのない名だった。だが、書類の隅に押された紋章――翼を広げた鷲の意匠に、なぜか胸の奥が、微かにざわめいた。
どこかで、この意匠を目にしたことがある。記憶の底、まだ形にならない何かが、爪を立てるように引っかかった。けれど、どれだけ手繰っても、具体的な場面は浮かんでこない。
「この紋章、どこかで」
「お心当たりが?」
「……いいえ、気のせいかもしれないわ」
そう答えながらも、私はその紋章を、記憶の奥に留めておいた。何か、引っかかるものがある。
*
数日後、ヴェスターラント方面から届いた別の報告書にも、同じ紋章を見つけた。
「――これも、同じ鷲の紋章ですね」
「ヴェスターラント国境の検問記録にも、この商会の荷が頻繁に出入りしているとのことです」
二つの国、二つの記録に、同じ商会の影。単なる偶然にしては、出来過ぎている。
「調べてちょうだい。この商会の出資元、実際の取引内容、そして――背後に、何がいるのか」
「畏まりました」
老臣は一礼して下がっていった。
窓の外、夕暮れの国境の稜線を眺めながら、私はもう一度、あの紋章を思い浮かべた。翼を広げた鷲。どこかの卓に、どこかの荷馬車に、確かに刻まれていたはずの印。
「この紋章、前にも見たことがある気がする」
どこで見たのか、まだ思い出せない。三年という歳月は、記憶の輪郭をも曖昧にする。けれどその胸騒ぎは、日を追うごとに、確信めいたものに変わりつつあった。




