——大切なもの、大切な人
演奏部の廃部に関する問題はこれにて一件落着となり、その後もしばらくの間落ち着きを取り戻した。
文化祭が終わってからほぼ毎日活動を続けているうちに、いよいよ今年度も終わりに差しかかろうとしている。
今はといえば一年最後となる担任との面談の最中で、重々しい空気の中、担任は今にも第一声を発そうとしていた。
「その……どうだ? 籔島。進路の方は」
目先にいる担任は、なぜか変によそよそしくしい気がする。
「…………」
「あぁあれだ。そこまで難しく考えなくていい。ほら、将来どうして生きていきたいとかそういうのでも大丈夫だから――」
ああ、やっぱり。やっぱりこの質問に辿り着くのか。
高校に入って聞きたくなかったセリフがまたとやってきて段々とこころの奥底が冷めていく。
「……特に決めてないです、今はまだ」
「そうか……」
顔をしかめる担任。その顔を見るとやたらと気分が沈んでいくようだ。
「いいんだ。別に何も決めてないことが悪いってわけじゃないから」
「そうだな……」担任は続けた。
「籔島。おまえミュージシャン目指してみたらどうだ?」
「―――え」
思ってもみなかったその言葉に、自分は動揺を隠すことすらできなかった。
その隙にまた、担任が口を開く。
「おれな、おまえの文化祭の出し物観た時思ったんだよ。
……おまえみたいな人間を、大学や就職みたいな普通の道に行かせて本当にいいのかって……。
こんなこと、教師のおれが言うべきじゃないんだけどな」
「…………」
「でもなぁ。どうしても罪悪感ってものは生まれるんだよなぁ、これが」
「―――!」
瞬間、ハクは大きく目を見開く。
「先生は……」ハクは囁いた。「ぼくに『普通の道』を歩んでほしかったんじゃないんですか?」
それを聞いた担任ははっとして、
「あぁ、もちろん形式上そうしなきゃいけない。
もちろんこれはあくまでおれの提案。
籔島も進路とか悩んでると思うから、みんなみたいに進学や就職を目指したって別にいいんだ」
「いや、ぼくは――」
「ただ、なんだろうなぁ。ほら、あるだろ? 人を見てると。もっとこうしたら上手くいくのになぁって思うことって。
人間の根本的な欲求なのかもしれないな、人が人をコントロールしたがるってのは」
「…………」
「まぁいいさ。まだ時間はあるからじっくり悩め。な?」
「――先生が担任でよかったです」
「………? なんだ、急に?」
「先生みたいな人に会ったの初めてだなって思ったんです。ぼくのこと、否定しないでちゃんと受け止めてくれる人」
「そうかー。なんかうれしいな、生徒にそんなこと言われると」
あぁ、この高校に入学できて本当によかった。
これで少しは、自分が自分でいられる気がする。
まったく、自分はなんて恵まれているんだろう。
自分の好きな音楽を続けられる居場所に恵まれ――、
それでいて、自分のことを真に見つめてくれる教師にも出会えた。
このまま後二年、これが続くと思うだけでもう感謝でいっぱいになる。
ありがとう、ありがとう。
「だから頑張れよ、籔島」
唐突に、担任は口調を変えてそう言った。
「はぃ……」
「実は来年、ここを出ることになっててな」
「――――」
「あぁぁそう悲しむな、籔島。
別におれがいなくなっても何も問題ないだろぉ?
おまえはおまえなりに自分らしくやっていけばいいさ。 それに新しく来た先生だってやさしく――」
「本当に――来年にこの学校からいなくなるんですか?」
「あぁそうだ」
「…………」
「あ。ほかの人には内緒だぞ。これはおまえとおれの男の秘密ってことに――」
さっきまでの『幸せ』は何だったんだろう。
さっきまでの『感謝』はどこへ行ったのだろう。
たった一つ、自分にとっての大切な何かが欠けただけで、なぜこうも不安に苛まれるのだろう。
嫌だったんだ。今の担任が去るのが。
そして怖いんだ。新しく来るであろうその担任のことが。それが誰であっても。
「ありがとうございました………今まで」
「なんだぁ。まだお礼を言うのは早いぞ。あと少し時間は残ってるんだからな」
悲しい―――それが今の心情だった。
△△
――カチカチカチカチッ………
パソコンのキーボードが鳴らす音。
それは、ここのオフィス全体に殺伐とした空気を作りだす。
――おまえ、あの企画ぜんっぜんだめだったぞ――
――プロデューサー、来月のライブの件ですが………
――おいどうしたっ! おまえここんところミスばっかりじゃないかっ!
――はいッ! すいません!
(まったく、うるさいな今日も………)




