本心
新作を書いたので、もしよければ読んで下さると嬉しいです。
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それと、毎回読んでくださって本当にありがとうございます!
気持ち的な意味で、大分助けられています。
「ぼく、ほんとにミュージシャンになれるかもしれないんです」
そうハクが口にするころには、もう夕暮れが始まっていた。
辺り一面はすっかり淡いオレンジに包まれている。
「…………」
少し目を見張るすみれ。
その顔にはもちろん驚きが含まれていたが、それだけではないような気がした。
何というか、彼女の瞳には何かしらの願望が詰まっているように思える。
「その………どうしてそうなったの?」
神妙に、すみれは問うた。
「とある女優の人と知り合ったんです。都奏井っていう」
そう言って、ハクは彼女の写真が写った画面を見せつける。
「………っ!」
それを聞いたすみれは、大きく瞳を開いた。
「知ってますか?」
「……うん。知ってるよ。都奏井」
「……有名なんですね、この人」
「うん……まぁぁね。私は観てないんだけど、何か有名なドラマに出てたんじゃなかったかな。名前もよく聞くし」
(へえ……)
画面をスクロールしていくと、彼女に関する情報が色々と出てくる。
「十六歳……」ハクが思わずそう呟くと、
「あーそういえば、ハクと同い年だねその人」
「…………」
てっきり自分より二、三年上だと思ってた故に驚かずにはいられなかった。
あれが高二……。
そう思っただけで少し彼女に対する見方が変わってくる。
親近感が湧いたとか、そういうことじゃない。むしろその逆だ。
同じ年齢だというのに、こうも人間は差がついてしまうのかという、極限を見た故に生じる一種の諦観だった。
まぁ、芸能人と一般の自分を比べること自体が野暮な話なのだが。
「それで?」
すみれはその先の話――すなわちミュージシャンになれる訳を知りたがっている様子だった。
「今その人、レーベル側にアーティスト活動の契約を持ち込まれてるらしくて」
すみれは納得したように頷いた。
「まぁ人気だったらそういうこともあるんだろうね」
それを聞いてより、自分はとんでもない人物と関わりを持つことになったと悟った。
「でもその人は契約したくないって言ってたんです。業界に詳しくない自分が気軽に入ったら失礼だって。それで………」
「……それで?」
「代わりにその契約を結んでほしいって、その人に頼まれたんです。レーベルの人にもこれからそのことを話すって」
「そうだったんだ……」
不安に思う気持ち、そして期待する気持ち。
その両方が自分の中にはあった。
しかし割合で言えば、圧倒的に『不安』の方が勝っていた。
本当にミュージシャンになれるかはわからない。
レーベルサイドが却下と口にすれば、もちろんこの話のすべては白紙のものとなる。
しかし今回は理由が理由だった。
契約だの女優だの、大きな存在が関わってきている。
だから期待があった。
もしかしたら本当にミュージシャンになることになるかもしれない――どこかできっとそんなことを思っている。
そしてもし、それが現実になったら……。
あらゆる想像を巡らせた。
だが、最終的に自分を支配したのは、圧倒的すぎる《未来への不安》だった。
学校はどうする?
将来は? ミュージシャンで成功することなんて極わずかだ。
もし失敗したならどうする?
家族は……?
一番不安だったのはそれだった。
昨日家に帰ってさっそくその話をした。
以外にも母は、その話を冷静に受け止め、かつ肯定的に解釈していた。
しかし自分には母の動揺が透けて見えるようだった。
決して動揺を隠しきれてなかったわけではない。
表情は至って冷静なものだったし、しぐさに不安が現れていたわけもなかった。
しかし、声音がいつもと違った。
まるで何かを怖がっているようだった。
そうなることをずっと昔から恐れていたようにも見えた。
その理由は考えるまでもないだろう。
自分の息子の口から『芸能界』という言葉が飛びでたのだ。
自分が母の立場だったらと、想像しただけでもぞっとする。
きっと母は、その十倍動揺しただろう。
そして恐れただろう。
この先、何か大きな変化が生まれると。
「家族には話したの?」
ちょうどそのことを考えていた最中に、すみれは問うてきた。
率直に「はい」と答える。
「何か言われた?」
「んー……。応援するみたいなこと言われました、母から」
口にはしなかったが、母はその後「何かあったらちゃんと相談して」と懇願された。
命令じゃなく、懇願だった。
まさか、自分が母に相談事をするのを意識的に避けていたことに気づかれていたとは思いもしなかった。
だからせがむような口調でそう言ったんだろう。
自分も息子の重大事には関わらせてくれと。
そこには母親の自分に対する心配が伺えた気がした。
「ちゃんと想ってくれてるんだね、ハクのお母さんは」
「そう、なんですかね?」
「うん、絶対そうだよ」
母の動揺に気づいていながらも自分が契約の話を反故しなかったのは、きっと母が協調的に反応してくれたからなんだと思う。
普通の家庭だったなら、絶対にこんなことありえないだろう。
きっとすぐに反論され、自己を否定され、最終的には脅迫される。
極端なのかもしれないが、子どもの口から『ミュージシャン』の一言が飛べば思わず高圧的になるのはむしろ普通なのだ。
そう考えると、母は普通じゃない。
今でも繰り返し思っている。
母はなぜあんなに冷静でいられたのだろう――そしてなぜ、協力までしようとしてくれたのだろうと。
「それで、すみれさんに話したいことがあって……」
ハクは急に気まずそうに下を向いた。
「何……?」
ハクは深く息を吸った。
「その……もしこの話が現実になったら、すみれさんも一緒にいてくれたらいいなって……」
すみれが驚いていたのは見て取れた。
だがしかし、そんな驚いた顔を見せたのはほんのわずかだった。
「ごめん……」すみれは俯きながらそう答えた。「それはできない……」
「…………」
思わずはっとなる。
すみれならきっと協力してくれる――なぜ自分はそんな馬鹿げたことをほざいていたのだろう。
彼女はもう……。
「すいません……僕が無神経でした。受験、あるのに……」
そう申し訳なさそうにハクが言うと、
「違う……。違うの」
彼女はそうじゃないと否定する。
「できることなら、私もハクに着いていきたい。それで一緒に音楽したい……」
すみれは顔をしかめ、さらに続けた。
「……親がね。絶対に許してくれないの。多分私が何言っても無駄だと思う」
「………。すいません……」
思わず、そう口にしていた。
「……なんで謝るの?」
すみれと目が合う。
「その……なんか、申し訳なくて……。なんでかわかんないんですけど」
理由もわからないまま、なぜか彼女に対する申し訳なさだけが募っていく。
一体、自分はなぜこんな感情を抱いているのか……。
静かに、そしてゆっくりと時間が流れる。言葉が何も出てこない。
「……ちょっとトイレ行ってきます」
ハクは立ち上がると、すぐさま部室を後にした。
「…………」
一人取り残されたすみれ。
その瞳は、前を向いているようで向いていない。
視線の先は、ここではどこかずっと遠く彼方にあった。
「何やってるんだろ、私………」




