081:父と母と娘
◇2041年5月@東京 <東山紗理奈>
立花奏美のピアノ演奏によるチャリティーリサイタルと親睦会があった日の夜、東山紗理奈は二つの重要な連絡を受ける事になった。
ひとつは宇都宮の手塚真琴からのもので、なんと栃木で二人目の「ムシ」の子が生まれたのだという。今まで真琴は周辺に同じ「ムシ」の子がいなかっただけに、この事が真琴を如何に喜ばせたかは想像が出来る。紗理奈は速攻で、『おめでとう、真琴。良かったね』のメッセージを送った。
その後に送られて来た新しい「ムシ」の子のプロファイルによると、那須高原のペンションの娘らしい。『その子のペンションに、いつか紗理奈と一緒に泊まりに行けたら良いな』との事。その為には、どうやって両親を言い含めるかである。やはり、父の孝太郎だけにでもカミングアウトを急ぐ必要がありそうだ。
もうひとつの連絡は、更に遅い時間のものだった。送付元は、小川真花。内容は、『私、お姉ちゃんにカミングアウトしちゃった!』というもの。こっちはメッセージを見た直後、心話で話し掛けられた。既読になったのに気付いたからだろう。
〈紗理奈、起きてたんだ〉
〈当たり前じゃない。まだ十二時になってないよ〉
〈それ、威張って言う事じゃないと思うんだけど……。それに、あと五分で日付が変わっちゃうよ〉
〈もう、そんな事より、カミングアウトしたって話じゃなかったの?〉
〈その事なんだけど、お姉ちゃんにカミングアウトした時、紗理奈の事を色々と話しちゃったから、事後承諾をもらっとこうと思ったんだ。それと、お姉ちゃんに会って欲しいんだけど、できれば、明日にでも来てくれたら嬉しいなあって……〉
〈真花のとこへ行くのは、いつでも良いよ。「ムシ」になって行けば、アッと言う間だし〉
〈そっか。じゃあ、明日の夜、宜しく……。それで、今日のピアノリサイタル、どうだった?〉
〈聞きたい?〉
〈うわっ、何これ……、途端に紗理奈からドス黒い感情が流れ込んで来たんだけど……〉
それから、紗理奈はベッドに入った状態で、長々と真花に今日のピアノリサイタルでの出来事を語った。その中には祖父の進藤隆正への愚痴も混ざっており、それを真花は延々と心話で聞かされるハメになったのだった。
★★★
そして、翌朝、いつもより遅めの時間に紗理奈がダイニングへ出て行くと、そこには父の孝太郎がいて、昨夜のピアノリサイタル後の親睦会の事でお礼を言われた。その親睦会に出席した取引先の多くが、紗理奈に高評価を与えてくれていたようだ。
だけど、そうなれば当然、例の出来事も父の耳に入っている訳で……。
「それとだ。進藤の親父の事なんだが……」
その時だった。突然、ダイニングに母の若菜が入って来たかと思うと、紗理奈が彼女の方へ顔をっ向けた途端、いきなり左の頬を打ったのだ。その力は思いの外に強く、口の端から赤い血がポタポタと垂れて、テーブルの端を汚して行く。
瞬時に光を纏えばダメージを受けなくする事も出来たけど、その場合は別の騒ぎを引き起こす恐れがある。それで、その策を敢えて紗理奈は取らなかった。
その直後、若菜が大声で怒鳴った。
「あんた、昨日は何て事をしてくれたのよっ!」
尚も紗理奈を叩こうとした若菜の手を、孝太郎が掴んで「止めないか」と一喝する。
ところが、若菜には、父の孝太郎が紗理奈を庇った事が意外だったようだ。
「あなたっ、何で、そんな子を庇うのよっ!」
「当然だ。紗理奈は俺達の娘だろうが」
「何を言ってんの、私に娘なんていないでしょう? 私の子は、倫太郎だけよ。あなた、どうしちゃったの?」
「だったら、この子は誰の子だ?」
孝太郎が、紗理奈の方を手で示す。
この時には、既に紗理奈は席を立ち、部屋の反対側へ避難。家政婦の松川愛子が、冷たいおしぼりで頬を冷やしてくれていた。
母の若菜は、そこで初めて紗理奈を見た。と言っても、目を合わせようとはしない。昔から若菜は、紗理奈と目を合わせた事がない。
「……その子、あなたの連れ子ですわよね?」
「へっ?」「はあ?」
父と娘の口から、同時に変な声が出た。
紗理奈は、心の中で『やっぱり』と思った。若菜は、本気で自分の事を忘れてしまっていたんだ。
だけど、父の孝太郎は諦めなかった。彼は若菜に、「ちょっと待ってろ」と言い残して出て行くと、直ぐに自分のタブレット端末を持って戻って来た。
「何ですの、これは?」
「戸籍謄本の写しだ」
少し前までは紙だった戸籍謄本も、ようやく今はPDFファイルでやり取りされるようになっている。
「ほら、ここにちゃんと紗理奈の名前があるだろ。紗理奈は、俺達の第一子だ」
「そうみたいですね。おかしいわ。あなたが何かしたんじゃないの? 役所の人に働きかけて、改竄させたとか?」
「俺が、そんな事する訳がないだろ。間違いなく紗理奈は、お前が産んだ子だ……。お前、病院で診てもらった方が良くないか?」
「冗談でしょう? 私は、病気なんかじゃありませんっ!」
母の若菜は、そう言い捨てて出て行ってしまった。
紗理奈は、しばらく父と顔を見合わせていたが、やがて父がボソッと、「やっぱり、若菜は医者に連れて行った方が良いな」と言った。
「でも、お母様が素直に従うとは思えません」
「そうだな。知り合いの医者にでも相談してみるよ」
そう言ってダイニングから出て行った父の背中は、何となく淋しそうだった。
★★★
自室に戻った紗理奈は、腫れてしまった頬にガーゼを当てた状態で外出する事にした。行先は、母の妹の佐伯桃香の所。目的は、母の若菜の事を相談する為である。父の孝太郎も直ぐに対策を考えてくれるだろうけど、叔母の協力が必要だと思ったからだ。
余所行きのワンピに着替えた紗理奈は、車に乗って家を出る。途中、手土産を買う為に洋菓子店に立ち寄った。ケーキを買う為だったけど、考えてみれば、最近、ケーキばかり食べている気がする。これでは太ると思って、フルーツゼリーにした。
佐伯家では、いつも通り夢香が笑顔で出迎えてくれた。予め連絡してあったので、叔母の桃香も直ぐに出て来てくれる。
紗理奈は、一緒に遊びたがる夢香を姉の姫香に引き取ってもらい、食卓テーブルに座って、今朝の事を桃香に打ち明けた。
「なるほどねえ。前々から私も、お姉様が少し変だと思ってはいたのよ。でも、まさか紗理奈ちゃんの事を、お義兄様の連れ子だと思っていたとはねえ」
「あの、お母様は、昔から私と目を合わせようとしないんです。今までは、それも普通だと思っていました。でも、ハッキリと父の連れ子とか言われてしまいますと、さすがに変だと……」
「そうね。問題は、どうやって病院に連れて行くかよね……。分かったわ。お義兄様と相談してみるわね」
「宜しくお願いします」
「それより、紗理奈ちゃんも大変ねえ」
「いえ、病気だと思えば、今までの事も納得が行くっていうか……」
「まあ、そうよね。お姉様の紗理奈ちゃんに対する態度は、生まれてからずーっと、あんな調子だものね」
「はい。私にとっての母は、最初からいない状態なので……、むしろ、弟の倫太郎の方に心のケアが必要かもしれません」
「そうね。そういった事も含めて、お義兄様と話してみるわ」
その後、父の孝太郎と叔母の佐伯桃香が付き添って、母の若菜は精神科を受診。定期的にカウンセリングを受ける事になったのだそうだ。
そんな風に伝聞調なのは、具体的な病名とかを紗理奈は知らないからである。ていうか、別に関心がないので、敢えて聞いていないとも言える。
それに当面の間、紗理奈の方から若菜に対し、積極的に関わって行くのは控えて欲しいとの事。もちろん、そんなつもりは無いので、紗理奈の生活は全く普段通りである。
それでも、若菜の症状はそれほど深刻なものではなかったようで、一年もしないうちに徐々に改善へと向かって行く。
それによって若菜と紗理奈の関係が少しずつ変化して行くのだが、それは、もう少し先の話である。
END081
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★★★
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いずれも完結済です。
銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~
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