17 “神様に会う前”に
宙の腕の中で、私は思考の波に押しつぶされてクラクラとしていた。
なにがなんだかわけがわからない。
「救う」ってなんだ?
なぜ、私を大切にすることと、私がこの国を出て行くことを認めることがイコール関係で結ばれるんだ?
私が、このままここに留まっているとなにかが……あるのか?
なにも、わからない。
「ねぇ、トキコ」
耳元で囁かれて、びくりと肩が跳ねる。
視線をあげると、宙がこちらを水色と金の瞳で見下ろしていて、トラニ様も同じくこちらを見ている。
先ほどまではずっと蚊帳の外だったのに、突然舞台の真ん中に上げられてしまった__そんな感覚だった。
突然役者になってしまう不安感に、そしてなにか答えが見えてきそうで未だ見えないその思考を一時停止しなければならない焦燥感に、助けを求めるように宙を見つめ返してしまう。
私を役者にしたのも、思考を停止させなければならないのも、全部宙のせいなのに。
そんな私に宙は満足気に笑って、続きの言葉を歌でもうたうように奏でる。
「トキコはさ、ここに残りたい?それとも__」
頬に触れていた指先が、ゆっくりと私の顎を持ち上げた。
「ジブンと来る?」
優しい声だった。
優しくて、甘くて、もはや毒性すら感じる。
かわいくて目に痛いほどカラフルなキャンディーに「ねぇ、食べて?」と言われている感覚。
なにか言わなきゃとは思う。あるいはなにか聞かないといけない。
けど、頭の中が、真っ白でなにも浮かばない。
「…わ、わかんない…」
やっとのことで、それだけを絞り出す。
なにも決断しない、逃げるだけのいつもの私の言葉。
「そっかぁ」
宙は、残念そうでもなく、ただ楽しそうにその水色と金の眼を細めて笑った。
「まぁ、そうだよねぇ。急に言われても困るよね」
その声音には、本当に困っている人間を気遣うような柔らかさがあった。
さきほどまでの添加物塗れのお菓子のような毒々しさはもうすっかりない。
マジシャンがカードを一瞬ですり替えるかのように、あるいはテレビをリモコンで操作したときのように、パッと場面が切り替わってしまった。
「…そういったことは彼女の…そしてもちろんこの私の一存のみで決められることではない。こういった行為は慎んで頂きたい」
低く、押し殺した声が落ちる。
トラニ様の、苦々しい声。
ずっと黙っていたその人が、ようやく言葉を発した。
「え?なんで?」
それに対し宙は、意図的と思えるほどにゆっくりと瞬きをする。
きょとんとした顔。
なぁんにもわかりません、といったすっとぼけた顔。
「トキコのことだよ?トキコが決めなくちゃ」
「ね?」と無邪気な仕草で宙は首を傾げた。
けれどその瞳だけが、獲物をみつけたハンターのようにどこか冷たく細められている。
「そもそもなんでキミが今ここで口を出すの?トキコに幸せになって欲しいならキミとの利害は一致してるはずだよね?」
くすり、と笑う。
「__それとも、幸せになって欲しいなんておべんちゃら?もっとなにか別の目的があるのかな?」
トラニ様の喉が、かすかに動いた。
けれど、それ以上はなにも言わない。
言えないのか、言わないのか。
「…ふふふ」
宙は満足げに微笑むと、私の頬に触れていた手をするりと離した。
急に、身体が軽くなる。
けれど同時に、どこかに支えられていたものが消えて、足元がぐらつくような感覚に襲われる。
「今すぐじゃなくていいよ、トキコ」
くるりと背を向けながら、宙は軽い調子で言った。
その背中に羽は生えていない。しかし、羽が生えていてもおかしくないと思えるほどにその足取りは軽やかで、残酷なまでに自由で気儘なその振る舞いはさながら妖精のようだった。
「ちゃあんと考えて」
そのまま、ひらひらと手を振る。
「それでジブンを選んでくれると__嬉しいな」
その時ばかりはやけに真面目な顔で笑う。
今までの、造り物めいた無邪気な笑みとも皮肉っぽい笑みとも違う表情。
私のなんともいえない表情を見て、宙は満足気な様子で声を上げて笑うと、先ほどと同じ浮いているような足取りで扉の方へと向かう。
「あ、そうだ」
ふと思い出したように、宙は足を止めた。
「でも、“神様に会う前”には__ちゃんと決めないとね?」
くす、と小さく笑う気配。
次の瞬間には、もうそこに宙の姿はなかった。
___静かだった。
さっきまでの空気が嘘みたいに、音がない。
自分の呼吸の音だけが、やけに大きく聞こえる。
「…あなたが、なにか気にしたり不安に思う必要はない。すべて、私の方で処理する」
沈黙がしばらく続いた後にぽつりと、トラニ様が言った。
それだけだった。
理由も、説明も、なにもない。
気にするな不安に思うなと言われても、無理がある。
それは善意からの言葉なのか、トラニ様の保身からの言葉なのか__それすらもう判断つかない。
__だけどいい加減私にだってわかる。
私には明確に”なにか”が隠されている。
宙とトラニ様のアカデミー賞ばりの演技をしていたわけでないとしたら、私の未来にはなにかが__あるいは本当に神様が待っているらしい。
でもどうやら、神様に会えることは幸運なことではないらしい。きっと、金と銀の斧を授けてくれるような女神様では決してないのだろう。
カタカタと身体が震えはじめる。
もちろん、武者震いなんかではない。
だって、これまでは普通に小学校に行って、普通に中学校に行って、普通に高校に行って、周り行ってたから大学にも行って、普通に就職もして…「普通」に流されて、なんとなく生きてきた。レールの上を「面倒くさいなぁ」なんていいながら、それなりに歩いてた。
でも、ここではもう「普通」も誰も私を守ってくれない。
私は”異世界人”になって、普通から外れちゃったから、だからもう……自分で考えないといけないんだ。そうじゃないと、転がり落ちてしまう。「普通」の日常を送ることすら叶わなくなってしまうかもしれない。
「あ~聞こえない」「あ~見えない」ももう限界だから、見て見ぬふりはもうやめて、自分の頭でちゃあんと考えて、自分の足で歩かないといけないんだ。
__ただ口を開けて待っているわけでは、いつもの明日は来ない。
気づかないようにしていた自分の立場の脆さと、変わってしまった自分の人生、そして目の前のこの人を信用していいのかという疑念、それらすべての「考えなくてはならないこと」に私の肉体は無慈悲に曝け出されている。
私は、無意識に自分の身体を抱きしめトラニ様と相対していた。
投稿遅くなってしまい申し訳ないですm(__)m




