↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/28

第六話 これから

 盆祭りが終わると、夏休みも残り少なくなってきた。


 朝の畑はまだ涼しい。とはいえ、日が昇ればすぐに暑くなる。


 啓介は縁側に腰を下ろし、庭先で父の重吉が農具を確かめている姿をぼんやり眺めながら、この先のことを考えていた。


 この時代へ来てから、もう何日か経つ。


 最初の頃は、自分が誰なのか、どうして昭和四年にいるのか、そればかり考えていた。


 けれど、いくら考えても答えは出ない。


 二〇〇五年へ帰る方法は分からない。


 そもそも、帰れるのかどうかさえ分からなかった。


「昭和四年……一九二九年か」


 小さく呟く。


 このまま自分の知っている歴史が進むなら、日本はやがて満州事変を経て戦争へ向かい、最後には敗れる。


 その先には、広島もある。


 二〇〇五年八月六日。


 自分が靖國神社へ行った日。


 そして、この時代へ来た日でもある。


 偶然なのだろうか。


「…………」


 やはり答えは出なかった。


 ただ、それより先に確かめておきたいことがある。


 本当にここは、自分の知っている一九二九年なのか。


 この先も、自分の知る歴史と同じように進むのか。


 それを確かめるなら、まず新聞だろう。


 とはいえ、越智家では毎日新聞を取っているわけではない。新聞代だって、農家にとって軽い出費ではない。


 村でいつでも新聞を読めそうな家となれば、思い当たるところは一つしかなかった。


「……奈々んちか」


「何がうちんち?」


「うわっ!」


 突然後ろから声を掛けられ、啓介は肩を跳ねさせた。


 振り返ると、奈々が縁側の端からこちらを覗き込んでいる。


「いつからいたんだよ」


「今来たとこ。啓ちゃんが一人でぶつぶつ言いよったけん」


「言ってない」


「言いよったよ。『奈々んちかー』って」


「そこだけ聞くと変な奴みたいじゃん」


「変な奴やろ?」


「おい」


 奈々が笑う。


 しっかり聞かれていたらしい。


 啓介は一瞬迷ったが、別に隠すほどのことでもないと思い直した。


「新聞を見たいんだよ」


「新聞?」


「ああ。奈々んち、取ってるだろ?」


「取っとるよ」


「見せてもらえないかなと思って」


 奈々はきょとんとした。


「そんなことなら普通に来たらええやん」


「いいのか?」


「ええよ」


「奈々が決めていいの?」


「……母さまに聞く」


「やっぱり奈々が決めてないじゃん」


「細かい!」


 奈々が頬を膨らませた。


     ◇


 その日の午後、啓介は村上家を訪れた。


 何度か遊びに来た記憶はある。


 それでも、二〇〇五年までの感覚で改めて見ると、越智家との違いはどうしても目についた。


 家が広い。


 庭もよく整えられている。


 柱も太い。


 同じ村の中でも、暮らし向きが明らかに違う。


 玄関で声を掛けると、奈々の母である綾乃が出てきた。


「あら、啓介くん」


「こんにちは」


「こんにちは。この間は奈々を送ってくれてありがとうね」


 一瞬、何のことかと思ったが、すぐに盆祭りの夜を思い出した。


 奈々の草履の鼻緒が切れ、家までおぶって帰った。


「ああ、いえ。あれくらい」


「夜道だったでしょう。助かりました」


 綾乃が丁寧に頭を下げるので、啓介の方が慌てた。


「いや、本当に大したことじゃないです。それに……俺も祭り、楽しかったので」


「まあ」


 綾乃が微笑む。


「奈々も、とても楽しそうでしたよ」


「母さま!」


 奥から奈々の声が飛んできた。


 見ると、少し顔を赤くしてこちらを睨んでいる。


「余計なこと言わんで!」


「何が余計なの?」


「もう!」


 奈々の反応がおかしくて、啓介は思わず笑った。


「啓ちゃんまで笑うな!」


「いや、別に」


「笑っとるやん!」


 綾乃はそんな二人を眺めながら、楽しそうに目を細めた。


「新聞でしたね。父の書斎にありますよ」


「いいんですか?」


「もちろん。ただし、ずっと新聞ばかり読んで奈々を放っておかないでくださいね」


「母さま!」


 また奈々の声が飛んだ。


     ◇


 新聞を広げてみると、当然ながら二〇〇五年のものとはずいぶん違っていた。


 活字も文章も古い。


 それでも、読めないほどではない。


 政治や経済、中国の情勢、欧州の動き、軍事、国内の事件。


 気になる記事を一つずつ追っていく。


 概ね、自分の知っている通りだった。


 ただし、歴史の教科書で読んだ時とは、印象がまるで違う。


 教科書の歴史は、すでに結果が分かっている。


 世界恐慌が起こり、その後に満州事変が起き、やがて戦争へ向かっていく。


 後世から見れば、その流れを一本の線として眺めることができる。


 だが、今は違った。


 新聞に載っているのは、その日に起きた出来事だけだ。


 誰も、この先に何が起きるのか知らない。


 当然のことだった。


 それなのに啓介には、それが妙に新鮮に感じられた。


「……これが現在なんだな」


「何が?」


 横から声がして、啓介は顔を上げた。


 奈々が新聞を覗き込んでいる。


「何でもない」


「さっきから何がおもしろいん?」


「世の中」


「世の中?」


「新聞読むと、いろいろ分かるだろ」


 奈々はしばらく啓介の顔を見ていた。


「……やっぱり変」


「またかよ」


「前まで新聞なんか全然読まんかったやん」


「人は成長するんだよ」


「数日で?」


「成長する時はする」


「ふーん」


 まったく信用していない顔だった。


     ◇


 それから啓介は、雨で畑仕事ができない日には、町の図書館へ足を運ぶようになった。


 近いわけではない。


 それでも歩けない距離ではなかったし、これから先のことを考えるなら、知識はいくらあっても困らない。


 歴史だけでは足りない。


 地理や産業、政治、軍事についても、手に取れるものから読んでいった。


 調べれば調べるほど、この世界はやはり自分の知る歴史の延長線上にあるようだった。


 少なくとも今のところ、大きな違いは見つからない。


 それは安心できることでもあり、恐ろしいことでもあった。


 このまま何も変わらなければ、日本は戦争へ向かう。


 そして敗れる。


 だからといって、十一歳の農家の子供に何ができるのか。


 金もない。


 権力もない。


 誰かに未来の話をしたところで、信じてもらえるとは思えない。


「何ができるんだろうな……」


 図書館の机で、啓介は小さく息を吐いた。


 それでも、何もしないというのは嫌だった。


 ならば、今できることから始めるしかない。


 まず、勉強する。


 知識をつける。


 将来どんな道へ進むにしても、それが無駄になることはない。


 そう考えて本を読み進めているうちに、啓介は一つ妙なことに気づいた。


「……俺、こんなに物覚え良かったっけ?」


 一度読んだ内容が、思った以上に細かく頭へ残っている。


 試しに本を閉じ、さっき読んだ数字や固有名詞を思い返してみた。


 かなり正確だった。


 別の頁でも試してみる。


 やはり覚えている。


「…………」


 以前より、明らかに記憶に残りやすい。


 なぜなのかは分からない。


 ただ、使えるものなら使えばいい。


 畑仕事を始めてから、身体についても分かってきた。


 十一歳だから筋力そのものはまだ弱い。


 それでもよく動くし、疲れても一晩眠ればかなり回復する。


 毎日土の上を走り回り、畑仕事を手伝ってきた身体なのだから、それほど不思議なことでもないのかもしれない。


「……鍛えてみるか」


 ぽつりと呟く。


 なら、頭も身体も鍛えておこう。


 将来何をすることになるのかは、まだ分からない。


 けれど、何をするにしても、学力と体力が邪魔になることはない。


     ◇


 それから、啓介の日課は少し変わった。


 朝は畑へ出る前に走る。


 無理のない範囲で身体を鍛える。


 畑仕事を手伝い、空いた時間には本を読む。


 夏休みの宿題はもう終わっていたので、学校で使う教科書も少しずつ先へ読み進めた。


 最初は重吉もトヨも不思議そうに見ていた。


 そのうち、何も言わなくなった。


 いや。


「今年はどうしたんじゃろねえ」


 陰では、まだ言われていた。


     ◇


 ある日の午後。


 啓介は縁側近くの机に向かい、本を読んでいた。


 文章を読み、気になるところを紙へ書き写す。


 少し考えてから、また読む。


 しばらくして、背後に人の気配を感じた。


 気づかないふりをして、そのまま読み続ける。


「…………」


 やけに静かだ。


 そのうち、恐る恐るといった調子で声がした。


「……啓ちゃんが勉強しとる」


 啓介は本から顔を上げた。


「何だよ、その言い方」


 奈々が、本気で驚いた顔をして立っていた。


「いや……」


「何」


「ほんまに啓ちゃん?」


「俺だよ」


 奈々はまだ疑っている。


「宿題、もう終わったんやろ?」


「終わった」


「畑も手伝いよる」


「うん」


「新聞読むようになった」


「うん」


「図書館も行きよる」


「うん」


「朝、走りよる」


「うん」


「今も勉強しよる」


「そうだね」


 奈々は腕を組み、真剣な顔で考え込んだ。


「……誰?」


「俺だって!」


 奈々が吹き出した。


「あははっ!」


「そんなにおかしいか?」


「おかしい!」


「失礼だな」


「だって啓ちゃんやもん」


「どういう意味だよ」


「前の啓ちゃんはもっと……」


 奈々は少し考えた。


「馬鹿やった」


「おい!」


「あははは!」


「待て!」


 啓介が立ち上がると、奈々はすぐ庭へ逃げた。


「捕まえてみい!」


「勉強の邪魔するな!」


「偽物やったら捕まえられんもん!」


「本物だ!」


「証明して!」


「どうやってだよ!」


 啓介は奈々を追いながら、ふと思った。


 戦争のこと。


 未来のこと。


 自分がここへ来た理由。


 考えなければならないことは、山ほどある。


 それでも今は、まだ十一歳だ。


 勉強して。


 働いて。


 走って。


 友達と遊ぶ。


 そういう時間まで捨てる必要はない。


「待て、奈々!」


「嫌やー!」


 二人の笑い声が、夏の庭に響いた。


 夏休みが終わろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。