28 神様ではないあなた
あんな話をしたのに、太陽は普通に沈んで普通に昇って、いつも通りトラニ様が来た。
いつも通りではないかもしれない。ちょっと前までトラニ様は連日は来なかったはずだから。
ノックの音に対して私は鍵を開けなかったし返事もしなかったけれど、遠慮がちながらも当然のように扉は開いてその人は寝そべる私の前に膝をついた。
「昨日から食事は食べたか」
「……食べましたよ。死にたくないので」
「そうか。であればいい」
棘のある言葉を、なんてこともないようにトラニ様は受け止め、心の底からほっとしたように口元を緩める。
「……なにかしたいことはあるか?」
「ここから出してください」
「……庭までなら構わない」
一瞬動きを止めたトラニ様は、そんな言葉遊びみたいな返しをした。
私がそれに言い返そうとすると、人差し指を立てて「静かに」のジェスチャーをされる。
その指を使いそのまま空中を一瞬なぞると、改めて私に向き直りごくごく抑えた声で話す。
「……あまり不用意な発言をするものではない。どこで誰がなにを聞いているかわからない」
話のわからない子供を諭すような口調に、思わずムッとする。
「昨日は普通に話してたのに?」
「昨日はああいう風になるだろうと薄々わかっていて事前に対策をしていた。が、あれは何度も使うようなものではない。昨日あれだけの時間使って十分不審に思われている。今日も長時間使うわけにはいかない」
「……」
「わかってくれ。あなたを監視しているのは私だけではない」
「でも、だとしてもトラニ様だったらそれもぜんぶ魔法でどうにかできたりしないんですか。ほら、宙みたいに記憶をコントロールしたり……」
どうしても昨日の話の続きがしたいわけじゃない。
でも、これはただ気になるので突っ込んだ。宙ができたのだから、きっとトラニ様だってできるはずだし、そうすればいいように思う。
「……あなたは私を随分と高く見積もっているようだな」
「……」
「しかし、私の魔術も万能ではなく絶対でもない。この国の中でも私より優れた術者ももちろんいる」
ひどく複雑そうな顔でトラニ様はそんなことを述べる。
私としては、なんだか、元神様の羽が解体されていくのを見ている気分だった。なんでもできると思っていた神様だけれど、やはりこの人は神様じゃないし、万能じゃない。
その感情には独特の感慨ともの悲しさがあった。
「……私たちの目論見が明るみに出たとき、首が締まるのは私だけではない。あなたもなのだ」
私の感傷は置いておいて、トラニ様が言うことには納得した。
たしかにこういった話__私が逃げたがっていることがばれるような内容を、なにも気にせず話すのは悪手だし、二日連続で長時間この魔法を使わせるのはよくないのだろう。
「トラニ様が言ってることはわかりました。じゃあ、もーいいんで、せっかくなのでお庭つれていってくださーい。お庭が外か問題はありますけどね」
「部屋の外ではあるだろう」
「そういう話じゃないですけどね」
「……ははっ」
軽やかに笑うと、トラニ様は先ほどなぞったあたりの空中を払うような動きをしながら掴んだ。
「それでは行こうか。外に」
差し出された手をなんとなくとらずに、私はトラニ様を追い抜いてドアを思いっきり開けた。
* * * *
「この草って食べれるんですかね?」
「知らないが、そもそも食べようとしないでくれ」
だって気になったんだもん。
おそらく少しだけ暖かい時期を迎え始めたこの国の冷え冷えとした土の上で、淡い緑はよく目立つ。天ぷらにしたらおいしそうな感じで、さっと揚げてみたくなる。
まぁ、日本にいたころは自分で天ぷらを揚げたことなんてないけど。
「私たちの国ではこういう草を、天ぷらとか、和え物にしたり、おかゆに混ぜたりとかいろいろするんですよ」
「興味深い食文化かつ、ぜひ私も体験してみたいと思う。が、今軽く魔術を使って調べてみたところこの草は毒だ」
「えー、そうなんですか?残念」
「……その辺の草や虫を適当に食べてうっかり昇天、とならないようにぜひとも気を付けてくれ」
「ハハハ、その辺の虫はさすがの私も食べないですよ」
蜂の幼虫は気になるな~と思ってるけど、さすがに自分で回収して食べようとは思わないし。
「その辺の草もぜひともやめてくれ」
「一応調べてから食べるようにはしますよ」
「いつでも私が調べるから、食べる前にせめて声をかけてくれ」
「じゃあ、私とずっとぴたーっと一緒にいてくださいね。私が食べたくなったときにすぐに調べられるように。トラニ様は私の野草調べ係です」
「……随分と名誉な仕事だ」
私が引っこ抜いた毒草を、トラニ様はさりげなくとりあげながら楽しげに口の端を持ち上げる。
「こんなにすごくてなんでもできるトラニ様に私専属の野草調べ係とか超どうでもいい名誉職させてたら、あっという間に転職されそうです」
「報酬次第だな」
「じゃあ、10個食べられる草を見つけるごとに10毒草プレゼント」
「……ゴミを渡しているだけじゃないか」
「気づいちゃいましたか」
ついにトラニ様は声をあげて笑って、私も思わずつられて笑う。
きれいな白と黒の髪が笑うトラニ様に合わせて揺れて、太陽の光をキラキラと反射する。
本当に、非現実的なまでに美しい人。神様みたいだ。
だけど、この人は人間なのだ
この人は私の神様ではなくなってしまった。万能でもないし、私を救ってくれる予定が明確にあるかもよくわからない。
__でもやっぱり、私はこの"人"が……好きなのだと、思う。
神であろうとあるまいと、零落しようと、一緒にこうやって笑う時間が好きだ。
むしろ、人であってくれてよかったかもしれない。人間だから、こうやって私と笑いあってくれる。一緒にいてくれる。共感してくれる。それは、とても幸福なことだと思う。
ただ同時に、この人は"人"だから、悩んでいる。苦しんでいる。迷っている。救済の契約も、ハッピーエンドの確約もない。
「そろそろ戻るか?」
「私はまだもうちょっといたいですけど……トラニ様はいいんですか?こんなことに時間を浪費して」
「こんなこと?」
「トラニ様の貴重な時間を、こんな超どうでもいいお散歩だとかおしゃべりにつき合わせちゃっていいんですかーってことですよ。ほら、ほかにやりたいこととかもあるかなって」
「特になにも」
「趣味とか」
「考えたこともない」
「……」
特に考える様子もなく当然のように言われた言葉に、マジかと思わず顔をまじまじと眺めてしまう。
でもそういえば、トラニ様から自分はなにが好きとかそういう話をなにも聞いたことがないかもしれない。シンプルに自分の話をあまりしないだけかと思っていたけれど、そういうことなんだろうか。
「……野草摘みとかどうですか?」
「そんなにあなたは野草が食べたいのか?」
「いや適当に言っただけですけど」
「そこまであなたが野草に興味があるというのならば勉強ぐらいはしておくが」
「いや本当に適当に言っただけなので!!」
高くどこまでも青い空に私の焦った声と、トラニ様の愉快そうな笑い声が吸い込まれていく。
その日は本当に穏やかでいい日だった。




