084:鯨岡千景
◇2041年5月@福島県岩木市 <矢吹天音>
五月の最後の月曜日、昼休みに矢吹天音は、クラスの女子達と談笑しながら総菜パンを食べていた。
中学の時の天音は母の涼子に手作り弁当を持たされていたけど、岩木駅近くのマンションに引っ越してから、職場が遠くなった為に作ってくれなくなった。それで最近は、購買で買った総菜パンが天音の昼食なのだ。
尚、お決まりの購買の総菜パン争奪戦は、岩木高校でも無くはないのだが、それほど熾烈ではない。大半の生徒は、岩木駅周辺でコンビニ弁当とかを買って登校して来るからだ。
その時、他クラスの知らない男子生徒が天音の前に現れて、いきなり話し掛けてきた。
「ねえ、君、矢吹天音さんだよね?」
天音は、思わず食べていた総菜パンを喉に詰まらせてしまい、慌てて牛乳を喉に流し込んだ。
それが、最後の一口で良かった。天音は、総菜パンが入れてあった紙袋を、その不躾な男子に投げ付けてやりたくなった。
もっとも、本当を言うと、彼が教室に入って来た時点でクラスの女子達が騒いでいたのだが、天音は全く気付いていなかった。それだけ、お喋りに夢中だったからだ。
天音は、彼を睨み付けてやった。
教室の後ろの方で、キャーキャーと女子達が騒いでいたけど、天音の耳には届かない。いや、聞こえてはいたんだろうけど、自分に関係するなんて思っちゃいなかった。
「確かに私は矢吹天音だけど、あなたは?」
「僕は、鯨岡千景って言うんだ。聞いたこと無いかな?」
「知らない」
天音が即答したら、隣の高木苑実が「ちょっ、ちょっと天音」と肩を指で突いてくる。前の席の友人二人に目をやると、ほんのりと頬が赤い。
「ひょっとして、あなたって有名人?」
「いや、ただの貧乏人だよ」
意外な返しに、天音が視線で苑実ニ説明を求めると、彼女が彼に「でも、有名人なのは間違いないでしょう?」と言った。
天音は苑実のクールな返しが気に入っていたのだが、前の席の二人は違っていたらしい。
「鯨岡くんは、ただの有名人ではないと思います」
「貧乏人とおっしゃいますが、首席合格で入学式の答辞を読まれたではありませんか」
「四月の実力テストでは、学内一位だったと聞いてますけど」
「へえ、そんなに凄い人なのね?」
やっと天音が尊敬の眼差しを向けた事で、千景は気分を良くしたのか、顔を綻ばせて「まあね」と返す。天音は、『意外と素直な奴かも』と思った。
そうして、改めて彼を見ると、確かに可愛い顔をしている。そう、「カッコ良い」じゃなくって、「可愛い」だ。背も低めだし、痩せていてなよなよした感じ。こういうのもイケメンって言うんだろうか?
天音は、ぶっきらぼうに言った。
「で、何の用?」
「あのさ、僕、君とは初対面じゃないんだけど」
「えっ、どういう事?」
「ほら、去年の小名浜での追悼会」
「えーと、鯨岡って言うと、ひょっとして絢乃ちゃんの親戚の人だとか?」
「親戚じゃなくて、兄なんだけど」
「えっ、お兄ちゃん? うーん、あんまり似てないっていうか……」
「あのな、僕は妹みたいに無邪気でも無鉄砲でのないんだが……」
「いやいや、突然、人の教室に入って来て私に声を掛ける所とか、絢乃ちゃんにそっくりじゃない」
ようやく合点が行ったとばかりに天音が納得していると、隣の苑実が冷静な声で、「ところで、天音に何の用です?」と訊いた。さっきも天音が同じ事をい言ったから、これで二度目だ。
中学の時に天音は、下山田天志という俺様系イケメン男子に絡まれた事がある。それで苑実は、警戒してくれているんだろう。
「いやいや、僕は単に挨拶したいと思っただけだよ」
「だったら、こんな目立つようにしなくても良いんじゃない?」
「えっ、苑実ったら、私、目立ってる?」
「充分に目立ってるでしょうがっ。周りを見てみなよ」
苑実に言われて教室を見回してみると、ほとんどの女子がこっちを注視している様子。
ようやく状況を理解した天音は、「あの、鯨岡くん、私、目立つの嫌いなんだけど」と言って、思いっ切り睨み付けてやった。
「心外だなあ。僕は、そんなに変な事はしてないけど」
「だったら、天音と同類なんじゃなくて」
「どういう事?」
「無自覚系イケメンって事」
「だったら、矢吹さんは、無自覚系美少女とか?」
途端に、周囲の女子達がキャーキャーと騒ぎ出す。天音は、中学の時、一瞬だけ美少女ともてはやされた時の事を何となく思い出し、顔を顰めた。
それで天音は、話題を変える事にした。
「絢乃ちゃんは、元気?」
「相変わらずだよ」
「どういう事?」
「君と同じような髪だからさ……」
「ひょっとして、イジメに遭ってるとか?」
「さあ、どうなんだろう?」
「もう、お兄ちゃんだったら、ちゃんと守ってあげなよ」
「そんなこと言ったって、学校が別なんだから、しょうがないだろ」
「絢乃ちゃん、中学一年生だもんね。そういや、小名浜三中じゃなかった?」
「そうだけど」
天音は、内心小躍りしていた。この四月から養護教諭の叔母が小名浜第三中学校に転任になっていたからだ。
そう言えば、その叔母の藁谷葉子から、「うちの学校にも金髪の子がいるの」って話を聞いた事がある。その時、それが鯨岡絢乃なのか磯上麻友なのかが分からず、確認しようと思っていて、つい後回しにしてしまったのだ。いや、今思うと、麻友はまだ小学生だったかもしれない……。
「小名浜三中なら、私、知り合いの先生がいるの。だから、絢乃ちゃんの事、頼んでみるね」
そう言うと、事情を察した苑実が耳元で、「それって、藁谷先生の事だよね」と囁いたので、首を縦に振っておく。
叔母の葉子は、元々天音や苑実が通っていた中学校にいて、この四月から小名浜三中へ転任したのだ。
「でも、絢乃ちゃんにお兄ちゃんがいたなんて、全然、知らなかったわ」
「例の集まりに、僕は出た事がないからな」
その集まりとは、「茶髪の子の保護者会」の事だろう。
現在、岩木市の「ムシ」予備軍の子は、十四名。それに三人の「ムシ」を加えると十七名になる。
天音の父の矢吹正史は、親睦と意見交換を兼ねて定期的に食事会を行っていた。だけど、「ムシ」も「ムシ」予備軍の子も全員が女子なので、どうしても男子は居辛くなってしまう。それに、元から「ムシ」の子には男の兄弟が少ない事もあって、千景は参加を渋ってきたんだろう。
「ふふっ、鯨岡くんが出ればハーレム状態なのにね」
「よしてくれよ。僕は、そういうの好きじゃないんだ」
「えっ、そうなの?」「そうなんですか?」
天音の声と前の席の女子の声がハモった。
だけど、そこに苑実の冷静な声が続いた。
「まあ、分からなくもないわ。鯨岡くんみたいなイケメンに群がって来る女子って、自分本位の子が多いものね。本当にあなたを慕ってる子は、陰でそーっと見守ってるって感じじゃないかしら」
苑実の言葉に、前の席の二人がしきりに頷いている。
天音は、「ふーん。少なくとも、それは私じゃないわね」と呟いた。
「天音は、むしろ、鯨岡くんと同じ立場でしょうが」
「違うと思う。女子の場合は、ストーカーされたり、絡まれたりして大変なんだよ」
「確かに、そうかもね」
「そうそう。だから、私、『綺麗だね』とか『可愛いね』とか言って来る男子って、実は大っ嫌いなんだ」
「あ、それは僕もおんなじだよ。てか、そういう所って、男も女も無いんじゃないか?」
「うーん、そっかなあ?」
実際には、女子の方が性犯罪に遭う確率が多い分、危険って思ったけど、敢えて黙っておいた。
「とにかく、一度、絢乃ちゃんに会いに行ってみるね。教えてくれてありがとう」
鯨岡千景が教室を出て行った後、天音は苑実に「例の集まりって何?」と訊かれたので、「私みたいな髪の子の集まりがあって、うちの親が会長をやってるんだ」と答えておいた。苑実だったら、「茶髪の子の保護者会」の事を話しても大丈夫だろうと思ったからだ。
だけど、「うちらって色々と嫌われてたりしてて、変な集まりだと思われると嫌だから、内緒にしといてくれる?」と付け足しておくのも忘れない。
苑実は、天音が髪の毛の事で不遇を強いられてきたのを知っているので、素直に頷いてくれた。
「でも、あの鯨岡くんが、まさか天音の知り合いだったなんてね」
「知り合いって言ったって、今日、初めて会ったんだよ。まあ、妹の絢乃ちゃんの事なら良く知ってるんだけどね」
「天音と同じ髪色なんでしょう?」
「うん。むしろ、私よりも綺麗な金髪かもしれない。可愛いけど、ちょっとやんちゃっていうか、元気な子だよ」
「ふーん、そうなんだ」
天音は、そんな会話を苑実と交わしながら、『今日の放課後にでも、絢乃に会いに行ってみよう』と思ったのだった。
END084
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★★★
できましたら、以下の作品も読んで頂ければ幸いです。
いずれも完結済です。
銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~
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※当作品の第一部です。第二部からでも分かるようにしてありますが、できましたら第一部も読んで頂ければ幸いです。
ハッピーアイランドへようこそ
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※東日本大震災後の原発事故に関する中学生の恋愛物です。
【本編完結】ロング・サマー・ホリディ ~戦争が身近になった世界で過ごした夏の四週間~
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※今後、更に番外編を追加する予定ですが、現在は完結済にしてあります。




