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第十三話「いおりの選択」

■ 登場キャラクター紹介

【01】いおりとゆめ

https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3662171/

【02】ななみとリリカ

https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3662784/


■前作「銀色の結晶」すずの記録室アーカイブ

※前作の登場キャラクター情報も含まれています。

https://ncode.syosetu.com/n7557ma/1/

二日目の朝、ななみはゆめに頼んだ。


「いおりさんのことを、教えてもらえますか」


ゆめはすぐには答えなかった。

少しだけ考えて、それから静かに頷いた。


「どこまで話せばいいですか」


「全部」


答えた声は、自分で思っていたより落ち着いていた。

けれど、その一言の中に、ななみが今まで知らずに避けてきたものが全部入っている気がした。


村の外れ。

朝の光がまだ弱い時間帯に、二人は並んで腰を下ろした。


広場の方では、リリカがいおりと一緒にいた。

ゆめがななみと話したいのだと察したのか、自然に距離を作ってくれている。


そういうところは、リリカはいつも素直だと、ななみは思った。

勢いで動くのに、人の空気を読むところではきちんと読める。


ゆめが、話し始めた。


挿絵(By みてみん)


最初は、淡々とした声だった。感情を消しているわけではない。

ただ、順番を間違えないように、崩れないように、一つずつ置いていく声だった。


アムネシアという隔離施設のこと。結晶病という、静かに身体を蝕む病のこと。

音を発することすら許されない場所で、少女たちが記憶を燃料にして戦っていたこと。


ななみは、黙って聞いていた。


一言一言が、胸の奥へ沈んでいく。


知らなかった。


自分が管理局で力をつけている間、いおりは別の場所にいた。

守るための力を身につけようと、自分なりに必死で前に進んでいたその時間に、いおりもまた、別の形で戦っていた。


知らないまま、何年も過ぎていた。


「いおりは、リーダーでした」


ゆめが言った。


ななみは、少しだけ息を止めた。


「リーダー」


「みんなの前では、いつも完璧で、いつも笑っていました。でも本当は、一番消耗していました」


その言葉に、ななみは覚えがあった。


いおりは昔からそういう子だった。小さい子の前では、自分が泣きたい時でも笑っていた。

転んで痛いはずなのに、先に周りを安心させようとしていた。


あれは優しさだったのだと思う。

でも同時に、誰にも見せない癖でもあった。


変わっていなかった。


変わっていないことが、ななみには嬉しいような、悲しいような気持ちにさせた。


「あの場所では」


ゆめが続ける。


「記憶が戦う力になります。使うたびに、少しずつ消えていきます」


ななみの手が、わずかに震えた。


「少しずつ」


「はい。大切なものからではありません。順番は選べない。でも、使えば使うほど、確実に減っていきます」


風が吹いた。

朝の空気は冷たいのに、ななみの指先だけが熱を失っていくようだった。


「いおりが失った記憶は」


問いかける声が、少しだけ硬くなる。


ゆめは一度だけ目を伏せた。


「私との記憶が、最後まで残っていました」


その言葉で、ななみはゆっくり瞬きをした。


「最後まで」


「いおりは、私のことだけは忘れたくないと言っていました。でも最後は、それも使わなければならなかった」


「なぜ」


問いは短かった。

けれど、その一言の中に、ななみの動揺は十分に出ていた。


ゆめは、はっきりと答えた。


「誰かを守るために」


ななみは、しばらく言葉を失った。


誰かを守るために。

自分の記憶を全部使った。


それが、いおりだった。


守られる側ではなかった。ただ待っているだけの子でもなかった。

いおりは、自分で選んで、誰かのためにそこに立っていた。


その事実は、ななみの中の「守れなかった」という言葉の形を、静かに変えていった。


「左手のことも」


ななみはようやく口を開いた。


「教えてもらえますか」


「結晶病の症状です」


ゆめの声に、少しだけ硬さが混じる。


「いおりの左手には、結晶が指の形に増殖していました。

だから、指が一本多い形になっているんです。特注の手袋が必要になりました」


ななみは目を閉じた。


あの白い手袋の意味を、子どもの頃から何となく知っていた。

でも詳しくは教えてもらえなかった。


大人たちは言った。


いおりのことは、そっとしておきなさい。


その言葉の意味が、今になってようやく輪郭を持った。

あれは単なる秘密ではなく、痛みそのものに触れさせないための言葉だったのかもしれない。


「最後に一つだけ」


「はい」


「いおりは」


ななみは、少しだけ喉を詰まらせた。


「戦っていた時、苦しかったですか」


ゆめは、すぐには答えなかった。


視線を遠くへやって、少しだけ間を置く。

それから、静かに言った。


「苦しかったと思います」


ななみは黙ってその続きを待った。


「でも」


ゆめが言う。


「後悔はしていないと思います。少なくとも、私にはそう見えました」


ななみは、ゆっくり目を開けた。


空が青かった。

ひどく普通の朝だった。


こんなに普通の朝に、こんな話を聞いていることが少しだけ不思議だった。


「ありがとうございます」


「いいえ」


「話してくれて」


「ななみさんに、話すべきだと思ったので」


ゆめが、ななみを見る。


「ななみさんは、ずっといおりを守りたかったんですよね」


「……はい」


「守れなかったと思っていますか」


答えるのに、少し時間がかかった。


「思っていました。ずっと」


「今は」


ななみは、すぐには言えなかった。


「今は、分からなくなっています」


「どうしてですか」


「いおりは、誰かを守るために記憶を使い果たした。それは、いおり自身が選んだことです。

私が守れなかった、という言葉だけでは片づけられない気がします」


ゆめが、静かに頷く。


「そうだと思います」


「でも、割り切れるかどうかは別の話です」


「はい」


「まだ、整理できていません」


ゆめは少しだけ目を細めた。


「整理できなくていいと思います」


「……え?」


「整理できないまま、それでもここにいる。それで、十分だと思います」


ななみは、その言葉をそのまま受け取った。


正しい整理の仕方なんて、たぶん今の自分には分からない。

分からないまま、それでもいおりのそばに来てしまった。


それでもいいのだと言われた気がした。


昼過ぎ、ななみはリリカに話した。


広場の外れで、二人で並んで座って。

ゆめから聞いたことを、できるだけ正確に伝えた。


アムネシアのこと。結晶病のこと。記憶を使って戦っていたこと。

いおりがその中でリーダーだったこと。最後まで残っていたものまで使わなければならなかったこと。


リリカは、黙って聞いていた。


いつものリリカらしくなかった。

何度か口を開きかけたが、そのたびに飲み込んで、最後まで聞こうとしていた。


話し終えると、少し長い沈黙が落ちた。


最初に声を出したのは、リリカだった。


「そっか」


小さな声だった。


「はい」


「いおりちゃんが、そんな場所にいたんだ」


「はい」


「一人で、みんなのために笑い続けて」


「はい」


「記憶を全部使って」


「……はい」


リリカが、小石を取り出した。

琥珀色の、小さな石。手のひらに乗せたまま、じっと見つめている。


その手が、わずかに震えていた。


「この石、渡した時のいおりちゃんの顔、覚えてる」


ななみは、その石を見る。


「どんな顔でしたか」


リリカが、少しだけ笑った。

でも、目は赤かった。


「ちょっと照れてた。自分からきれいって言ったくせに、結局『リリちゃんが持ってて』って。

そのあと、照れ隠しみたいに砂いじり始めて」


あの頃の景色が、リリカの声の中でちゃんと息をしていた。


「いおりちゃん、そういうところあったんだね。自分のことを後回しにして、誰かのために何か残していくところ」


「はい」


「ばか」


リリカが言った。


ななみは少しだけ首を傾げる。


「誰に向けてですか」


「いおりちゃんに。会ったら、そう言ってやりたい。ばかだって」


「会いますか」


「会う。ちゃんと会って、ばかって言って、それからありがとうって言う」


ななみは、リリカを見た。


「順番が逆では」


「逆じゃないです。ばかって言うのが先です」


その言い方が妙に真剣で、ななみは少しだけ考えた。


「……そうかもしれません」


リリカが、少しだけ笑う。


「ななみさんは、いおりちゃんに何を言いたいですか」


ななみは、すぐには答えられなかった。


何を言いたいのか。

ずっと考えてきたようで、実はそこをまともに考えたことがなかった。


会うことだけを目標にしてきた。

見つけることだけを、ずっと先に置いてきた。


会ったあと、何を言うのか。

何を残したいのか。


そこはまだ空白だった。


「まだ、分かりません」


リリカは、その答えに頷いた。


「それでいいと思います」


「なぜ」


「会ってから決まることもあるから。

今ここで綺麗に決めた言葉より、会った時に出る言葉の方が、本当な気がします」


ななみは、広場の方を見る。


いおりが、ゆめと話している。

穏やかな顔で、少しだけ笑っていた。


安心した顔だった。


「リリカさん」


「何ですか」


「あなたが来てくれて、良かったと思っています」


リリカが、目を丸くした。


「ななみさんが、そんなこと言うの珍しい」


「言うべき時には言います」


「ありがとうございます。私もです」


二人は、しばらく広場を眺めていた。


その夜、リリカの通信端末が震えた。


見知らぬ番号だった。


村に来てから、外部と連絡を取る用件はほとんどない。

少し迷ったが、リリカは出た。


「……はい」


返事をすると、少しだけ間があってから、落ち着いた声が聞こえた。


「リリカさんですか」


若い声だった。

けれど、どこか懐かしい響きがあった。


「はい、そうですが」


「管理局のデータベースで、あなたの記録を見ました。あおぞら幼稚園の出身、と」


リリカは固まった。


あおぞら幼稚園。

その言葉だけで、胸のどこかがざわついた。


「……どちら様ですか」


「同じ幼稚園にいました。あなたより少し下の学年に」


記憶を辿る。すぐには顔が浮かばない。

でも、引っかかるものが確かにあった。


砂場の端。

少し離れたところから見ていた、黒髪の子。話すより、見ている方が多かった子。


「……もしかして」


リリカが息を呑む。


「黒髪の」


向こうが、ほんの少しだけ黙った。


「思い出しましたか」


「ユウリ、ちゃん?」


返事は、短かった。


「はい」


それだけで、昔の景色が少しだけ近づいた。


砂場で、いおりちゃんと穴を掘っていた時。

同じ場所にいたのに、少し距離を取ってこちらを見ていた子。

何を考えているのか分かりにくいのに、ちゃんとその場を見ていた子。


「お久しぶりです」


リリカが言うと、通信の向こうで、ユウリは少しだけ呼吸を置いた。


「そうですね。今、いおりのそばにいますか」


いおり、という呼び捨てに、リリカはまた息を呑んだ。

でも、あの頃から同じ場所にいた子なら、それは不自然ではなかった。


「……はい」


「そうですか」


声が、ほんの少し柔らかくなる。


「良かった」


「ユウリちゃんは、どうして」


「今は、長い説明をしている時間がありません。でも、伝えたいことがあって連絡しました」


リリカは、隣の部屋の扉を見る。

ななみの部屋だ。


「何を」


「あなたとななみさんの人願についてです」


人願。


その言葉を、リリカは黙って受け取った。


「あなたたちの人願は、強いです」 「でも今は、後悔に縛られている」


「後悔」


「いおりを失ったことへの後悔。守れなかったことへの後悔。

その後悔が動機になっている間は、人願の本当の力は出ません」


リリカは何も言えなかった。


否定したかった。

でも、否定できなかった。


「いおりを取り戻したいのか。それとも、いおりが愛した今を守りたいのか」


ユウリの声は静かだった。

責めるでもなく、感情を煽るでもなく、ただ輪郭を与えるみたいに言葉を置いていく。


「その二つは、似ているようで違います」


「どう違うの」


「前者は、いおりのためだけではないからです。あなたたち自身の空白を埋めたいという願いが、そこに混ざる」


リリカは、小石を握りしめた。


その言葉は刺さった。

刺さった上で、きちんと届いた。


自分はいおりちゃんに会いたかった。

会って、確かめたかった。自分が置いていかれた理由のない空白を、何かで埋めたかった。


それは、たぶん本当だ。


「じゃあ」


リリカは、少しだけかすれた声で言う。


「今のいおりちゃんを見て、安心したって思ったことは」


「大事です」


ユウリがすぐに答えた。


「それを守りたいと思うこと。それが、今のあなたたちの人願になるべきだと思います」


リリカは、黙って目を閉じた。


いおりが笑っていた。

覚えていなくても、安心した顔で。ゆめの隣で、穏やかに生きていた。


それを壊してまで、取り戻したいのか。


その問いに、もう前と同じ形では答えられなかった。


「ユウリちゃんは」


リリカが言う。


「いおりちゃんのこと、今も覚えてるんだね」


通信の向こうで、少しだけ沈黙があった。


「覚えています」


短い答えだった。

でも、その短さの中に長い時間が入っているのが分かった。


「だから、あなたたちに伝えたかった」


挿絵(By みてみん)


通信は、そこで途切れた。


短い電子音だけが残る。


リリカは、しばらく端末を持ったまま座っていた。


それから立ち上がり、隣の部屋のドアをノックした。


「ななみさん、起きてますか」


少し間があった。


「起きています」


「少し、いいですか」


ドアが開いた。

ななみが立っていた。


まだ服を着たままだった。眠れていなかったのかもしれない。

あるいは、自分と同じように、考え続けていたのかもしれない。


「通信が来ました」


「聞きました」


「え?」


「壁が薄いので」


リリカは目を丸くした。

それから少しだけ笑った。


「じゃあ、だいたい全部聞こえてたんですね」


「ほとんど」


「どう思いましたか」


ななみは、少し間を置いた。


「正しいと思いました」


「どの部分が」


「全部です」


リリカは、その答えを静かに受け取った。


ななみがここまで迷いなく言う時は、たぶん本当にそう思っている。


「ななみさんも、取り戻したいと思ってましたか」


「思っていました」


「今は」


「今は、違います」


「いつ変わったんですか」


ななみが、窓の外を見る。


「いおりの顔を見た時です」


リリカも、同じ方を見る。


夜空に星が出ていた。


「覚えてなくても、安心していたから」


リリカが呟く。


「はい」


「それを見て、変わったんですね」


「たぶん」


少しの沈黙があった。


「ユウリちゃん、変わってなかったな」


リリカが小さく言う。


「知り合いなんですね」


「うん。あの砂場にいた、あの黒髪の子。たぶん、ずっと見てたんだね。私たちのことも、いおりちゃんのことも」


ななみは、その言葉を聞いて少しだけ頷いた。


「そういう人だからこそ、あの言葉を言えたのかもしれません」


二人は、しばらく黙っていた。


「明日、話しましょう」


ななみが言った。


「はい」


「今夜は、少し考えます」


「私も」


リリカは自分の部屋に戻った。


ドアが閉まる音がして、また静けさが戻る。


ななみは、しばらく窓の外を見ていた。

リリカも、隣の部屋で同じように夜空を見ていた。


それぞれの部屋で、同じ星を見ていた。


同じ空を見上げながら、少しずつ願いの形が変わっていくのを感じていた。


第十三話:いおりの選択――完

キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。


もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、前作『銀色の結晶』も併せて手に取っていただければ幸いです。


■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。

https://ncode.syosetu.com/n7557ma/


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https://x.com/gin_no_sakura_y?s=21

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