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第一話「鉄と祈り」

■ 登場キャラクター紹介

【01】いおりとゆめ

https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3662171/

【02】ななみとリリカ

https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3662784/


■前作「銀色の結晶」すずの記録室アーカイブ

※前作の登場キャラクター情報も含まれています。

https://ncode.syosetu.com/n7557ma/1/

挿絵(By みてみん)


——ななちゃん、また来てくれたの。


幼い声だった。

記憶の底に沈めたはずの声。二度と聞けないはずの声だった。


ななみは、はっと目を開けた。


銀色の霧が、街を飲み込もうとしていた。


路地の角に身を潜め、ななみは対象を見据える。

右手の手袋を握り直すと、黒い革がかすかに軋んだ。いつもと同じ感触。けれど、今日の霧は重い。


胸の奥に、嫌なざわめきが残っている。

あの声を思い出す日は、決まって霧が重い。


「レイヤー深度、B2。浸食範囲、半径八十メートル」


耳の奥で、オペレーターの声が告げた。


返事はしない。数字はもう頭に入っている。

必要なのは言葉ではなく、判断だ。


霧の中に、人影がある。


ハザードレイヤー。

街を蝕む、感情の残骸。誰かの後悔や執着が濃く滞留し、霧となって現実を侵す。

深く触れた人間は動けなくなり、輪郭を曖昧にされ、ひどいときにはそのまま街に溶ける。


助けを求めているのか、ただ立ち尽くしているだけなのか、この距離では分からない。


どちらでも、やることは変わらない。


ななみは路地を出た。


霧が肌に触れた瞬間、ひやりとした重みが全身をなぞった。

誰かの未練。誰かの後悔。名前も顔も知らない誰かの痛みが、粘つくようにまとわりついてくる。


ななみは目を細め、それを受け取った。


受け取るだけでいい。

引きずらない。呑まれない。それが訓練で叩き込まれたやり方だった。


右手を前に向け、静かに力を解放する。


挿絵(By みてみん)


霧が、収縮した。


外側から内側へ。乱雑に広がっていた銀色の層が、見えない手で折り畳まれるように一点へと寄せられていく。

霧の震えが、かすかな金属音にも似た軋みを立てた。


ハザードレイヤーは管理できる。

制御できる。正しい手順で、正しい方向に向ければ、必ず収まる場所がある。


それが、ななみの確信だった。

二年間、一度も失敗したことがない。


霧が完全に消えたとき、路地に取り残されていた老人が膝から崩れ落ちた。


ななみはすぐに駆け寄り、その肩を支える。

老人の体は驚くほど軽かった。


「大丈夫ですか」


「あ、ああ……急に、足が……」


「もう動けます。レイヤーは消えました」


老人はぼんやりとした目でななみを見上げた。何が起きたのか理解できていないのだろう。

その目が少しずつ焦点を取り戻していくのを確認し、ななみは小さく息を吐いた。


理解できなくてもいい。

生きていれば、それでいい。


完了報告を入れ、来た道を戻る。


任務終了。

所要時間、四分十二秒。被害者一名、負傷なし。レイヤー残滓ゼロ。


完璧だ。

いつも通り、完璧だった。


——そのはずなのに、胸の奥のざわめきだけが消えない。


管理局の支局へ戻る途中、ななみはいつもの道を通る。


復興工事が続くこの街は、表通りだけ見ればもう普通だ。

商店が並び、人が行き交い、子供たちが走り回っている。


レイヤーが発生すれば管理局が処理し、住民はまた日常へ戻る。

その繰り返しで、この街はどうにか立っている。


けれど、裏通りに入ると話は変わる。


ななみは足を止めた。


古いアパートの壁に、落書きがある。大きな人と小さな人が、手を繋いでいる。

色はとうに雨風に削られ、線もかすれているのに、まだ消えていない。


いつ誰が描いたのかは知らない。

けれど、この道を通るたびに、ななみはここで立ち止まる。


誰かが、誰かを思って描いた絵だ。


守れた。

今日も、守れた。


そう思うたびに、別の問いが胸の底から浮かび上がる。


——じゃあ、どうして。


手袋の中で右手をゆっくり握る。

革の感触が、答えの代わりに手に馴染んだ。


答えは出ない。

二年間、一度も出たことがない。


支局に戻ると、受付近くにいた同僚がこちらに気づいて顔を明るくした。


「お疲れ様です、ななみさん。B2を四分で無傷処理って、また記録更新じゃないですか」


「そう」


「いや、そこで“そう”で済ませるのが本当に——」


「次の任務は」


同僚は言葉を飲み込んだ。ほんの少しだけ、困ったような顔をする。


「……明後日です」


「分かった」


それだけ答え、ななみは自分のデスクへ向かった。

背中に何か言いたげな気配を感じたが、振り返らない。


褒められることには慣れている。

期待されることにも慣れている。


ただ任務をこなす。

ただ守り続ける。


それだけでいい。

そうでなければ、ここにいる意味がない。


デスクに着き、報告書を開く。場所、時刻、レイヤーの規模、対処法、結果。

数字と事実だけで構成された、感情の入り込む余地のない書類。


ななみは、こういうものが好きだった。


曖昧さがない。正誤がある。

制御できる。管理できる。


ペン先が紙を走る。


そのとき、窓の外から子供の笑い声が聞こえた。


指が止まる。


似ている、と思った。さっき夢の中で聞いた声に。

もっと昔、確かにすぐそばで聞いていた、あの子の声に。


ななみは顔を上げた。窓の向こうで、夕暮れの街が滲んでいる。

子供たちの姿は見えない。ただ、笑い声だけが残響みたいに耳の奥に引っかかった。


あの子は今、どこにいるのだろう。


どんな顔をしているのだろう。覚えているだろうか。

親戚の集まりで一緒に庭を走ったことを。転ぶたびに笑って、泥だらけの手で服の裾を掴んできたことを。


ペン先が、紙の上で小さな染みを作った。


考えても意味はない。

そう思い直しても、考えてしまう。


あの子は、ある日を境に消えた。


大人たちは何も教えてくれなかった。施設に入った、とだけ言った。

どんな施設なのか、どうして連絡が取れないのか、その先は誰も話さなかった。


あの子が消えてから二年後。

ななみは管理局の門を叩いた。


守れなかったという事実を、他の何かに変えたかった。

無力だった過去を、手順と訓練と規則で押し込めたかった。


四年。

血の滲むような訓練と、感情を削るための適応期間を経て、ななみは特別執行官になった。


十九歳では異例だ、と周囲は言った。

けれど、そんなことはどうでもよかった。


必要だったのはただ一つ。

二度と、取りこぼさないための力。


管理と制御。

その二つの言葉だけが、過去の自分を黙らせてくれる盾だった。


ななみはペンを持ち直し、報告書の続きを埋める。

黒いインクで、今日という一日を処理していく。完了。異常なし。記録保存。


それで済めばよかった。


夜になると、ななみは街の外れへ向かった。


誰に指示されたわけでもない。

誰かに知られている習慣でもない。ただ、任務のあとにはいつもそこへ行く。


街明かりが薄くなり、舗装の荒れた道を抜けた先に、その廃墟はある。

かつて何かの施設だったらしい建物の残骸。窓ガラスは割れ、壁は崩れ、鉄骨の一部が夜空に黒く突き出ている。


今では誰も近寄らない。

管理局でも、ここを詳しく知る者は少ない。


ななみ自身も、本当は何も知らない。


それでも、この場所の前に立つと息がしやすくなる。

理由を言葉にしかけるたび、喉の奥で何かが止めた。


廃墟の前で足を止め、ななみは夜空を見上げた。


「また守れた」


誰に向けるでもなく、呟く。


「今日も、守れた」


返事はない。

当然だ。返ってくるはずがない。


それでも、この場所に来るたび同じ言葉を口にしてしまう。

まるでそれが、どこかにいる誰かへの報告であるかのように。


「……あなたは、どこにいるの」


夜風が吹き抜けた。

崩れた壁の隙間で、何かがかすかに鳴った。


ななみは視線を落とす。


壁面の一角に、古い文字が刻まれていた。

塗装は剥げ、風雨に削られてほとんど読めない。けれど、その文字を見るたびに、胸の奥が鋭く痛んだ。


読めないはずなのに。知らないはずなのに。

どうしてか、そこに自分の知らない過去が埋まっている気がする。


右手の手袋を、もう一度握り直す。


明後日も任務がある。

守るべき街がある。守るべき人がいる。


それだけで十分だ。

それだけで、動き続けられる。


そう自分に言い聞かせて、ななみは踵を返した。


足音が遠ざかる。

やがて、夜の中に溶けていく。


その背を見送るものは何もない。

廃墟だけがそこに残り、風にさらされた壁の文字だけが、わずかに月明かりを返していた。


——AMNESIA。


挿絵(By みてみん)


次の瞬間。


廃墟の亀裂の奥で、何かが脈打った。


どろり、と。


銀色の霧が、内側からあふれ出す。


それはただのレイヤーではなかった。

街で処理してきたものよりも濃く、重く、まるで長いあいだ名前を呼ばれるのを待っていたもののように、静かに、確かに、この世界へ滲み出していた。


第一話:鉄と祈り--完

第一話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


本作『銀色の産声』は、前作『銀色の結晶』に続く物語として執筆しました。


前作で大切にしてきたテーマ――記憶、喪失、そして不確かな世界で誰かのそばにいようとする意志――を今作でも軸に据えつつ、今回はさらにその先にある「再生」を自分自身の言葉で描き出したいと思い、筆を執りました。


執筆にあたっては、継続読者様には懐かしく、新規読者様には新鮮に感じていただけるよう構成を工夫しています。

前作の持つ独特の空気感はそのままに、身体的・精神的な残酷描写は少し控えめにし、その分、キャラクターたちの内面の機微や心の葛藤を深掘りするストーリーを目指しました。

物語としての「読みやすさ」も模索し、より多くの方の心に寄り添える作品になればと願っています。


設定面では、今回もAIとの対話を重ねて細部まで練り上げ、本編に加えて物語の裏側を紐解く「回想」を交互に織り交ぜた全33話の構成となりました。

この第一話は、彼女たちが歩む長い旅路の、ほんの入り口に過ぎません。


本作は、少女たちの内側で起きている変化や救済を丁寧に描くことに重きを置いています。

少し重い背景を背負った物語ではありますが、最後までお付き合いいただけたなら、きっとタイトルの『産声』という言葉に込めた意味を感じ取っていただけるはずです。


また、本作は単体でもお楽しみいただけるよう構成しておりますが、キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。

もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、前作『銀色の結晶』も併せて手に取っていただければ幸いです。


銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。

https://ncode.syosetu.com/n7557ma/


これから毎日1話ずつ投稿していきます。

彼女たちが本当の名前を叫び、自分自身を取り戻していく過程を、共に見守っていただけたら嬉しいです。

次回もよろしくお願いいたします。


銀のさくら

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