18 女神のような人
宙とトラニ様の邂逅の翌日。
トラニ様は来る日ではないので来ないし、いつもであればこのタイミングで来るはずの宙もなぜか来ない。
おそらくなにも答えないであろうトラニ様はともかく、宙には色々聞きたいことがあった。私なりにグルグルと一晩考えてみたが、わからないことばかりで、とにかくなにか知ってそうな宙に聞きたいと思っていたのに。
そんな日の、やけに明るい正午の頃だった。
「神殿の者です。あの方がお呼びです」
とてもとても珍しい訪問客がきた。
宙ではなく、トラニ様でもなく、よく手入れされた長い黒髪の綺麗な女の人。
トラニ様の服のデザインをいくらか簡素にしたような白いワンピースのような服を纏った、無表情で私になんの関心もないといった様子の人。
「あの方がお呼びです。異世界の旅人よ、来てくださいますね」
「…あの方とは…?」
女性はなにも答えない。
ただまっすぐとこちらを見つめている。
その態度に色々な懸念だとか不安が過ぎる。
だからといって、逆らえるほどの力もなにもないので、問答無用で巻かれた目隠しの布黙って大人しく受け入れる。
基本、小屋の外に移動する時はこのスタイルだ。道などを覚えられたくないのだろう。
__たぶん、殺されはしない。
宙の言い方から考えるに、私が神様に会うのはここまで直近ではないはず。
目隠しをつけられると、そのまま腕をひかれて歩き出す。そして、しばし歩いた後に声をかけられなにかに乗り込む。おそらくだが、輿的なものだとは思う。
5分だか10分だか揺らされたのち地面に降ろされて、やっぱり目隠しをされたまま手をひかれて歩き出す。段差などがあるときは一応声をかけてくれるが、それにしたっていつか転びそうで怖い。
不安の中足を前に出す作業をしばらく続けると、「では」と声が聞こえて手が離される。
__…え??
いや、待って??
私この状態で放置?というか、目隠しは外していいのだろうか?「では」で外されなかったということは、外すなということか?よくわからない。私はどうすれば…
「よく来ましたね」
クリスタルの精がいたとしたらこんな声を持つだろうという、清らかで可憐な声であった。
私からいくらか離れたところから聞こえるその声は、私の耳にやけに明瞭に響く。
「本日は、私達のためにどうもありがとう。…ねぇ、もっとこちらにいらしてちょうだい」
こちら、というのは前方という意味だろうか?
「こちら」も「もっと」の範囲も曖昧なまま、とりあえず前らしき方向に足をゆっくりと進める。とりあえず、4歩ほど進んでみるが「もっと」と言われるのでさらに前に進む。
最初は恐る恐るだったが、だんだんとここには大した段差もなさそうだと気付きはじめて、先ほどと比べると普通に歩きはじめたがそれは大きな油断だったらしい。
「あっ」
指先がなにかに当たる感覚があった。
まずいと思うも、重心は既にそちらに向かい始めていて手遅れだ。半ばパニックになりながら、「うわぁあああ」と情けない声をあげながらとりあえず腕を前に出して、来る衝撃に向けて覚悟を決める。
「…こんな近くにまで来て良いと言った覚えはありませんよ。…まぁ、目隠しも外れてしまって」
身体に予想していた大きな痛みはなく、むしろ柔らかいものに包まれている感覚がある。そして、なんとなく甘くエキゾチックな香りもする。
打ちどころが悪ければあの世逝きとも思っていたが、異世界に落ちるレベルのアンラッキーを再び引いて天国に来てしまったのだろうか?
いやむしろ、このタイミングで天国にいけるのならラッキーなのかもしれない。
恐る恐る目を開けてみると、とてもとても美しい人が私をクリスタルのように透き通った赤い目で見下ろしていた。
黒真珠の輝きを内包した長く豊かな黒髪も、高くスッと伸びた鼻筋も、ガーネットのように赤く繊細なつくりの唇も、すべてが美しく神々しい。
どうやら、この人が私の身体を支えて転倒を防いでくれたらしい。
__女神だ
思わず、そんなことを思ってしまった。
だが、その人は誰かに似ていて……
「…トラニ様?」
そう、トラニ様をそのまま女性にして黒髪にしたのではないか、という程度には私を包むその人はトラニ様に似ている。顔立ちだけではない。その玲瓏な雰囲気も、なんなら服も似ている。
「ラウズトラニのことでしょうか?それは私たちの弟ですね」
なるほど。であれば納得だ。これで血のつながりがないとされた方が怖い。
そして、あれ?トラニ様の姉ということはもしかすると…
「異世界の旅人よ、あなたはあれと私たち誤認したということなのでしょうか?」
「あ、いや、ただ、似てるなと…」
完全にその人にもたれかかっていた身体を起こしつつ、応答する。
その人は、先ほどから穏やかな笑みを崩さない。しかし、どこかその声音には不服そうな色が混じる。
「__異世界の旅人よ。その言葉は、私たちへの最大級の侮辱なのですよ。ですが、あなたは無力で、無知な存在。だからこそ私たちはあなたを必要としている。ゆえに私たちはその無礼を許しましょう」
「え?えっと、えっと…すみません…?」
迫力に負けてよくわからないまま謝ってしまったが、侮辱?似てると言われたことが?姉弟なのだから当然では?
意味がわからない…と思考が巡ったところで、ふと思い出す。
トラニ様は、見下され蔑まれている存在だといった趣旨のソラの話を。つまりこの人は、そんな存在と自分を似ているなどというな、ということだろうか。自分の弟なのに?
「謝らなくともよいのです。私たちは、ずっとあなたを待っていました。この時代を治める我らの御代には、もしやあなたは訪れないのではと少々憂慮していたのです」
「私を…?」
トラニ様へのド直球の嫌悪と蔑みの手触りにクラクラとしている中で、意図の測りかねる発言に思わず脳内に「?」が浮かぶ。
彼女たちが治める時代には私がこない、ってそれじゃあまるで他の時代には私が来てたみたいだ。
単なる言い間違いなのか?本当に??…あるいは……その推測が当たっていたとしたら胸糞が悪い。
__それにだ。
こんな風に、適当な小屋に入れられて、世間から隠されるように暮らしているのに「待っていた」だなんてどういうつもりなのだろう。矛盾している。
気になることはそれだけじゃない。
先ほどから彼女は「私」とでもいうかのように、「私たち」と自らを称している。
意図は不明だが、なんだかそれが薄気味悪い。彼女の雰囲気も先ほどからの言動も、いや、彼女の全てが、透明で美しいが生の気配が一切ない湖のようだ。
「私たちの名は、ヴェルディス。いずれ神と会う際には、どうかこの名を伝えてね。あなたの助けとなれるかもしれません」
「神と…?」
美しい不気味を前に思わずまじまじとソレをあらためて眺める中で、昨日からずっと頭から離れないワードの登場に耳が反応する。
この人は、たしかに「神と会う」と言ったか?ということは、やはり宙の言ってることは適当な内容ではなかったのか?
__やはり、トラニ様は私になにかを隠している。
私は、どうすればいいんだ…?
昨日から変わらない問いが頭を巡る。
だけどやっぱり私にこたえは見つからない。
本当は今すぐここから逃げ出したい。
でも、逃げ出してどうなるんだ?
宙と一緒に逃げ出してどうにかなる話なのか?
逃げ出したあとはどうなる?
そもそも本当に、逃げ出すなんて可能なのか?
「わ、私は…どうなるんですか?神に会うって、どういうことですか…?」
「……ふふ…哀れな子、私たちはあなたを愛しましょう。白鳥がなにを企んでいるかは知りませんが、神殿はあなたを庇護します」
美しい人は私の質問には答えないままに艶やかに口角を上げ、たおやかな手つきで私の頭を軽く撫でると、それとなんら変わらない手つきで布切れで私の目を閉ざした。




