グレタの手紙
ヴェスターラントに戻ったグレタからは、十日に一度ほどの頻度で、手紙が届いた。
届くたび、封蝋の細工にまず目をやるのが習い性になっていた。歪みひとつない押印。何も異常はない、という無言の合図だ。差出人の名は、いつも他愛のない知人のものに変えてある。
表向きは、他愛のない近況報告に見える文面。けれど行間には、いくつもの暗号が織り込まれている。祖国を発つ前、二人で決めた符丁だった。
『――お元気にお過ごしでしょうか。こちらは変わらず、薬草の仕入れも順調です』
薬草の仕入れが順調、というのは、聖医の診療網が滞りなく機能しているという意味だった。夜な夜な、名も告げぬ治療師として、要人たちの元を訪れる仕事を、グレタは私の代わりに一部引き継いでくれている。もっとも、彼女自身の腕も相当なもので、患者たちの信頼は着実に積み上がっているようだった。手紙の端々に滲む簡潔な報告からも、その手際の良さが窺えた。
『それから、例の化粧品の新作、思いのほか評判がよろしいようで』
レーヌ・ブランシュ――薬学の知識から派生させた、私自身のブランド。討伐した魔獣の素材を原料にした、独自の香油と紅。オーナーの正体は、誰にも明かしていない。
『王都の貴婦人がたの間で、ちょっとした取り合いになっているとか。品薄で、次の入荷を待つ列ができているそうですよ』
手紙を握りしめたまま、瞼の裏に、あの夜のことが蘇った。
まだヴェスターラントに渡って間もない頃。討伐で得た魔獣の体液を無駄にしないようにと、薬草と混ぜ合わせては、失敗を重ねていた夜のことだ。艶を出そうとして粘つきすぎたもの、香りをつけようとして刺激が強すぎたもの――失敗の小瓶が、机の上にいくつも並んでいた。
「お嬢様、それ、また失敗ですの?」
「ええ……。でも、あと少しな気がするの」
薬学の知識に、討伐で得た素材の性質を重ね合わせる。何度目かの調合で、ようやく、肌に乗せた瞬間にすっと馴染み、頬にほのかな艶を残す一滴が生まれた。試しに自分の手の甲に乗せてみると、荒れていた肌が、驚くほど滑らかになっていた。
「――これだわ」
小瓶を光にかざしながら、私は呟いた。誰に見せるためでもない、自分自身のための研究だった。それが、いつか誰かの目に留まり、これほどの評判を呼ぶことになるとは、あの夜の私は、まだ知らなかった。
*
その一文に、思わず頬が緩んだ。
あの日、地味な色を勧められ、押し込められてきた自分の感性が、今では誰も気づかないまま、社交界を席巻している。かつて夜会で誰にも見向きもされなかった地味な令嬢の目が選んだ色を、あの令嬢たちが競って求めている――皮肉なものだと思いながらも、どこか痛快でもあった。
『それと、少々おかしな話もございまして。……ローデンヴァルト伯爵様から、オーナー様宛てにと、ずいぶん熱心なお手紙が届きましたのよ。一度、お目にかかりたい、と』
『それに、来る夜会には、ぜひオーナー様もご一緒に――そうご丁寧に、書き添えてございました』
ようするに、名も知らぬ資産家との縁を、良家との繋がりを得るための踏み台にでも使うつもりなのだろう。隠す気配すらない下心が透けて見えて、ちゃんちゃらおかしかった。
その一文には、思わず、笑いが漏れた。皮肉にも、程がある。名も知らぬ「オーナー」に宛てて、熱烈な文を送りつけてくる彼は――それが、自分が切り捨てた女の、もうひとつの顔だとは、露ほども思っていないのだろう。
「――良い報せですか、お嬢様」
傍らで書類を整理していた侍女が、微笑ましそうに尋ねてきた。手紙を読む私の口元が、思いのほか緩んでいたらしい。
「ええ。……古い友人からの、他愛のない便りよ」
私は、その手紙を丁寧に折りたたみ、鍵のかかる引き出しにしまった。もう十数通と重なった、同じ筆跡の便り。開けるたび、ヴェスターラントの喧騒が、遠く、けれど確かに、この手のひらに届く気がした。
王都で、私の作った品が、誰にも知られないまま、飛ぶように売れている。名も、顔も伏せたまま、私の作ったものだけが、あの街を歩き続けている。
その事実だけが、今の私にとって、静かな支えだった。




