085:天音と絢乃(1)
◇2041年5月@福島県岩木市 <矢吹天音>
その日の放課後、高校を出た矢吹天音は、取り敢えず自宅マンションに戻った。だけど、当然、長居するつもりはない。
自室にリュックを置くと、キッチンの冷蔵庫から牛乳のパックを取り出して、コップに注いで一気飲み。更に、引き出しからチョコバーを取り出すと、包装を外しながら玄関を出て行く。
再びエレベータに乗って、エントランスロビーに降りる。そして、チョコバーを齧りながら外へ出た。
駅周辺のマンションは便利だけど、人目に付かない場所が少ないのが欠点。気軽に「ムシ」になれないからだ。
夕方に差し掛かった今の時間は、特に人出が多い。
そんな中、岩木高校の制服を着た金髪の女子高生が、チョコバーを齧りながら、駅前の目抜き通りの歩道を颯爽と歩いて行く。
本当は制服を着替えた方が良いんだろうけど、そこは微妙な所。相変わらず若く見られがちな天音は、私服姿だと中学生どころか小学生に間違えられる事だってある。その為、外が暗くなり掛けた途端、補導されてしまうリスクがあるからだ。
特殊な髪色の事もあって、警察とかに連れて行かれるとやっかいだ。生徒手帳を見せても、「盗んだんだろ」と言われて、なかなか信じてくれない。最近の警官は質が落ちたと言われており、学校に連絡してくれたら良いってのに、頼んでも言う事を聞いてくれない。強く言うと、直ぐに逆ギレされてしまうからやっかいだ。
そうかと言って、女子高生の制服姿が面倒な男達の目を惹いてしまうのは、ごく自然の成り行きな訳で、案の定、天音が歩き出して五十メートルも行かないうちに、遊び人っぽい連中が前に現れて歩道を塞がれた。
「おっと、姉ちゃん。結構、可愛い顔してるじゃねえか」
「なあ、俺らと遊んで行かねえか?」
「えへへ、一緒に楽しい事しようぜ」
天音は、耳が聞えないフリをして通り過ぎようとする。既に薄っすらと……ていうか、微弱な光を身体《からだd》に纏っているので、連中が如何にちょっかいを出そうにも、天音の身体には触れられない。
天音は、ワザと男の一人の身体をすり抜けてみせた。と言っても、そいつが進行上にいただけだけど……。
「うわっ、な、なんだよ、こいつ。何で……」
「おいおい、何、騒いでんだよ。行っちまうぞ。ちゃんと捕まえとけよ」
天音の背後で、男達が騒いでいる。うるさい。「ムシ」になった時は、普段よりも耳が敏感なんだ。
天音は、サッと脇の雑居ビルの壁に身体を潜り込ませると、そのまま人気の無い廊下を進んで、反対側の壁を抜けて裏道に出た。それから更にワンブロックほど歩いて小さな公園に出ると、そこの公衆トイレの個室に入る。凄く汚いし臭いけど、仕方が無いと割り切って即座に翅を出す。そのまま天井を抜けて、大空へと飛び上がった。
五月の夕暮れまでには、まだまだ時間がある。グングンと高度を上げて行き、駅周辺の市街地を一瞬で抜ける。その先には、雑木林と田畑が続く見慣れた丘陵地帯が広がっていた。
天音は海の方角へ向かって、一直線に青い空を飛んで行った。
★★★
天音が海の方角へ向かって飛んでいるのは、鯨岡絢乃に会う為である。取り敢えず彼女は、絢乃が通う小名浜第三中学校に向かった。
当然ながら、既に大半の生徒は下校している。
昔は部活動の参加が義務付けられていたりしたけど、今は教師の負荷軽減もあって、そうした義務はない。それに、昔のように運動部の活動も活発ではなくて、本気でスポーツ選手を目指す生徒は、有力なスポーツクラブの紋を叩く傾向にある。
だから、放課後、学校に残っている生徒は、少数派でしかないのだ。
天音は、中学の校門から鯨岡家への帰宅路を辿って行く事にした。意外と上を見て歩く人は少ないようで、百メートルくらいの上空を飛んでいても、ほとんど気にする必要は無さそうだ。
むしろ、昼間に空を見てるのは小さな子供だったりするのだが、この時間、小学校低学年の児童は既に帰宅済みだし、それ以下の幼児に見付かったって、親は無視するのが常だから切り捨てて良い。そもそも、最近の子供はゲームとかに夢中で、あまり外で遊んだりしないのだ。
見付けた!
絢乃は、小さな川の土手を一人でゆっくりと歩いていた。心持ち淋しそうなのは、たぶん気のせいではないだろう。
天音は絢乃の後ろにそっと降り立つと、変異を解いて早足で彼女を追い抜いて正面に立った。そして、俯いた状態の彼女の肩をポンと軽く叩く。
天音は、顔を上げた絢乃にニッコリと微笑み掛けた。
「あ、天音のお姉ちゃんだあ!」
天音の姿を捕らえた途端、さっきまで沈んだ様子だった絢乃は、輝くばかりの笑顔になる。
紗理奈と似た蜂蜜色の髪、大きな薄茶の瞳。整っていながらも、愛嬌のある顔。そこは、精緻な人形に見えてしまう紗理奈と違う点だ。
天音は、絢乃の子供っぽい所も大好きである。そして、岩木市の南端、勿来地区にいる菅波杏樹もまた、絢乃を二人目の妹のように愛おしく思っている一人だった。
「あれ? 杏樹のお姉ちゃんも来てくれたみたい」
「ふふっ、良く分かったね」
「だって、あそこに光の塊が見えるんだもん」
「そうよ。でも、何で沙良ちゃんや美優ちゃんじゃなくて、杏樹だって分かったの?」
「何となく、薄黄緑に見えるからだよ」
「ふーん、相変わらず絢乃ちゃんは、目は良いのね」
「耳はポンコツだけどね」
絢乃は、強度の難聴だ。特に右はほぼ聞こえておらず、その事と髪色の事で小さい頃からイジメを受けてきた。天音もまた「ムシ」になる前は耳に障碍を持っていた為、絢乃の事は誰よりも良く分かるのだ。
今も天音は、絢乃の耳元で話してあげている。
「あ、もうすぐだよ、天音お姉ちゃん」
絢乃が言う通り、杏樹の光はどんどんと近付いて来て、次第にチョウの形を取り始める。やがて高度を下げると、二人の前に降り立った。
普通の人が見たら大騒ぎする所だろうけど、絢乃は何度も見ているので騒がない。「杏樹ちゃんっ!」と名前を呼んで抱き着いて行く。
杏樹は一瞬だけ困惑の表情になったけど、直ぐに普段通りになって絢乃を抱きしめた。相変わらず無表情だけど、喜んでいるのは間違いない。
その杏樹もまた、通っている中学校の制服を着ていた。同じブレザータイプだけど、絢乃の制服よりも垢抜けたデザインに見える。天音が祖父業した中学の制服と比べても、可愛い気がする。
だけど杏樹からは、〈気のせいですよ〉という心話が飛んで来た。
〈皆、他校の制服は自分のよりも可愛く感じるんです。「隣の芝生は青く見える」って奴ですよ〉
そうは言うけど、制服の良し悪しは絶対に存在する筈。だって、ネットには、数多くのランキングがアップされているんだから……。
そんな事を思いながら、天音は地面に置きっ放しの絢乃のカバンを広い、二人が身体を離すのを待って絢乃に渡してやる。それから、今度は三人で川の土手の上を歩き出した。
「あのね、絢乃ちゃん。前に言った気もするけど、学校で何かあったら、藁谷葉子先生を頼れば良いんだよ。葉子先生は、私の叔母さんなんだ」
天音の叔母の藁谷葉子は、結婚しても職場では旧姓のままで通している。最近は、そういう既婚女性が増えているらしい。
「でも、藁谷先生、怪我しても保健室にいない事があって……」
「別に怪我とかしてなくても、保健室に行けば良いんだよ。イジメられてる事を話すだけでも、気が楽になるんじゃない?」
「でも……、正直に言うと、最近、アタシに絡んで来るのって男の先生なんです」
「えっ、そうなの? それ、葉子先生は知ってるの?」
「うーん、どうなんだろう?」
「もう、そういう事こそ、言わなきゃダメでしょうが……あ、怒ってごめん。実は、私も中学に入ったばかりの時、男の先生に暴力を振るわれた事があるんだ……。うーん、なんかムカムカしてきた。ここからだと、学校まで五分くらいで行けるよね?」
「えっ? もっと掛かると思うんだけど……」
「走るに決まってるでしょう。ほら、杏樹も走るよ」
「えっ、マジで?」「本気ですか?」
天音は困惑顔の二人を促すと、小名浜三中の方へ向かって全速力で駆けて行く。
こうやって身体を動かすと、思いの外に気持ちがいい。特に「ムシ」になってからは前よりも身体が軽く感じられて、幾らでも走っていられそう。風が身近に感じられるってのも良い。
百メートルほど行って振り返り、遅れて走り出した二人に大きく手を振ってやる。そして天音は、少しだけ速度を落として、再び川の土手の上を駆けて行った。
END085
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★★★
できましたら、以下の作品も読んで頂ければ幸いです。
いずれも完結済です。
銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~
https://ncode.syosetu.com/n9786lf/
※当作品の第一部です。第二部からでも分かるようにしてありますが、できましたら第一部も読んで頂ければ幸いです。
ハッピーアイランドへようこそ
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※東日本大震災後の原発事故に関する中学生の恋愛物です。
【本編完結】ロング・サマー・ホリディ ~戦争が身近になった世界で過ごした夏の四週間~
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※今後、更に番外編を追加する予定ですが、現在は完結済にしてあります。




