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082:紗理奈の母と祖父の事

◇2041年5月@東京 <東山紗理奈>


その日の朝、母の若菜に打たれた頬の腫れは、夕方には引いていた。唇の端の切り傷も、ほとんど目立たなくなっていた。もちろん、それらは「ムシ」としての能力だろう。「ムシ」の場合、回復力が異常に早いのだ。

昼間、佐伯さえき家を訪れた紗理奈は、昼食を御馳走になり、その後は夕方まで姫香ひめか夢香ゆめかの姉妹と遊んで過ごした。


夕食までに家に帰った紗理奈は、家政婦の松川愛子に家族の状況を確認した。父の孝太郎は外出中。母の若菜と弟の倫太郎りんたろうは、昼間、一度外出したものの、その後は部屋に籠っているらしい。

夕食時に二人とバッティングする事を恐れた紗理奈は、夕食を部屋に運んでくれるよう松川に頼んだ。今朝の一部始終を見ていた彼女は、直ぐに了承してくれた。


夕食を終えた後、紗理奈は何となくムシャクシャした気分を抱えて夜空へ飛び上がった。向かった先は、榊原澪さかきばらみおがいる筈の新宿のタワマン。ところが、澪もまた紗理奈の気配を感じたのか、こっちに向かっている様子。どうやら澪は澪で、紗理奈の事を気にしてくれていたみたいだ。

二人は、皇居の上空で出会う事ができた。


〈紗理奈、なんか、怒ってる?〉

〈うーん、どうなんだろう?〉

〈イライラしてるって感じだよ〉

〈うん、その自覚はあるかも〉


正直、紗理奈は、自分の気持ちが良く分からない。今まで自分の心の大きな足かせだった母の自分への嫌悪が、単なる病気のせいだったのかもしれない。それが判った時、本当を言うと、紗理奈は無償に腹が立ったのだ。

私って、とんだマヌケだったんじゃないだろうか?

そんな事を紗理奈は、かいつまんで澪に話した。


気が付くと二人は、東京スカイタワーの第二展望台に来ていた。天井から下りられそうな空間を探して、そーっと入り込んだのだ。前は薄っすらと光を纏って屋上に座っていたけど、最近は中にいる事の方が多い。

二人は、人の少ない辺りで夜景を眺めながら、心話で会話を続けた。


〈まあ、昨日から災難続きではあったよね〉

〈まさか、進藤のお祖父じい様に会えるとは思わなかったもんね〉

〈なんか、凄い人だったね。まさに、頑固ジジイって感じ〉

〈うん。想像してた通りの人だった。あの人に抱き着いたりできる夢香は、凄いと思う〉

〈夢香って、佐伯夢香ちゃん〉

〈うん。うちの弟の倫太郎と夢香だけは、お祖父様に可愛がられてるみたいなんだ〉

〈前は夢香ちゃんも、髪を染めてたって言ってたもんね〉

〈うん。桃香お場様の判断は正しかったと思う〉

〈そうだね……。で、その進藤さんからは、何か連絡とかあったの?〉

〈ううん……。あ、お母様へは何か言ったんだと思う〉

〈ああ、それで今朝、紗理奈が叩かれたって訳ね。でも、紗理奈がお父様の連れ子だったら、そこまで怒らなくても良いって気がするんだけど……、そんでも、まだ紗理奈のお母様の方は分からなくもないけど、進藤さんの方は、なんか不思議〉

〈お祖父様の方は、私が自分の孫だって意識はあるからじゃない?〉

〈そっか。てことは、紗理奈のお母様と進藤さん、実は、話が噛み合ってないんじゃない?〉


つまり、母の若菜は、「紗理奈が父の連れ五だから憎い」、祖父の進藤隆正(たかまさ)は、「紗理奈が金髪だから憎い」という訳だ。


〈どっちみち私が憎い訳だから、私の悪口を言い合っていられれば、それでいいんだと思う〉

〈なるほど〉


それから、母の若菜の「紗理奈が夫の連れ子」っていう思い込みというか、記憶障碍の事になった。


〈確かに紗理奈としては、普通に母親から恨まれているよりも、ずっと複雑な気分かもね〉

〈うん。単純にお母様を恨めば良いって事になんないもんね〉

〈でも、そうなると、紗理奈のお父様も悪いって事にならない? 夫婦なのに妻の記憶障害が今まで分からなかったって事でしょう?〉

〈十三年間だもんね。その間、ちゃんと私の事を夫婦で話し合っていなかったって事だよ。私の事って、あの人達の間ではアンタッチャブルな話題だったのかなあ?〉

〈……〉

〈まあ、弟だけ連れて、三人で東京ネズミーランドに行っちゃうような夫婦だもんね。今更だよね〉


最近になって、父の孝太郎とは話すようになってはいるけど、まだ過去のわだかまりが消えた訳じゃない。紗理奈にとっての辛い過去の記憶は、今でもそのまま忘れられないでいる。


〈そっか。私、最近は親しくしてるお父様にも、紗理奈がカミングアウトできない理由が分かった気がする。話してくれてありがとう〉

〈どう致しまして〉

〈こうなると、お兄様へのカミングアウトを急がなきゃね。早速、初音はつねさんと相談しなきゃ……。どうしたの? 自分が「ムシ」だって事、お父様に知られるの、怖い?〉

〈うーん。どうなんだろう。最悪の場合だって、前に戻るだけなんだけどね〉

〈もし、紗理奈が家に居辛くなったりしたら、うちに来れば良いよ。大丈夫。「『ムシ』はみんな、ひとつの家族」なんでしょう?〉

〈それ、天音あまねさんの言葉だよね。やっぱり、天音さんは凄いや……〉

〈きっと、真花まはなだって、同じ事を言うと思うよ。まだ私は知り合ったばかりだけど、あの子、良い子だよね〉

〈うん。と言っても、私だって知り合って一ヶ月半なんだけど……あ、いけない。真花と約束してたんだったあ!〉

〈えっ、そうだったの?〉

〈うん。なんか色々とあって、すっかり忘れてた。私、行かなきゃ……〉


紗理奈は澪に別れを告げると、小川真花が住むタワマンへ向けて全速力で飛んで行った。



★★★



紗理奈は、江東区のタワマン最上階にある小川真花(まはな)の部屋に一直線で飛び込んだ。「ムシ」は実体が無いからこその芸当だ。じゃないと、こんなスピードで飛び込んだら、大変な事になっちゃう。

そんな中、真花の叱責が頭の中に届いた。


〈もう、紗理奈ったら遅い〉

〈ごめん。ちょっと色々とあってさ〉

〈しょうがないなあ。澪から少し聞いたよ〉

〈そうなんだ〉


紗理奈が光を解く前に、真花の妹の唯花ゆいかが部屋を出て行った。たぶん、姉の千花ちはなを呼びに行ってくれたんだろう。

ところが、唯花が千花と思われる女性を連れて来たと思ったら、真花は「あんたは、もう寝なさい」と言って外へ追い出そうとする。唯花は、「あたしも紗理奈ちゃんと遊びたかったのにぃ」と文句を言っていたけど、最後は素直に「お姉ちゃん達、おやすみなさーい」と言い残して出て行った。


唯花がいなくなった後、改めて紗理奈は、千花の方を見た。最初の印象は、「お姉さん」だった。紗理奈や真花と比べると、だいぶ背が高い。と言っても、身長は百六十ぐらいで、メリハリのある体型だ。髪の毛も瞳の色も割と淡い茶色。話には聞いていたけど、相当に綺麗な人だった。


「初めまして、東山紗理奈と申します。真花さんとは友人として、いつも親しくさせて頂いております」

「真花の姉の千花です。真花と仲良くしてくれてありがとう」


丁寧な言葉が返って来て、紗理奈はホッとした。


「紗理奈はね、すっごく頭が良いんだよ」


真花に自分の成績を暴露され、紗理奈は少しこそばゆい気分。千花に「凄いね」と言われたけど、何も返せず笑って誤魔化してしまった。

それからも色々と聞かれて、家庭で放置されていた事まで打ち明けてしまったのは、相当に動揺していたせいだろう。

だけど、天音あまねさんとの出会いの事を話したのは、絶対にマズかったと思う。


そう思って居辛くなった紗理奈は、小一時間ぐらいで話を打ち切り、真花を促して再び夜空へと舞い戻って行った。



★★★



紗理奈は、真花まはなを連れて、何となく葛西臨海公園の方へ向かっていた。すると、何処からともなく吉岡(いちご)がやって来て合流。三人で、既に営業を終えている大観覧車のゴンドラの中に入る。

最初に話し出したのは、苺だった。


〈昨日、カミングアウトしてからさ、うちの両親、アタシに何度も「ムシ」にならせようとして、ウザいんだよ。特にパパったら、アタシの写真をやたらと撮りたがるんだ。そんでママの方は、アタシがダメって言うのに、アタシの写真、「未確認飛行少女(UFG)情報サイトにアップしちゃうの。まあ、「他のサイトには、絶対に載せちゃダメだよ」って言ってあるからなんだけど、誰かに「ムシ」の事、言いふらしたりしないか、ちょっと心配〉

〈それは大丈夫なんじゃない。苺のご両親だって、会社では偉い人なんでしょう?〉

〈うーん、どうなんだろう。お給料はいっぱい貰って来てくれるみたいだけど、アタシ、両親の仕事の事は聞いたこと無いんだよね〉


それから、話は真花とみおの事になった。どちらも、「いつ両親にカミングアウトするか」って話だ。

昨日のチャリティーリサイタルで、紗理奈が進藤勝正(かつまさ)に怒鳴られた時の事は、二人とも澪から聞いている筈なのに何も言って来ない。だから、紗理奈も何も話さなかった。


そして、この日の夜は、いつもよりも少し早めに別れて、それぞれの家へと戻ったのだった。




END082


当作品を読みにきて頂きまして、どうもありがとうございます。

次話から、しばらくの間、天音サイドの話になります。

引き続き次話も読んで頂けましたら幸いです。


また、ブックマークや評価等をして頂けましたら大変励みになりますので、ぜひとも宜しくお願いします。リアクションだけでも残して頂ければ、嬉しいです。


★★★


できましたら、以下の作品も読んで頂ければ幸いです。

いずれも完結済です。


銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~

https://ncode.syosetu.com/n9786lf/

※当作品の第一部です。第二部からでも分かるようにしてありますが、できましたら第一部も読んで頂ければ幸いです。


ハッピーアイランドへようこそ

https://ncode.syosetu.com/n0842lg/

※東日本大震災後の原発事故に関する中学生の恋愛物です。


【本編完結】ロング・サマー・ホリディ ~戦争が身近になった世界で過ごした夏の四週間~

https://ncode.syosetu.com/n6201ht/

※今後、更に番外編を追加する予定ですが、現在は完結済にしてあります。


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