115:芹沢千里
◇2041年7月@神奈川県熱海市~静岡県沼津市 <榊原澪>
七月に入って最初の土日、珍しく、澪の父の榊原陸翔が二日とも休みとなり、家族で温泉へ行きたいと言い出した。と言っても、海渡は仕事。逆に言うと、「息子に仕事を押し付けた」とも言える。いや、海渡の認識は、まさしく「仕事を押し付けられた」なのだが、「お前は若いんだから、温泉なんて行ってもしょうがないだろ」で押し切られたそうだ。
「もう、親父ったら、人使いが荒いんだから……。仕方が無いから、夜は大学時代の友達でも誘って飲みに行くかな」
「呆れた。何で、初音さんを誘わないのよ」
「いや、初音は初音で忙しいだろうし……」
「もう、そんな事やってると、そのうちフラれちゃっても知らないよ。婚約は婚約であって、結婚した訳じゃないんだからね」
「別に良いだろ。昔の友人と親交を深めるのも、今の内なんだからさ」
「そう言って、実は昔の彼女さんを誘って……」
「こ、こら、澪。お前、何てこと言い出すんだよ」
「ふーん。やっぱり、そういうこと考えてるんだ。初音さんに言い付けちゃおうっと」
「それ、マジで洒落にならないんだから、止めてくれーっ!」
といった兄妹の微笑ましいやり取りもあったりして、澪は両親と三人で伊豆の熱海温泉へ向かった。途中、芦ノ湖に寄ったり、観光地に良くある美術館や博物館を覗いたりして、早めに温泉宿へ入る。
そうして、ゆっくりと温泉に浸かってから豪華な食事を味わっていた時だった。ふと澪は、知らない「ムシ」の子の気配に気付いてしまったのだ。
澪は、食後に再度、温泉に入ると言う両親に「ちょっと、外へ出て来るから」と言い残し、浴衣を脱いでワンピに着替えると、ミュールを履いて外へ出た。
★★★
榊原澪が向かったのは、西の方角だった。つまり、海とは反対方向だ。だけど、山を越えてしまえば、駿河湾に出られる筈。
外は、すっかり暗くなっている。普通の人なら不気味と感じるだろうけど、生憎と「ムシ」は夜目が利く。
十キロも行かない内に、その子の気配が鮮明になってきた。充分に心話が届く距離だって気がする。
〈ねえ、あなたは誰?〉
返事は来ない。でも、通じてるって感触がある。
〈私は、榊原澪って言うの。中学一年の女子だよ。住んでるのは東京だけど、今日は熱海の温泉に泊ってるの〉
〈あ、あの……〉
通じた!
〈あなた、何処にいるの? 何処から話してるの?〉
〈もうすぐ着くから、待ってて〉
〈えっ?〉
澪は、スピードを上げた。
たぶん、残り五、六分ぐらいで着けるって感じ。
〈ねえ、あなたは何て名前?〉
〈せ、芹沢千里って言います。小学六年生です〉
〈そっか。てことは、まだ「ムシ」になったばかりだね〉
〈えっ、「ムシ」ですか? 私、「チョウ」だと思うんですけど〉
〈ふふっ、そうだね。私もそうだよ〉
確信した。彼女は、最近、「ムシ」になったばかりだ。
前方には、既に沼津の街灯りが見えていた。その上空に、光の点が見える。
たぶん、あれが彼女だ。てことは……。
〈そろそろ、私が見えるんじゃない?〉
〈何かが向かって来てるってのは、分かるんですけど……〉
〈それだよ。それが、私……〉
そうこうするうちに、光は「チョウ」の形を取り始める。
澪は、速度を落とした。
最後は、ほんの一瞬だった。
〈はじめまして。私が澪だよ!〉
〈あ、私、千里です〉
彼女は、青紫の翅を持つ「ムシ」だった。
★★★
紫の翅と言えば矢吹天音だけど、芹沢千里の翅は天音よりも青みが強い。外縁部は濃くて、根元が白っぽい所も違っている。
それに、大きな「タテハ」の天音に対し、千里の翅は標準的な「ミッド」サイズだ。
澪と千里の二人の少女は、沼津市の千本浜公園に来ていた。
時刻は、まだ夜の八時過ぎといった所。あちこちに男女のカップルがちらほらと見える。つまり、ここで光を纏う時は、充分に注意を払った方が良さそうだ。
変異を解いた千里は、地味なブラウスにパンツといった格好。誰かのお下がりか古着って感じだ。当然、淡い茶髪で華奢な体型。言われなければ、小学六年生だって思わなかったに違いない。
その千里は、自分と良く似た風貌の澪を見て、親近感を覚えたようだった。
二人は、階段状の防波堤に腰を下ろし、海の方を眺めながら話す事にした。もちろん、会話は心話だ。
〈あ、あの、まだ私、自分が何なのか良く分からないんですけど……〉
〈えーと、千里ちゃんは、スマホとか持ってる?〉
〈はい、持ってます〉
〈じゃあ、私が言うキーワードでググってくれる?〉
〈あ、はい〉
〈じゃあ、行くね〉
澪は、少し考えて、「未確認飛行少女」で検索してもらう事にした。
〈「飛行」って所は、飛行機の「飛行」だからね〉
〈分かります。うちらの事ですよね? あ、出て来た〉
どうやら千里は、無事に関口仁志のサイトを表示出来たようだ。
〈それは、誰でも閲覧できるオープンなサイトなんだけど、管理人の関口って人は、私の知ってる人なの……〉
澪は「ムシ」について説明しようとしたのだが、千里はサイトを夢中になって見ている。仕方が無いので、しばらくは黙っている事にした。
やがて、澪が無言になった事に気付いたのか、千里が顔を上げた。
〈あ、ごめんなさい。私、夢中になっちゃって……〉
〈大丈夫。その気持ち、分からなくもないから〉
〈でも、私、自分と同じような人がこんなに居るだなんて、思ってもみませんでした〉
〈そっか……。千里ちゃんで、三十一人目だよ……。あ、いや、そうじゃないかも……。千里ちゃんが、最初にチョウの姿になったのって、何日かな?〉
〈月曜です。今週の月曜日……〉
〈じゃあ、千里ちゃんが三十人目だよ。その後、木曜に千葉で新しい子が生まれてるから。今は全部で三十一人。全員、千里ちゃんと良く似た女の子だよ〉
〈えっ、全員が女の子なんですか?〉
〈そうだよ。それに、似たような髪の毛の子ばかりだから……〉
それから、澪は、「ムシ」についての説明をした。
だけど、既に午後八時を回っているので、あんまり時間を掛けてはいられない。
〈あの、千里ちゃん、家の方は大丈夫? ご家族、心配してない?〉
〈大丈夫です。本当は、今の時間、塾なんです。でも、途中で抜けて来ちゃった〉
〈えっ、それって、ますます心配なんだけど〉
〈だから、大丈夫ですよ。うちの塾って大人数だから、一人くらいいなくなっても分かりませんって〉
〈そうなの?〉
〈はい。別に家で受けても良いんだけど、お母さんが、塾へ行った方が集中できるからって言うから……。本当は、全然、そんな事ないんですけどね〉
〈えーと、それって、虐められてるとか……〉
〈……はい〉
澪は、やっぱりと思った。
〈髪の毛もそうだけど、右足も関係してるんだよね?〉
〈えっ、気付いてたんですか?〉
〈まあね〉
〈あ、でも、足の方は、月曜日から調子が良くて……〉
〈ふふっ、そのうち、普通に歩けるようになりそうね〉
〈そうなんですか?〉
〈実は、そういう子が多いんだ。生まれ付き歩けなくて車椅子だったのが、普通に歩けるようになったって子もいるくらいだから、間違いないよ〉
〈そう、なんですね〉
それから澪は、イジメに遭った時の対処法も簡単に教えてあげる事にした。
そうやって話し込んで、ふと時刻を確認すると、午後九時二十分。マズいと思った澪は、少し強い口調で千里に〈帰ろう!〉と言った。
〈えっ、でも……〉
〈スマホの時刻表示、見てみなよ〉
〈あ、はい……、うわあ、もうこんな時間……〉
〈私が付いてって、一緒に謝ってあげるからさ。ほら、早く行くよ〉
澪は千里を促して人気の無い所へ行ってから、一緒に「ムシ」になって千本浜公園から夜空へと舞い上がった。
★★★
芹沢千里の両親は、どちらも地元の会社に勤める会社員だった。
残業はあるけど、それほど遅くにはならないとの事。その為、既に両親共に帰宅しており、いつもより帰りの遅い千里にイラ立っている様子。澪が先に玄関に現れると、もの凄い形相で睨み付けてきた。
こうなると、ひたすら謝るしかない。
「あの、私と同じ髪色の子という事で、つい話し込んでしまいまして、誠に申し訳ありません」
「千里っ! この子の言う事は本当なの?」
「あ、はい……。あ、いや、でも……」
「どっちなんだい?」
「てか、君は、いったい何処の誰なんだね? うちの娘と同じ学校でも、同じ塾って訳でも無いんだろう?」
「だから、たまたま熱海の温泉に……」
「はあ? ここは沼津なんだが……。まあ、こんな時間に街中をうろついてるくらいだから、どうせ碌な子じゃないんだろうが……」
「あなた、それにしては服装が……」
「はあ? 服装がどうしたんだ?」
「だから、それって凄く高いブランド品なんじゃ……」
「だったら、ますます怪しいって事じゃないか……。しっかし、そんな歳でねえ……」
「あなた、どういう事ですか……って、まさか……」
風向きが怪しくなってきた。特に父親の方は、随分と思い込みが激しい人のようで、頭の中に勝手な妄想を浮かべているって感じだ。
「あの、お母さん……」
「千里、あんたは黙ってなさいっ!」
「そうだぞ、千里。これは、警察を呼んだ方が良いな」
「えっ?」
「当然だろ。ほんと、親の顔が見て見たいもんだ」
「はあ……」
これは駄目だと思った澪は、素直に親を呼ぶ事にした。
父の陸翔は、直ぐに出てくれた。
澪は、静岡県の沼津市で新しい「ムシ」と出会った事。それで話し込んでしまい、先方の親と少しこじれてしまった事を素直に話した。陸翔は、「自分も直ぐに行くが、沼津支店からも人を寄越す」と言う。
その間に、千里の父親は警察に電話してしまったようだ。ところが……。
「ちぇっ、今の警察は、いったい何なんだ」
「どうしたんです?」
「『そんな事で呼ぶな!』だとさ」
「あの、私の父と連絡が付きましたので、たぶん三十分くらいで来ると思います。でも、その前に父の会社の者が来るかもしれませんけど……」
「はあ? 何で会社の者が?」
「すいません。父が緊急事態だと判断しちゃったようでして……」
沼津支店の人は、本当に直ぐに来てくれた。しかも、支店長だと言う。
千里の父親は困惑していた様子だったけど、次第に態度がへりくだったものに変わって行く。
「確かに、こんな夜中にお邪魔したのは無作法だったとは思いますけど、うちのお嬢様は、千里さんをお宅まで送って来られただけですよね? それが、何で親の人格まで否定するような暴言を浴びせられる事になるんでしょうか?」
「えーと、それはまあ……」
「うちのお嬢様が千里さんを送って来られたのは、安全の為だと思うんですけどね」
「ですが、自分の身も守れそうにない小娘では……」
「はあ? うちのお嬢様、見た目こそ幼く見えますけど、ちゃんと自分の身は自分で守れると聞いております。だからこそ、おたくのお嬢さんをお連れした訳じゃないですか。それを頭ごなしに……」
「でも、その子の髪の毛は?」
「あの、私の髪の毛、地毛なんですけど……。千里さんもそうですよね?」
「あ、いや、まあ……」
そうこうするうちに三十分が過ぎ、ダークスーツ姿の陸翔が現れると、千里の父は土下座せんばかりの卑屈な対応になってしまった。
そうして分かってきた事は、家庭内でも千里が両親から何かと蔑まれていた事だった。二人は娘を愛していると思い込んでいたようだが、何かにつけ「お前は、そんな髪だから……」とか「そんな足じゃ、お嫁には行けないねえ」とか言われ続けてきたようだ。
澪とて様々な「ムシ」達の生い立ちを聞いて、親になってはいけない親が存在する事を知っている。当然、そんな親に「ムシ」の事を伝える訳には行かない。
だけど、今回のケースがそれに該当するかどうかを、自分だけで判断するのは危険だ。
千里の事例について澪は、「茶髪の子の保護者会」の菅野彩佳や、母親の綾を交えて話し合って決めようと思った。
澪は父の陸翔と短く話して、取り敢えず今夜は時間が遅いからという事で、その場を退出したのだった。
END115
当作品を読みにきて頂きまして、どうもありがとうございます。
引き続き次話も読んで頂けましたら幸いです。
また、ブックマークや評価等をして頂けましたら大変励みになりますので、ぜひとも宜しくお願いします。リアクションだけでも残して頂ければ、嬉しいです。
★★★
できましたら、以下の作品も読んで頂ければ幸いです。
いずれも完結済です。
銀の翅 ~第一部:未確認飛行少女~
https://ncode.syosetu.com/n9786lf/
※当作品の第一部です。第二部からでも分かるようにしてありますが、できましたら第一部も読んで頂ければ幸いです。
ハッピーアイランドへようこそ
https://ncode.syosetu.com/n0842lg/
※東日本大震災後の原発事故に関する中学生の恋愛物です。
【本編完結】ロング・サマー・ホリディ ~戦争が身近になった世界で過ごした夏の四週間~
https://ncode.syosetu.com/n6201ht/
※今後、更に番外編を追加する予定ですが、現在は完結済にしてあります。




