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019:榊原澪

◇2040年10月@東京 <榊原澪>


榊原澪さかきばらみおは、自分が恵まれているとは思っていない。都心のタワマン最上階ワンフロアを占有した自宅も、二十畳はありそうな自室も、大会社の社長令嬢としての立場も、使用人に世話してもらう生活も、どれもこれも澪が望んで得たものじゃない。


澪の父親の榊原陸翔(りくと)も歳の離れた兄の海渡かいとも、月の半分以上は海外を含めた出張で不在。その上、東京にいてもお仕事が忙しいからと、ほとんど家には帰って来ない。二人とも、会社の本社ビル内に決して狭くない生活空間を持っていて、そっちの方に泊まる事の方が多いのだ。

その本社ビルがあるのは、澪がいるタワマンから五百メートル程の距離にある。車だと五分の掛からない距離なのに、それでも移動時間が惜しいのだそうだ。つまり、娘の顔を見るのは、それだけの手間を掛ける価値もないという訳なのだが、別に、今に始まった事じゃないので、澪はもう諦めている。


澪と兄の海渡とは、十二歳違い。海渡が東大に入る前、つまり澪が小学生になる前は、割と良く遊んでもらった記憶がある。だけど、東大に入ってからは、父の陸翔がインターンの名目で頻繁に会社に呼び寄せるようになり、それと大学の勉強とで忙しいからか、ほとんど遊んでくれなくなった。

そして、大学を卒業して正式に入社した去年の四月以降は、滅多に顔すら合わせなくなってしまった。


母の榊原(あや)とて、ほとんど澪と顔を合せないのは同じだ。彼女はサカキバラ商事の渉外担当と自分を称しており、毎日のように各社の社長夫人と連れ立っては、お茶や食事だけじゃなくて、映画だの演劇だのコンサートだのと、あちこち出歩いてばかりいる。

以前は銀座とかの画廊にも良く顔を出していたけど、最近はスポーツ観戦の方にハマっている様子。野球にもサッカーにもバスケにもお気に入りの選手がいて、いわゆる「追っ掛け」みたいな事をやっている。どう見たって遊んでるとしか思えないのだが、一応、それなりの立場にある「お友達」と一緒なので、父も兄も文句を言えないらしい。


そんな風に澪以外の家族があまり家にいない事もあって、以前は四、五人いた使用人も、今は二人だけ。いや、二人目の坂下美倖(みゆき)は住み込みだけど高校生のアルバイトって感じなので、実質、今の使用人は家政婦一人である。

ただし、警備員についてはカウント外。パーティーのようなイベントがある際は、サカキバラ商事の秘書室のメンバー全員が、サービズ残業だとか休日出勤だとかで対応してくれるので、何かと見栄を張りたがる母でさえ不満はない様子。

本当を言うと、不満を抱えているのは澪なのだけど、生憎と彼女に決定権は無い。ていうか、この家の誰一人として、澪の意見を訊こうなんて発想すら持ち合わせてはいないのだ。


いや、一人だけいた。坂下美倖だ。彼女は比較的、澪と歳が近いこともあってか、優しく接してくれている。だけど彼女の場合、澪以上に家での発言権が無くて、むしろ、澪が守ってあげなきゃならない立場の人だ。

その彼女は母方の遠戚の娘とかで、去年の四月から同居している。都立の高校に通っていて、今は高校三年生。かなり成績が良くて、既に城北大学への推薦入学が決まっている。その後は余程の事がない限り、サカキバラ商事に入社する筈である。

榊原家で美倖を引き取る事にしたのは、澪の中学受験の為でもあるらしい。現在、澪が通っている小学校も私立ではあるけれど、幼稚園と小学校しかない。だから、中学受験をする必要がある。つまり、美倖は澪の家庭教師として雇われたって訳だ。


そんな美倖と澪の前に悪役として立ちはだかる存在が、一人だけ残った家政婦の水森茅乃(かの)である。彼女は五十代半ばのオバサンで、澪が幼稚園の頃に働き出した人だ。

正直に言って澪は、この茅乃が大の苦手。とにかく融通の利かない人で、澪が何かやろうとすると、「なりません」と言って止めようとするし、何か頼み事があっても、「申し訳ありませんが、お受けできません」と拒否されてしまう。それらが澪を思っての事ならまだしも、たいてい「面倒な事はしたくないから」という理由なのだから始末が悪い。

美倖が来るまでの澪は、生活の半分が茅乃との戦いだったと言って良い。当然、澪は母の綾に茅乃の怠慢な素行を何度も切々と訴えた。だけど茅乃は綾に媚びを売るのが上手くて、澪が何を言っても改善されないし、却って対応が雑になるだけ。

そもそも茅乃は、澪を雇用主の家族として扱っていない。それどころか彼女は、澪を明らかに見下していた。


「所詮、お嬢様は欠陥品ですからねえ。本来、サカキバラ商事のご令嬢であれば、相当に良い所へお嫁入り出来るんでしょうけど、欠陥品じゃねえ……」


澪が欠陥品であるのは、紛れもない事実である。左腕の肘から下が生まれつき欠損しているのだ。その事に最も心を痛めたのは母の綾で、彼女が社交の為と出歩いてばかりいるのは、その事から目を逸らしたいからなのは間違いない。

だけど、それを本人に面と向かって言うってのは何なんだっ!

もっとも、この事を茅乃が澪の前で頻繁に口にしていたのは幼稚園の時までで、小学校へ上がってからは言わなくなった。でも、それは考えを改めたというよりは、母の綾への告げ口を恐れたからだろう。


とにかく、澪の内気な性格の半分くらいは、茅乃の責任である。家がタワマン最上階にあっては、なかなか外へは出られない。本来、茅乃は使用人として澪を公園とかで遊ばせる役目を担ってもいたのだが、何を言っても「なりません」と拒否されてしまう。その結果、幼稚園にいる間しか同年代の子と遊べない澪は、内向的にならざるを得なかったって訳だ。

残りの半分は、左腕の欠損に起因する。高性能な義手を付けているので、クラスメイトでも欠損自体を知らない子が多いのだが、知られた場合は確実にドン引きされる。そして、それが分かっているだけに、もはや積極的に人と関わろうとは思えなくなってしまう。


榊原澪が通っているのは、私立の名門小学校。高額所得者の子弟のみが通う学校だけあって、児童の心のケアも含めて手厚い対応をしてくれる。東山紗理奈(さりな)が通っていた公立校とは、根本的に違うのだ。

だから、イジメとかの心配はないのだが、ハイソな家庭の子女に特有のマウント合戦は存在する。障害さえなければ、澪はヒエラルキートップの地位が得られるにも関わらず、彼女には参戦さえ許されない。いや、本当は、そう思い込んでいるだけなのかもしれないけど、それを幼女の頃に強くインプットしたのは、紛れもなく水森茅乃なのである。


「ムシ」になる前の澪もまた、様々な呪縛に囚われた少女だったのだ。



★★★



タワマン最上階にある自室に戻り、「ムシ」の変異を解いたみおは、気が付くと、ずっと心に溜めこんだ悩みさえも、知り合ったばかりの少女、東山紗理奈に打ち明けてしまっていた。内気な性格の彼女にしては有り得ない行為なのだが、何故か全部を話したい気分になってしまったのだ。

紗理奈の髪の毛は、澪と比べると短いけど同じようなブロンドヘア。もちろん、染めてないという。しかも、目の色は青。澪よりもガイジンっぽい。色白で小柄で華奢な体型って所も、澪と同じだ。

こうして改めて見ると、彼女は姉妹だと言える程に自分と似ている。


〈私が言える立場じゃないんだけど、その腕、別に隠す程の事じゃないんじゃない?〉


その紗理奈は、澪が一番に触れて欲しくない事を堂々と指摘してくる。普通、こんな事を言われたら怒るんだけど、彼女の場合、あまり腹が立たないから不思議だ。


〈そう言えば、先月「ムシ」になった子が、確か同じように肘から下が無かったと思う。その子は右腕なんだけどね〉

〈えっ、まさか?〉


咄嗟に澪が思ったのは、『嘘でしょう?』だった。でも、目の前の子が嘘を吐くとは思えない。


〈その子の場合は生まれ付きじゃないそうなんだけど……、両親が滅茶苦茶な連中でさ、その子の腕がそんな風になったのも、父親のせいらしいの。今は、祖父母と伯父夫婦が面倒を見てるそうなんだけど、そいつらもクズで暴力とか振るわれてて、他の「ムシ」の子達が対策を検討中みたい。で、今は別の「ムシ」の子のマンションに入り浸ってて……、ふふっ、その子の所には、居候の「ムシ」の子がもう一人住んでて、すうっごい賑やかみたいなんだ〉

〈ふーん、みんな、色々とあるんだね〉

〈うん。「ムシ」の子には、本当にいろんな子がいうんだ……。あ、そういや、さっきの子が入り浸ってるマンションに住んでる子なんだけど、「ムシ」になる前は足が不自由だったそうだよ〉

〈えっ、「ムシ」になって治ったって事?〉

〈うん。実は、私も弱視と難聴だったんだけど、「ムシ」になって治ったの〉

〈じゃあ、ひょっとして私も……〉

〈うーん、腕は生えてこないと思う〉

〈だよねえ〉


そりゃ、そうだろう。


〈そんでも、「ムシ」になって、色々と出来るようになった事がある筈なんだよね〉

〈もちろんだよ。まあ、それはおいおい確認して行けば良いとして、私、さっきから言おうと思ってたんだけど、そろそろ普通に話さない?〉

〈えっ、どういう事?〉

〈だから、この部屋、広いし、壁も分厚そうだから、外に声が漏れたりしないんじゃないかって事なんだけど……〉


正直、澪には紗理奈って子が何を言いたいか分からなかった。


〈あ、ひょっとして分かんない? まだ、気付いてないとか?〉

〈えーと……〉

〈さっきから、あんた……あ、そろそろ名前で呼ばないとね。みおって言って良いかな?〉

〈別に良いけど〉

〈分かった、澪。じゃあ、私の事も紗理奈って呼んでね……。それで、さっきの件だけど、澪は、ずーっと前から口を動かさずに話してるんだよ〉

〈えっ、まさか?〉


言われてみれば、そうだ。それに目の前の紗理奈だって、ちっとも口を動かしてない……。


〈これ、心話っていうんだけど、心の中で思っただけで言葉が相手に伝わるんだ。「ムシ」になって飛んでる時って普通には喋れないし、だいぶ距離があっても通じるから、すっごく便利。それに、これだけは「ムシ」の状態でなくても使えるんだ。と言っても、「ムシ」の子同士じゃないと駄目なんだけどね……。あ、鳴ってるね?〉


端的な心話の説明に澪が聞き入っていた時、紗理奈のスマホに着信があった。澪は、予め頼まれていた通り、映像と音声を壁の巨大スクリーンに繋げてやる。

そこに現れたのは、やはり金髪で華奢な上に、とても優しそうなお姉さんだった。

彼女が「クイーン」と呼ばれる人なんだろうか?


『えーと、あなたが澪ちゃんね?』

「あ、はい。榊原澪です」

『ふふっ、見るからに「ムシ」の仲間って感じの子ね。私は、矢吹天音やぶきあまねって言うの。たぶん長い付き合いになると思うから、宜しくね』


この時、澪は何だか急に心が温かくなるのを感じた。そして気が付くと、「私こそ、宜しくお願いします」と言いながら、頭を下げていた。

後に「カラクサ」と呼ばれる榊原澪が、「ムシ」達の仲間に加わった瞬間だった。




END019


当作品を読みにきて頂きまして、どうもありがとうございます。

また次話も引き続き読んで頂けましたら幸いです。


また、ブックマークや評価等をして頂けましたら大変励みになりますので、ぜひとも宜しくお願いします。


★★★


できましたら、以下の作品も読んで頂ければ幸いです。

いずれも完結済です。


銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~

https://ncode.syosetu.com/n9786lf/

※当作品の第一部です。第二部からでも分かるようにしてありますが、できましたら第一部も読んで頂ければ幸いです。


ハッピーアイランドへようこそ

https://ncode.syosetu.com/n0842lg/

※東日本大震災後の原発事故に関する中学生の恋愛物です。


【本編完結】ロング・サマー・ホリディ ~戦争が身近になった世界で過ごした夏の四週間~

https://ncode.syosetu.com/n6201ht/

※今後、更に番外編を追加する予定ですが、現在は完結済にしてあります。


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