098:紗理奈の父へのカミングアウト
◇2041年6月@東京 <東山紗理奈>
小川家でしゃぶしゃぶを御馳走になった日の翌日、つまり金曜日の夜に、東山紗理奈は、佐伯家の夕食へ招待された。と言っても、相変わらず叔父は忙しいらしく、女四人での会食だ。
案内は姫香からのメールに依るもので、そこには『ママが「手土産は無くて良いから」って言ってた。それより、いっぱい話したいから、できれば早めに来て欲しいんだって』とあった。それで紗理奈は、学校から帰ると、直ぐに家政婦の松川愛子に「佐伯家に行くから、夕食は要らない」と言い残して家を出た。当然、制服のままだ。
人目の無い所で『ムシ』になって、佐伯家のマンションに突入。玄関の前に立ってベルを押した。
紗理奈は、『今日も夢香が抱き付いて来るかも』と思って身構えていたら、叔母の桃香に「いらっしゃい、紗理奈ちゃん」と言われて、少し拍子抜けした。リビングに通されてみると、姫香しかいない。まだ夢香は部屋で宿題と格闘中で、終わらないと部屋から出してもらえないらしい。
「あの、ちょっと、早く着き過ぎちゃいました?」
「いやいや、そんな事はないわよ。それより、紗理奈ちゃんから、ちゃんと『ムシ』の事を聞いておこうと思って、今日は呼んだのよ」
「えーと、姫香ちゃんと夢香ちゃんから聞いたんでしょうか?」
「娘達からも聞いてはいたんだけど、実は昼間、榊原綾さんに会ってね。色々と話したのよ」
「そうだったんですね。ごめんなさい。そろそろ、お話をしなきゃとは思っていたんですけど……」
それで紗理奈は、姫香のタブレット端末を借りて、すっかり慣れてしまった説明を始める。
そして、「茶髪の子の保護者会」の目的も、実は「ムシ」の子達のサポートがメインである事を話しながら、最近になって菅野彩佳が作った専用ウェブサイトの「カミングアウト済」のフラグにチェックを入れた。こうする事で、同サイト上の閲覧可能なコンテンツが大幅に増えるのだ。
「これで、叔母さんも正式会員ですので、全ての情報が閲覧可能になりました……。あ、でも、情報漏洩には注意して下さいね」
「それは当然なんだけど……、あら、小川さんの所の真花ちゃん、本当に『ムシ』なのねえ」
「はい。真花の翅は真っ白で、綺麗な翅ですよ」
それから、榊原澪が「カラクサ」である事や、「シジミ」の吉岡苺の紹介をしたりした後、一瞬だけ紗理奈も「ムシ」になって見せる。
叔母の桃香は驚かなかった。
「でも、やっぱり、お姉様には知られない方が良いわね」
「ですよね……。と言っても、今の状態よりも悪くなるとは思えないんですけど……」
「そうかしら……。お父様の方は、もう救いようがないのかもしれないけど、お姉様は違うって気がするんだけど……。まあでも、今すぐじゃないわね。それより、お義兄様の方よ。どうせ、まだ話してないんでしょう?」
「実は、そうなんです」
「そろそろ話してあげないと可哀そうよ。それに、私みたいに紗理奈ちゃん以外の人から聞いたりしたら、お義兄様、拗ねちゃうんじゃないの?」
「そうですね。次に会った時には、思い切って話してみる事にします」
★★★
父の孝太郎にカミングアウトすると決めた翌朝、勢い込んで紗理奈がダイニングに行ってみたら、既に彼の姿は無かった。
拍子抜けした紗理奈がテーブルに着いて少しすると、珍しく母の若菜が入って来た。紗理奈が母と会うのは、こないだ頬を打たれた時以来だ。
その母は、相変わらず紗理奈を、親の仇を見るような目で睨み付けてくる。
「あんたって、最近、桃香と仲が良いみたいじゃないの」
母が叔母の事を口にしたのに、紗理奈は少し意外な気がした。
「あの、仲良くしては駄目なんでしょうか?」
「そうねえ。あんたと桃香の娘達とは、お似合いかもしれないわねえ」
「それは、同じ金髪だからって事ですか?」
「そうかもね」
更に母の若菜は、嫌らしい笑みを浮かべながら言った。
「いっそ、あんたも桃香の娘になっちゃえば良いのに」
そこで若菜と一緒に付いて来た家政婦の岡田が、「奥様、今日の朝食も和食でご用意しておりますが、宜しいでしょうか?」と尋ねた。
すると若菜は「要らないわ」と答えてから、「いや、部屋で食べようかしら」と言い直した。そして、何も言わずに出て行ってしまう。
気まずげな様子の岡田に紗理奈は、「倫太郎は?」と訊いた。
「お坊ちゃんは、既に食べられて、学校へ行かれましたよ」
すると、もう一人の家政婦の松川愛子が、「さあさあ、お嬢様も早くお食事をされませんと、学校に遅れてしまいますよ」と言う。
今日は土曜日だけど、紗理奈も学校がある日なのだ。そして、こないだの中間テストの結果が出る日でもある。
紗理奈は、急いでサラダとオムレツを平らげて、残りのトーストをミルクたっぷりのカフェオレで喉に流し込んだ。
学校に向かう車の中で紗理奈は、さっきの母との会話を思い返していた。何となく違和感があったからだ。
そして、しばらくしてハッと気が付いた。さっき、母の若菜は、私を自分の娘だと認識してくれていたんじゃないだろうか? てことは、カウンセリングの効果が早くも出てきたのかもしれない。
それでも、母が私を嫌いな事に違いは無いようだ。
今日は土曜日なので、いつもの同乗者のお姉さんはいない。
紗理奈は、車窓から見える荒川沿いのビル群を眺めながら、もやもやした気持ちを溜め息で吐き出したのだった。
★★★
学校から帰って来て部屋に向かう途中で、家政婦の松川愛子に会った。「明日の朝なら、旦那様はいらっしゃいますよ」との事。紗理奈が訊かなくても知りたい事を教えてくれるのって、結構、凄いかもしれない。
「お嬢様は、いつも思ってる事が表情に出ていますから」
「えっ、そうなの?」
「はい。まあ、そういうのも私どもの仕事ではありますけどね」
この時、ふいに紗理奈は、『この人になら、「ムシ」の事を打ち明けても良いかも』と思った。
「あの、松川さん。ちょっと話したい事があるんだけど」
「何でしょうか? あ、奥様なら、今は家にいらっしゃいませんので、気にしなくても大丈夫ですよ」
「そう。じゃあ、リビングに行きましょうか?」
そして、リビングの入口のガラス扉を閉めるなり、立ったまま紗理奈は話し出した。
「あの、松川さんは『ムシ』って知ってる? あ、いや、『光のチョウ』の方が良いのかな? うーん、先にタブレット端末を見てもらった方が早いかも……、あれ、松川さん、どうしたの?」
あれこれ考え出した紗理奈が、ふと松川の方へ目をやると、ニヤニヤしながらタブレット端末を差し出してきた。常にリビングに置かれている物だ。
ところが、それは既に起動していて、「未確認飛行少女情報サイト」が画面に表示されている。
紗理奈が「どういう事?」と訊く前に、松川が言った。
「全部、知っておりますよ」
「えっ、それって……」
「お嬢様が『ムシ』だって事とか、お嬢様のお友達のほとんども『ムシ』だって事どか、そんな感じの事です」
「……でも、何で?」
「簡単に言えば、『家政婦は見た!』って奴でしょうか?」
「なんか、怖いんだけど……」
「大丈夫です。私は、お嬢様の味方です。お嬢様が不利になるような事は致しません」
「……?」
「あ、そう言えば、澪様の所の片瀬さんも、『ムシ』の事はご存じのようですよ。私、彼女と時々、情報交換をしておりますので……」
どうやら紗理奈には、身近な所に強い味方がいたようである。
★★★
六月になって二度目の日曜日、紗理奈は朝早くに目が覚めた。そして、何気なく枕元にあったスマホの小さな画面に目をやると、矢吹天音からメールが入っている。内容は、『昨夜、鯨岡絢乃が「ムシ」になった』との事。しかも、紗理奈に次いで二人目の「アゲハ」で、紗理奈以上に翅のサイズが巨大との事。その上、翅のサイズを更に大きくも出来るらしい。
「ムシ」達専用のウェブサイト上では、既に様々なやり取りがされていて、「お化けアゲハ」の言葉が飛び交っていた。ちょっと酷いネーミングかとも思ったけど、純粋に尊敬の念を込めて使われているようだ。
あ、いけない。急がなきゃ!
紗理奈は、慌ててベッドから起き上がって最低限の身だしなみを整えると、自分のタブレット端末を抱えてダイニングルームへ向かって行った。
★★★
ダイニングルームには、既に父の孝太郎が座っていた。しかも、家政婦の松川愛子が、「今朝は、お嬢様から旦那様へお話しがあるみたいですよ」と、予め声を掛けてくれていたという。
その松川に依れば、「奥様の方は、まだ起きていらっしゃらないようです」との事。
父の正面の席に座った紗理奈は、松川がカフェオレを運んで来る前に話を始める事にした。
「お父さん、あの、『ムシ』って言葉、知ってる?」
「どうせ、昆虫の『ムシ』じゃないんだろ?」
「うん。実は、先週の日曜に榊原海渡さんに会ったのは、その事がメインなの。それから、今日の午後には、陸翔さんにも会う予定」
そうか」
「うん。それで、遅くなっちゃったけど、お父さんにも同じ話を聞いて欲しいの」
そうして紗理奈は、「ムシ」の事だけじゃなくて、「ムシ」という存在が非常に危うい立場にある事。その為、サカキバラ商事に後ろ盾になってもらう代わりに、同社の事業に対して、「ムシ」として協力して行くつもりである事を打ち明けた。
「たぶん、私が『ムシ』に変異した姿を見ない事には、信じてもらえないと思うけど、今は止めておくわ」
そう言った上で紗理奈は、「茶髪の子の保護者会」の事を話した上で、サカキバラ商事との間の契約関係の手続きを、福島の紺野グループ幹部の菅野彩佳にお願いしている事も、付け加えておいた。
「なるほど。紺野グループのお嬢さんか……。『ムシ』の子は、いろんな所にいるんだな……。そういや、桃香さんのお嬢さん達は、どうなんだ?」
「姫香は、たぶん、あと半年ぐらいで『ムシ』になる筈よ」
ここまで話した所で、いつものように秘書の人が呼びに来て、父の孝太郎は慌ただしく家を出て行った。今日は日曜だけど、取引先との親善ゴルフ大会があるらしい。父の孝太郎は一番遅く出発する組なので、この時間に出ても間に合うとの事だ。
それから紗理奈は、ゆっくりと朝食を食べてから、自室へと戻ったのだった。
END098
当作品を読みにきて頂きまして、どうもありがとうございます。
引き続き次話も読んで頂けましたら幸いです。
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★★★
できましたら、以下の作品も読んで頂ければ幸いです。
いずれも完結済です。
銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~
https://ncode.syosetu.com/n9786lf/
※当作品の第一部です。第二部からでも分かるようにしてありますが、できましたら第一部も読んで頂ければ幸いです。
ハッピーアイランドへようこそ
https://ncode.syosetu.com/n0842lg/
※東日本大震災後の原発事故に関する中学生の恋愛物です。
【本編完結】ロング・サマー・ホリディ ~戦争が身近になった世界で過ごした夏の四週間~
https://ncode.syosetu.com/n6201ht/
※今後、更に番外編を追加する予定ですが、現在は完結済にしてあります。




