16.奏の知らない少女Ⅰ(カナデ)
カナデ=奏です
委員会が始まってから数日が経った頃、待ち望んでいた人物が生徒会室に姿を見せた。扉が開く音に何気なく顔を上げた奏は、入ってきた人物を見た瞬間に思わず目を見開く。
(フェルナン……!)
見間違える筈がなかった。ゲームの画面越しに何度も見てきた攻略対象の一人であるのだから。生徒会に加わってから姿を見かけなかったものの、漸く奏の目の前に現れてくれたのだ。
たった数日ほどとはいえ、いつ顔を出すのかと気にしていた相手である。奏は内心で喜びながら彼の姿を目で追っていたが、実際に近くで見るフェルナンはゲームで見ていた以上に目を引く男だった。
整った顔立ちは勿論のこと、何気ない仕草にまで妙な色気がある。人との距離を詰めることにも慣れているらしく、相手が誰であろうと柔らかな笑みを崩さず、女性を勘違いさせそうな態度を平然と取っていた。
(いや、色気やば……)
ゲームでも軟派な男だとは思っていたが、実際に目の前にすると想像以上だった。
やがて奏の存在にも気付いたらしく、フェルナンがこちらへ近づいてくる。何でもないことのように距離を詰められ、奏は内心で歓声を上げた。ゲームの画面越しでも十分色気のある男だったが、実際に間近で見ると破壊力がまるで違う。
(ちょ、近い近い……!いやでも、顔良すぎでしょ)
内心を覆い隠すように柔らかな笑みを浮かべる奏を他所に、フェルナンはいつもの調子で話し掛けた。
「君が例の光属性の子?」
「え……あ、はい」
「そう。初めまして。僕はフェルナン、ここの教師をしてる。よろしくね、お嬢さん」
そう言って浮かべられた笑みを目にした途端、奏は思わず息を呑んだ。
(いや、色気やば……)
ゲームの中でも軟派な男だとは分かっていたが、実際に目の前で見ると話が違う。整った顔立ちに艶のある笑みを浮かべ、初対面だというのに当たり前のように距離を詰めて来た彼は、画面越しに眺めていた時よりも遥かに破壊力があった。
ところがフェルナンがそれ以上距離を縮めてくることはなかった。
「光属性なんだって? 珍しいね」
「はい。あの……」
「話には聞いてたけど、本当にいるんだね」
口調も笑顔も、奏が知っているフェルナンそのものだった。けれど、それだけだ。
(……あれ?)
そこで初めて、奏は小さな違和感を覚えた。ゲームのフェルナンならば、女性と初めて顔を合わせた時には相手の反応を窺いながら手を取り、その甲へ口付けるくらいのことは平然としていた。
まして主人公であるマリアンナは、希少な光属性を持つ上に箱入りで育ったため滅多に人前に姿を見せなかった少女である。そんな彼女に興味を持ったのか、フェルナンは初めからもう少し踏み込んできていた筈だった。
目の前にいる彼も決して素っ気ないわけではない。相変わらず距離は近いし、向けられる笑顔には嫌というほど色気がある。それなのに、奏自身に関心を向けているような感覚が殆どなかった。
(こんな感じだったっけ……?)
ゲームと現実では細かな違いくらいあるのかもしれないが、フェルナンを攻略対象として意識していた奏にとっては少し気になる違いだった。
(確か、フェルナンの攻略は……)
奏はゲームで彼を攻略した時のことを思い返した。
彼には、いつまでも忘れることのできない元婚約者がいる。攻略するために必要なのは、その女性への未練を断ち切らせ、過去ではなく主人公自身に目を向けさせることだ。
フェルナンの元婚約者と主人公では、普段の性格はまるで違っていた。ただ、全く似ていないというわけでもなく、時折見せる言動の中には彼女を思わせる部分があり、それがこのルートでは重要な意味を持っていたのだ。攻略するうえで必要なのは、僅かな共通点を利用して元婚約者の代わりになることではなく、むしろ普段の性格の違いを活かしながら、フェルナンの意識を過去から主人公自身へと向けていくことだった。
そうして少しずつフェルナンの気持ちを主人公へ向けることができれば、ハッピーエンドへと辿り着くのだ。
攻略後のフェルナンは普段の軟派な姿からは想像もできないほど誠実だった。誰にでも距離が近く、軽い言葉を平然と口にしていた男が主人公だけを一途に想うようになり、攻略していた奏の印象にも強く残っていた。
反対に、最後まで元婚約者への未練を断ち切ることができなければノーマルエンドとなり、フェルナンは過去を引きずったまま主人公とは結ばれない――それだけならまだ良かった。
フェルナンの攻略には、絶対に避けなければならない行動があるのだ。
―――元婚約者を彷彿とさせるような言動や行動を、主人公が繰り返すこと。
これを続けていると、フェルナンは次第に主人公ではなく、彼女の向こう側に元婚約者を見るようになってしまう。そのまま進めれば完全に闇落ちして、最後には主人公を氷漬けにしてしまうのだ。
▶▶BAD END『思い描いた未来へ~これで二度と失わない~』
内容だけを見れば紛れもなく救いのない結末だ。それでも、このゲームは何故かバッドエンドのスチルにまで妙に力が入っていて、フェルナンのものも例外ではなかった。
透き通る氷の中に閉じ込められたマリアンナは息を呑むほど美しく、その傍らではフェルナンが爛々と輝く瞳で彼女を見つめていた。明らかに正気を失っていると分かる笑みでありながら、普段にも増して色気があり、結末の凄惨さとは裏腹に一枚の絵としては恐ろしいほど綺麗だった。
(あのスチル、ほんと綺麗だったんだよね……内容は最悪だけど)
もっとも、実際に自分がその結末を迎えたいかと聞かれれば答えは当然否だ。ハッピーエンドでは主人公だけを一途に想う誠実な男になる一方、選択を誤れば取り返しのつかない事態になる。
この落差もまた、このゲームの醍醐味の一つだった。
とはいえ、攻略方法さえ間違えなければ避けられる。
ゲームの知識を活かしてフェルナン自身に過去を乗り越えさせればいいだけの話なのだ。そう考えながら、奏は改めてフェルナンの方へと目を向けた。
(まあ……まだ会ったばっかりだし)
やはり、こちらを特別気にしている様子はない。だが今すぐゲーム通りにならないからといって焦る必要はないだろう。そう自身に言い聞かせたものの、胸の奥に生じた小さな違和感だけは残っていた。
そして翌日。奏はあることが気になり、休み時間になると別の教室へと足を運んだ。向かったのはゲームであればマリアンナが在籍していた筈のクラスであり、ゲームの中で何度も見た教室だった。
教室の近くまで来た奏は、中にいる生徒たちから不審に思われない程度に視線を巡らせ、記憶にあった場所を探した。机の配置まで全てが同じなのかは分からないが、マリアンナが座っていた場所には覚えがあったのだ。
ところが、そこには既に一人の女子生徒が座っていた。
(……誰?)
奏は思わず足を止めた。見覚えのない少女――そう思ったものの、よく見れば完全に知らない相手ではない。少女の傍にはまだ奏とは面識さえないリリスがいて、二人で何かを話している。会話の内容までは分からないが、少なくとも今初めて言葉を交わしたような雰囲気には見えなかった。
それ以上に奏には少女の顔そのものに覚えがあった。
(あれ……この子……)
記憶を辿り、程なくして思い出す。
―――以前、アーノルドと一緒にいるところを見かけた少女だ。
あの時はアーノルドの存在ばかりが気になっていたため、相手について深く考えることはなかった。それでも名前くらいは聞いていて、今思い出した。
(確か……)
セイカ・ゴルダール。名前を思い出した途端、今度は別のところに違和感を覚えた。
(ゴルダール……?)
ゲームの知識を辿る。ゴルダールという家名には覚えがあるものの、そこに今も子供がいるという記憶はない。それなのに、目の前の少女はゴルダールを名乗り、この学園へ通っている。それどころか、本来ならマリアンナがいたはずのクラスで、彼女が座っていた場所にいる。
そこで奏は、もう一つのことに気付いた。
(……セイカ?)
改めて頭の中で名前を繰り返す。この世界ではあまり聞かない響きだった。それだけなら偶然で済ませられたかもしれないが、その名前には何故か別の引っ掛かりまである。こちらの世界に来てからではなく、それよりも前にどこかで聞いたことがあるような気がした。
奏は教室の中にいる少女から目を離せなくなった。以前はアーノルドと一緒にいて、今はリリスと話している。そして、本来ならマリアンナがいるはずだった場所にいるのだ。
(まさか……)
頭に浮かんだ可能性に、奏の表情が僅かに強張った。
(こいつも、転移者……?)
もしそうだとしたら。この世界について知っていて、自分と同じようにゲームの知識を持っているのだとしたら――。
同じ境遇の人間がいたかもしれないという喜びは不思議なほど湧いてこず、代わりに胸の奥から込み上げてきたのは苛立ちだった。
本来マリアンナがいるはずだった場所に座り、アーノルドとも接点を持ち、今はリリスと親しげに話している。その事実に、奏は無意識のうちに拳を握り締めた。
(……ヒロインの座を奪ったの、こいつ?)
教室の中では何も知らない聖花が、リリスと話を続けていた。




