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087:天音と絢乃(3)

◇2041年5月@福島県岩木市 <矢吹天音>


岩木市立小名浜第三中学校の女子トイレの中で、しばらくの間、呆然と佇んでいた教頭と若手男性教師の耳に、突然、スマホのシャッター音が届いた。それでハッと正気に戻った二人は、お互いに顔を見合わせて慌て出す。学校の女子トイレに入り込んでいる所の写真なんかをネットにアップされたりしたら、へたをすると教師生命が終わってしまう。

本当を言うと、その女子生徒が写真を撮ったのは念の為で、彼らが女子トイレに入って行く所はもちろん、閉まった個室のドアをドンドンと叩いた挙句、足で蹴って外してしまった所も、しっかりと動画に収めていた。

だけど、そんなのは露ほども知らない二人は、慌てて女子トイレから飛び出して、さっきの女子生徒の背中を探す。


「教頭、あっちです!」


叫んだのは、若手男性教師の若松だった。

逃げて行った子は他校の制服を着ており、髪をブロンドに染めていたので、とても良く目立つ……とまあ、相変わらず彼らは信じ込んでいた。この期に及んでも彼らは、彼女達の髪色が生まれ付きだなんて戯言たわごとは、全く信じちゃいないのだった。

そうして、必死に他校の女子生徒を追い掛けた二人だったが、曲がり角まで来てみると、既に彼女は何処どこにもいない。問題の女子生徒を見失ってしまった二人の教師は、再び呆然と立ち尽くすしかない。


女子生徒が去った後の廊下には、未だに濃厚なカモミールの匂いが残っていたのだが、その事に彼ら二人が気付く事は無かった。



★★★



矢吹天音(あまね)は、小名浜第三中学校の四階建て校舎の屋上にいた。と言っても、その屋上は解放されておらず、フェンスすら存在しない。そこに設置された貯水タンクの整備に来る業者の為、鉄製の梯子だけがある状態だ。そんな屋上の片隅に天音が佇んでいられるのは、彼女が「ムシ」であり、自由に空を飛べる存在だからである。

女子トイレの個室で「ムシ」に変異した天音は、四階までの床と天井をすり抜けて屋上にやって来ると、ひとまず変異を解いてスマホを取り出した。福島市の菅野彩佳かんのあやかを呼び出した天音は、少々勢い込んで先程の出来事を説明した。それと同時に、菅波杏樹すがなみあんじゅから入手した動画ファイルを、彼女にも送っておく。


『うわあ、これは酷いわね。何で「ムシ」になって避けなかったの?』

「そんだけムカついたからです。頬をたれたくらいなら、どうせ直ぐに治りますし……」

『もう、倒れ込んだ時に頭とか打っちゃったら、どうすんのよ』

「そっちは、ちゃんと光を纏ってカバーしましたよ。そのせいで、頭がキャビの側面に食い込んじゃう状態になっちゃいましたけど、幸い誰も見てなかったんでセーフです。もし動画に映っていたとしても、その分は見なかった事にして下さい」

「そうね。まあ、大丈夫よ。後でチェックしておくわ……。しっかし、この男の教師ったら、ほんと、あったまきちゃうわね』

「教頭先生も酷かったんですよ。こっちが被害者だっていうのに、ソファーにふんぞり返っちゃって……」


天音だって、初対面の男にいきなり頬を思いっ切り叩かれて、それをうやむやにする気は無かった。どう見たって、それが明確な犯罪であり、事件であるのは間違いないと思えたからだ。

だけど、女子高生の天音が警察に連絡した所で、先程の教師達によって揉み消されてしまう可能性があった。それで、「茶髪の子の保護者会」の事務局である、菅野彩佳の力を借りようと思ったって訳だ。

彩佳は、県内で有数の資産家である紺野一族の幹部。天音の意図は、その彩佳を通して弁護士に事件の処理を丸投げする事にあった。


実は、「ムシ」の子に関わる同様のトラブルは、今までにも既に何件か起きていて、彩佳を軽油して弁護士に依頼したケースも何度か発生している。それに彩佳からは、「同様の事件が起きた時は、自分に連絡して欲しい」と言われているので、「ムシ」達の代表である天音自身が、今回の事件を放置する訳には行かなかったのである。

本当を言うと、和解金とか慰謝料とかを得た所で、たいていは弁護士費用の方が上回ってしまう。でも、彩佳としては、「ムシ」達全体の事を考えて、多少の持ち出しは黙認するつもりのようだ。

それを天音が指摘すると、「大丈夫。こういうのは、将来に向けての投資なのよ」と言われてしまう。それに納得できない天音は、『いつか、何らかの形で恩返しがしたい』と思うのだった。


まもなくすると、天音の前に杏樹が現れた。彼女は、銀色の光の塊となって足元のコンクリートからスーッと浮かび上がり、次の瞬間には人の形を取っていたのだ。常に無表情な子なので、こういう時はメッチャ不気味。でも、そう思っているのは、本人に悟られないようにしている。

杏樹は、さっきの女子トイレでの教頭と若松の様子も動画で撮ってくれていたようで、応接室での動画と合わせて、天音と彩佳に送ってくれた。それで、その後の話はスピーカーホンに切り替えて、送られた動画を観ながら、杏樹からも彩佳に説明してもらった。



★★★



菅野彩佳との通話を終えた直後、この中学の用語教師で叔母の藁谷葉子わらがいようこから着信があった。

現在、葉子は保健室に戻っていて、鯨岡絢乃くじらおかあやのも一緒だとの事。

天音は、さっきの教頭と若松の事が気になったので、直ぐに絢乃を迎えに行く事にした。


「ムシ」になって移動したので、ほとんど一瞬で保健室に着いた。叔母の葉子は、天音の素性を知っているので特に驚かない。「あら、早かったわね」と言っただけだ。

天音は、その葉子に菅野彩佳と話した事をかいつまんで伝えた。


「直接、警察に連絡しなかったのは、懸命な判断だと思うわ」

「私が警察に連絡しちゃったら、葉子先生だって困るでしょう?」

「私の事なら、どうだって良いのよ。今は、旦那が何とかしてくれるもの」

「確かに……。あ、でも、結果的には同じ事になるかもしれません。もっとも、その場合も弁護士さんが大丈夫なようにしてくれそうだけど……」


葉子先生は絢乃に、「明日は、学校を休んだ方が良いわね」と言った。


「鯨岡さんの担任の先生には私から伝えておくわ。それと、次に登校する時は、まず保健室に来て頂戴」


その時、葉子先生のスマホに着信があった。どうやら、外出していた校長先生が戻って来たとの事。


「天音ちゃん達は、もう帰った方が良いわ。これ以上、教師の側のトラブルに巻き込みたくないの。校長には、私の方で上手く説明しておくわ」


それで天音は、杏樹と絢乃を連れて保健室を出たのだった。



★★★



天音は、再び小さな川の土手の上を歩いていた。杏樹と絢乃も一緒だ。

その絢乃は、心持ち前よりも明るい顔をしていた。


「あの、天音お姉ちゃん。さっきはどうもありがとう」

「いやいや、当たり前の事をしただけだよ。てか、あの若松って先生、本当にムカつくよね」

「それなんですけど、正直に言うと、ちょっと心配で……」

「大丈夫。菅野彩佳さんが、たぶん、明日にでも福島市から飛んで来てくれるよ。あの人、真凛まりんちゃんの時も、そうだったみたいだし……。真凛ちゃんの事は、知ってるでしょう?」

「面白いお姉さんですよね?」


鯨岡絢乃は、去年のクリスマスパーティーの時、磯上家と一緒に来る形で出席している。その時に絢乃は、安斎真凛あんざいまりんていうか、今の芳賀はが真凛と会っている筈なのだ。


「あの、さっき、天音お姉ちゃんがアタシの事で怒ってくれた時、本当に嬉しかった。なんか、沙織お姉ちゃんの事、思い出しちゃいました」

「えっ、沙織お姉ちゃんって?」

「あ、言ってませんでしたっけ? 昔……って、アタシが小学校三年生の終わりまで隣にいた子で、学年はひとつ上だったんですけど、すっごく仲良しで……と言っても、いつも私が守られてばかりで、なんか本当のお姉ちゃんって感じで……あ、そうだ。沙織ちゃん、金髪じゃないんだけど、淡い茶髪だったんです。それに、七つ離れた早苗ちゃんっていう妹がいて、その子は私と同じ金髪で、すっごく可愛いの」

「あ、あの、絢乃ちゃん。その子達、何処どこかへ引っ越したの?」

「うん。名古屋へ行っちゃったの」


天音は、雷に打たれたような衝撃を受けた。

間違いない。その子は、絶対に「ムシ」だ。絢乃ちゃんより年上って事は、もう「ムシ」になってる筈。

行かなきゃ。一刻も早く、その子の所へ行かなきゃ!


天音の異常には、直ぐに杏樹が気付いてくれた。


〈私も、天音さんが思った通りだと思います〉

〈そうね。こんなに近くに情報が転がってたってのに、今まで何で気付かなかったんだろう。せめて、クリスマスパーティーの時に分かってたら、もっと早く……〉

〈天音さんが悪いんじゃないですよ。それに、絢乃ちゃんのせいでもない。仕方が無かったんです〉


「あ、あの、天音お姉ちゃん、どうしたの?」

「ううん、何でもな……くはないんだけど、あのね、その沙織ちゃんの誕生日、覚えてない?」

「誕生日? えーと、確か二月だったと思う。絢乃が三月で、その少し前だったの」


どうやら、思ったよりは「ひとりぼっち」の期間が短いようだ。それでも、十月生まれの杏樹よりは早く「ムシ」になっている可能性が高い。

天音は、思い切って絢乃に言った。


「あのね、絢乃ちゃん。落ち着いて聞いてね。その沙織って子、たぶん、もう『ムシ』になってる可能性が高いの。でも、その子、たぶん今は一人ぼっちだと思うんだ。だから、早く何とかしてあげたいの」

「えっ、でも……」

「まずは、その子の事について、何でも良いから教えて欲しいんだけど……」


その時、五月の終わりの清々しい風が彼女達の脇を通り抜けて、三人の金髪と制服のスカートを激しく揺らして行った。




END087


当作品を読みにきて頂きまして、どうもありがとうございます。

引き続き次話も読んで頂けましたら幸いです。


また、ブックマークや評価等をして頂けましたら大変励みになりますので、ぜひとも宜しくお願いします。リアクションだけでも残して頂ければ、嬉しいです。


★★★


できましたら、以下の作品も読んで頂ければ幸いです。

いずれも完結済です。


銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~

https://ncode.syosetu.com/n9786lf/

※当作品の第一部です。第二部からでも分かるようにしてありますが、できましたら第一部も読んで頂ければ幸いです。


ハッピーアイランドへようこそ

https://ncode.syosetu.com/n0842lg/

※東日本大震災後の原発事故に関する中学生の恋愛物です。


【本編完結】ロング・サマー・ホリディ ~戦争が身近になった世界で過ごした夏の四週間~

https://ncode.syosetu.com/n6201ht/

※今後、更に番外編を追加する予定ですが、現在は完結済にしてあります。


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