008:優流と「ムシ」達
◇2041年5月@東京 <鵜飼優流>
それから紗理奈は、鵜飼優流の部屋をちょくちょく訪れるようになった。彼女はいつも「ムシ」の姿でベランダに降り立って、コンコンと窓ガラスを叩く。そして優流がカーテンを開くと、口パクで挨拶。その後、窓ガラスをすり抜けて入って来る。そして、その場でスニーカーを脱ぐのだが、そのうち優流は、彼女が靴を脱ぐ為のドアマットを窓際に置くようになった。
どうやって紗理奈が窓をすり抜けるのかは謎だけど、「ムシ」の子は全員、それが出来るらしい。ただし、そうした壁抜けは「ムシ」に変異している時しか出来ず、ベランダにいる時の彼女は、翅を消した後も薄っすらと光を纏っているとの事。完全に変異を解くのは、どうしても口で話さなきゃなんない時だけだという。確かに気を付けて見てみると、彼女の身体が仄かに光っている。
「ちょっと待っててね。今、飲み物を持って来るから」
優流は、紗理奈が来ると紅茶を出してあげるようにしている。今日は、貰い物のビスケットもあるから、それも付けてあげよう。バターたっぷりの輸入物だ。
そうして持って行ったビスケットを紗理奈は、とても美味しそうに食べてくれた。
「でも、このビスケット、カロリー高めだから太っちゃいそう」
「紗理奈ちゃんは痩せてるから、多少は太っても大丈夫だよ」
「そっかなあ?」
「だいたい、紗理奈ちゃんは成長期なんだから、余程の事がないと太らないと思うよ」
「確かに、そうかも」
そこで紗理奈は、手元の紅茶をゴクリと飲んで、「うわあ、これ、凄く良い茶葉だよね?」と訊いてくる。
「それも、貰い物だよ。知り合いがヨーロッパに出張した時のお土産」
「ふーん。あ、うちのお父さんも、時々アメリカに出張するよ。でも、あんまり良いお土産、買って来ないんだよねえ」
「だいたいの物は、日本でも買えるからじゃないかな?」
「ううん。お父さんは、センスが無いのよ。変なぬいぐるみを買ったり、美味しくないチョコレートを買ったり、もう全然ダメ」
「あはは」
「まあでも、一応は私を気遣ってくれてるのが分かって、嬉しくはあるんだけどね」
紗理奈の苗字は東山。父親の東山孝太郎は、東山モビリティという会社の社長だという。
その東山モビリティは、首都圏のカーシェアリング業界でナンバーワンの会社なのだそうだ。車が昔の「所有」から「必要時だけレンタル」へと移行し、業界全体が急拡大。孝太郎の会社も急成長した事で、社長業は激務であるようだ。その為、つい最近まで紗理奈は、その父親に放っておかれたらしい。
一方の母親はと言うと、五つ年下の弟ばかりを可愛がっていて、今でも彼女を嫌っているのだという。そうなったのは彼女が難聴と弱視だった為のようだが、どちらも「ムシ」になった後は不思議にも治っている。
「お母さんとは、相変わらずなの?」
「うーん、前よりはマシになったって感じかなあ。最近、私を見ても直ぐに怒鳴ったり、追い払ったりしないし……。そんでも、ちょっと弟と話しただけで怒るけど」
「そうなんだ」
「弟の倫太郎第一主義は、変わらないみたい」
「そっか」
紗理奈の弟は、倫太郎と言うらしい。
父親とは少しずつ話すようになって、徐々に普通の親子関係に戻りつつあるようだが、まだまだ「ムシ」の事をカミングアウトする気にはなれないと言う。それに、母親に知られた場合の事を恐れてもいるみたいだ。
彼女が言うには、「絶対、『化け物だあ!』とか喚かれて、家から追い出されるに決まってるもん」との事だ。優流は、「大袈裟じゃないかな?」と言うのだが、実際、そうやって親に騒がれた「ムシ」の子がいたらしい。もっとも、その時は騒いだ父親の方が家から出て行ったそうなのだが……。
「私の親へのカミングアウトより、澪の方が先だと思うんだよね」
優流と紗理奈の間では、榊原澪が「ムシ」であるのは周知の事となっていた。
「でも、澪ちゃんのお父さんだって、仕事で忙しいんだろう?」
「そうみたい。でも、そういうのって、忙しいかどうかの問題じゃないと思うんだ」
確かにそうだ。
「それに、実はもう奏音さんのお姉さんには、カミングアウトしちゃってるみたい。ほら、奏音さんのお姉さんと澪のお兄さんって、婚約者同士じゃない。だから、そのうち澪のお兄さんが知る事になると思うんだよね。澪のお兄さん、結構、妹LOVEみたいだし」
「そうなのか?」
優流の知る榊原海渡は、率直に言うと、冷たい人ってイメージだった。銀縁の眼鏡を掛けていて、いつもスーツをピシッと着込んだ姿しか見た事が無いからだ。
「あのね、お兄ちゃん。妹が好きじゃない男の人なんて、この世にはいないんだよ」
「そうなのか?」
どうやら、この紗理奈という子は、「お兄ちゃん」についての強い憧憬の念があるようだ。きっと、今まで家族から虐げられてきた反動なんだろう。
「もう、お兄ちゃん、さっきから『そうなのか?』ばっかり」
「あ、ごめんごめん」
「別に、謝らなくて良いよ。お兄ちゃん、紅茶とビスケットありがとう……。あ、そういや、『ムシ』の子が痩せてるのには、もうひとつ理由があるんだよ」
「そうなのか?」
「もう、また言った……。まあ、良いや。えーと、なんか『ムシ』になってる時って、割とエネルギーが消費されてるんじゃないかって、天音さんが言うの」
「天音さん」というのは、紗理奈が慕っている最初に「ムシ」になった子の事だという。「未確認飛行少女情報サイト」では、「ムラサキ」の愛称で呼ばれている「ムシ」でもある。
「でもね、それって、どうせ関口さんの受け売りなんだよ。天音さんは関口さんの事が大好きで、だけど関口さんは東京に来ちゃったでしょう? それで、あんまり会えないんだ。まあ、ゴールデンウィークには、ガッツリ会ってたみたいだけど」
「関口さん」というのは、UFG情報サイトの管理人。優流と同じ歳で、今は東大生だという。早坂琴音も彼とは面識があるらしい。
「紗理奈ちゃんは、関口って人と会った事があるの?」
「ううん。スマホで天音さんと話す時に、ちょくちょく出てくるんだけど、直接に会った事は、まだないかな」
「どういう人?」
「うーん、優しい人だと思うんだけど、私が何かやらかすと、必ず出てきて怒るの……あ、怒るって言っても、優しくだよ」
「それは、紗理奈ちゃんの事が心配だからだね」
「うん。なんか、お父さんみたいな人。本当のお父さんよりも、お父さんみたい」
「へえ、そうなんだ」
「もう、また言ったあ」
紗理奈は口を尖らせて拗ねてみせるけど、そんな仕草も優流には可愛くて仕方がないのだった。
★★★
東山紗理奈は、一人で優流の部屋へ来る事が多いけど、時には榊原澪や吉岡苺を連れて来る事もあった。だけど苺ちゃんは「シジミ」であるが故に翅が小さくて、小回りは利くけど長距離の移動は苦手。それにタワマン三十二階の優流の部屋まで上がって来るのも大変らしく、いつも「よっこいしょ」って感じでやって来る。
その苺ちゃんは、実はUFG情報サイト上で「イチゴちゃん」と呼ばれている「ムシ」と同一人物だ。つまり、偶然かもしれないけど、本名も「苺」であるらしい。
その彼女の髪の毛は背中まであって、ふんわりした巻き毛の金髪だ。身体は紗理奈より小柄だけど、それでも中学一年生。胸はツルペタだけど、それを言われると必ずキレる。てか、ぶちキレる。
そんな苺でも、三人の「ムシ」達の中では一番に陽気な性格で、歌うことが大好きなようだ。カラオケに行ったら、マイクを手放さない。歌うのは半分はアニソンで、残り半分は女子アイドルグループの歌。けど最近は、ロックにもハマっているのだとか……。
という訳で、三人の「ムシ」達がやって来ると、優流の部屋が一気に賑やかになる。幸い優流の両親は共働きで、どちらも帰宅は深夜。それで今の所、彼女達が親達と遭遇した事はない。
それでも、一応は良識派の紗理奈が気を使ってくれて、事前に「澪と苺を呼んでも大丈夫?」と聞いてくれるから、随分と助かっている。彼女達は中学生ではあるけれど、見た目は小学生そのものだし、やって来るのは深夜ばかり。万が一、騒いでる時に親と出くわしたりしたら、何を言われるか分かったもんじゃないからだ。
とまあ、そんな日々を過ごしていた、とある五月の深夜の事。紗理奈が新しい「ムシ」の子を連れて来た。
「あの、君って、真花ちゃんだよね?」
「あ、はい。小川真花ですけど……」
訝し気な目を向けられて、優流は少したじろいだ。
「あ、いや、何かごめん。でも、覚えてないかな? オレ、小学校の時に君のお姉さんの同級生だったんだ」
「お友達だったって事ですか?」
「うーん、友達と言っても、ケンカ友達だったんだけど……あ、今でもそうだよ。同じ東都大学で、ちょくちょく会ってる」
「そう、ですか……」
少し真花のガードが緩んだ気がした。
「そんでさ、小学校の運動会の時とかに、オレ、何度か真花ちゃんに会ってるんだ。そん時は小さかったから、覚えてないのかな?」
「はい……。ごめんなさい」
今度は、謝られてしまった。
「いや、良いんだ……。真花ちゃんって、あの頃も可愛かったけど、なんか益々綺麗になったよね?」
「へっ?」
真花の口から美少女らしからむ声が漏れた。彼女の脇で、苺が爆笑。紗理奈はと言うと、何故か不満げな顔……。
即座に優流は、「紗理奈ちゃんも可愛いよ」とフォローを入れる。最近、千花や琴音から様々な指導を受けていて、女の子の扱いには彼なりの注意を払っているのだ。
すると今度は苺が、「ねえ、あたしは、あたしは?」と訊いてくる。
「もちろん、可愛いよ」
「うーん、なんか、あんまり嬉しくないような……」
「あ、いや、『ムシ』の子は、皆、可愛いっていうか……」
「なんか、お兄ちゃん。どんどんと墓穴を掘ってない?」
紗理奈の鋭いツッコミで、ようやく真花の顔が綻んだ。苺は、またも大爆笑。それを見た紗理奈は、『仕方ないなあ』といった感じで苦笑している。
そんな三者三様の対応を見せる美少女達を前に、優流は激しい心の疲労を感じながらも、『これはこれで悪くないかもな』と思うのだった。
END008
当作品を読みにきて頂きまして、どうもありがとうございます。
また次話も引き続き読んで頂けましたら幸いです。
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★★★
できましたら、以下の作品も読んで頂ければ幸いです。
いずれも完結済です。
銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~
https://ncode.syosetu.com/n9786lf/
※当作品の第一部です。第二部からでも分かるようにしてありますが、できましたら第一部も読んで頂ければ幸いです。
ハッピーアイランドへようこそ
https://ncode.syosetu.com/n0842lg/
※東日本大震災後の原発事故に関する中学生の恋愛物です。
【本編完結】ロング・サマー・ホリディ ~戦争が身近になった世界で過ごした夏の四週間~
https://ncode.syosetu.com/n6201ht/
※今後、更に番外編を追加する予定ですが、現在は完結済にしてあります。




