15.パトリシア王国とフェルナンⅤ
翌朝、三人は宿を出た。
どうやらリリスがいつの間にか御者と話をつけていたらしく、アルバ国まで乗っていく馬車は貸し切りになったという。ただし、出発時刻については何らかの取り決めがあるため変更できないらしい。出発までにまだ多少の時間が残されていた。
昨夜、一人になってから考えたことが頭の片隅に残っていたせいだろう。宿を出てから何気なくフェルナンに視線を向けていると、気付けばじっとその姿を見つめてしまっていたらしく、直ぐにリリスから声が飛んできた。
「セイカ、さっきからセンセのこと見てるけど、どうしたの?」
「……何でもありません」
聖花は誤魔化すように顔を背けた。
一方のフェルナンはといえば、昨夜浮かんだ考えが馬鹿馬鹿しく思えてくるほど普段通りだった。フード付きのマントと色付きの眼鏡で普段より目立たない格好をしていても元々備わっている華やかさまでは隠せず、ふとした仕草には相変わらず大人びた色気が滲んでいる。
どう見ても聖花が普段から知るフェルナンそのもので、とても昨夜思い描いたような人物には見えなかった。
出発時刻まで何もせず待っているのも勿体ないということで、三人は馬車から離れすぎない範囲を散策することになった。
昨日歩いた場所とは違い、この辺りでは衛兵よりも騎士の姿が目につく。国の紋章を胸元に付けた者たちがあちらこちらに立っていて周囲を見渡していた。
「この辺りは騎士が多いのですね」
「……王宮が近いからね」
「王宮……」
言われてから改めて周囲を見渡してみると、建物の向こうに一際大きな建造物が見える。ここからでは全貌までは分からないものの、フェルナンの言葉からすれば恐らくあれがパトリシア王国の王宮なのだろう。
聖花が遠目に眺めていると、その隣でリリスも同じ方角へと顔を向けた。
「僕、ちょっと挨拶してくるよ」
「それだけはやめろ」
間髪を入れず、フェルナンが止めた。
「えー、何で?」
「何で、じゃない。公的に来ているわけじゃないんだから、わざわざ行く必要はないだろう」
「……一つよろしいでしょうか?」
「何ー?」
「何故リリス様がご挨拶に行くのですか?」
当然のように王宮へ向かおうとしたことが分からず聖花が尋ねると、リリスは意外そうに目を丸くした。
「えっ。僕の親の役職、知らないの?」
「確か、外交官……ですよね」
そこまで答えたところで、聖花ははっと目を瞬かせた。
これまで深く考えたことはなかったが、外交官であれば他国と交流があっても何ら不思議ではない。その息子であるリリスがパトリシア王国について詳しかったことにも、それならばある程度納得がいった。
「セイカって、たまに抜けてるところあるよね」
リリスが可笑しそうに笑ったものの、今回ばかりは反論の余地がなく、聖花は何も言わずに受け流した。
ただ、フェルナンが先ほどリリスを止めたことだけは僅かに気に掛かった。言っていること自体はもっともであり、公的に訪れている訳でもないのなら、わざわざ王宮へと出向く必要はないのだろう。
それでも昨夜あのようなことを考えたばかりだからか、どうにも些細な言動まで気になってしまったのだ。
とはいえ、今ここで尋ねるつもりはなかった。
「そろそろ時間も近いし、行こうか」
フェルナンはそう言うと、二人の返事を待たずに先へと進んでいく。時間を確認してみると出発まではまだ多少の余裕がありそうだったが、聖花が敢えて指摘することはなかった。
遠ざかっていくフェルナンの背中を一度見つめた後、リリスと共にその後を追う。
やがて出発時刻を迎え、三人を乗せた馬車がアルバ国へ向けて動き始めた。
長時間同じ空間で過ごすことになる為に聖花は多少の気まずさを覚悟していたものの、実際には心配していたほど重苦しい空気にはならなかった。主に話題を出すのはリリスで、それに聖花が応じ、フェルナンは自分から積極的に会話へと加わろうとはしないものの、リリスから話を振られれば答えている。
そうして何度か言葉を交わしているうちに、聖花はふと、今は普通に目が合っていることに気が付いた。少し前まで不自然なほど聖花と視線を合わせようとしなかったというのに、少なくとも今のフェルナンに以前のような様子は見られない。
何が変わったのだろうと思いながら、聖花は隣にいるリリスにちらりと視線を向けた。ここで話を持ち出すべきか迷っていると、それまで黙っていたフェルナンが先に口を開く。
「そんなに心配しなくても返すよ」
何のことかと一瞬考え、すぐに昨日話した本のことだと気付いた。
説得力がない、と返しかけたものの、聖花は寸前で言葉を呑み込んだ。少なくとも返すと約束した以上、今は信じて待つべきなのだろう。
「ああ、例の本ね」
「君は黙ってて」
案の定、リリスが横から口を挟み、フェルナンがすぐさま制止する。聖花はそんな二人を見つめているだけで、それ以上この話を続けようとはしなかった。
それから暫くは変わらない調子で時間が過ぎていたが、馬車がどこまで進んだ頃だっただろうか。不意にフェルナンが小さく何かを呟いた。
よく聞き取れず聖花が顔を向けると、何故かフェルナンはすぐに視線を逸らし、それ以降はこちらから話しかけても会話を続けようとはしなかった。先ほどまで普通に目を合わせていたのが嘘のようだ。
それから長い時間を馬車に揺られ、ようやくアルバ国へと辿り着いた頃にはパトリシア王国を出発してから丸一日近くが経っていた。
国へと入る際には何かしら確認を受けるものと思っていたが、リリスが話を通すと驚くほどあっさりと入国することができた。学園側にどこまで事情が伝わっていたのかは聖花には分からないものの、リリスが事前に連絡していたこともあってか、その後も特に問題になることなく寮まで戻ることができた。
そういえば、帰りの馬車で途中からフェルナンの様子が変わったのは何だったのだろう。その後聖花が幾ら考えたところで理由が思い当たることはなかった。
「お嬢様!」
寮へ戻った聖花を真っ先に出迎えたのはアデルだった。
「ごめんなさい。少し事情があって――」
「少しではありません!」
最後まで言い終えるより先に遮られ、聖花は思わず口を閉ざした。
「私がどれほど心配したと思って……」
アデルは今にも泣き出しそうな顔で聖花を見つめていたが、すぐに気持ちを落ち着かせるように息を整えると、今度は逃がさないと言わんばかりに顔を近づけてくる。
「事情を説明してください」
「……はい」
図書室へ行くとだけ告げて寮を出たきり、一晩どころか丸一日以上帰ってこなかったのだからこの様になるのも当然だ。聖花は、リリスに誘われてパトリシア王国へ行き、フェルナンも同行していたこと、帰還用の魔具がなくなったため予定通りに戻れなくなったことまでを話した。
勿論、本来の目的やそこで起きた出来事については伏せる。休日にもかかわらず学園内で過ごすことに不満を感じ、リリスに頼んでこっそり連れ出してもらったのだと説明しておく。当然ながら褒められた話ではなかったが、アデルはそれ以上詳しく聞こうとはしなかった。
「……次からは、事前に言ってくださいね」
「はい。ごめんなさい」
短い言葉にどれだけ心配を掛けたのかが滲んでいるような気がして、聖花は素直に謝った。
◆
翌日、教室へと入った聖花を待っていたのは別の意味で面倒な状況だった。
「二人揃って欠席するなんて……何かあったのかしらね?」
聖花の姿に気付いたロザリアが、周囲にいる令嬢たちに意味ありげにそんな言葉を漏らしている。
聖花とリリスが同じ日に休んだ。たったそれだけのことなのだが、令嬢たちにとっては話の種として十分だったらしい。真偽を確かめるでもなく好き勝手に話を膨らませていた。
もっとも、ロザリアが直接こちらに話しかけて来ない以上は、聖花としても返答のしようがない。わざわざ自分から輪の中へ入って訂正する訳にもいかず、耳に届いてくる噂話を気に留めないようにしながら聖花は自分の席へと向かった。
実際にパトリシア王国まで一緒に行っていたことを踏まえても、下手に口を挟んで話を広げるより放っておく方がいいだろう。問題があるとすれば、令嬢たちがリリス本人に確かめに行った場合である。あの性格では何を口にするか分かったものではなく、下手をすればあっさり肯定されかねない。
幸いにも、今日は珍しくリリスがまだ教室に来ていなかったため、少なくとも今のところは心配しなくて済みそうだった――今のところは。
そうして自分の席まで来たところで聖花は足を止めた。
昨日返すと約束したアデルから借りた本が、机ではなく椅子の上に置かれていた。わざわざそこを選んだのは、恐らく他の者の目に触れにくくするためなのだろう。
(……本当に返してくれたのね)
聖花は椅子から本を取り上げると、何気なく表紙へと視線を落とした。返してくれるかどうか多少疑っていたこともあり、きちんと手元に戻ってきたことには安堵したけれども、以前と同じ気持ちでこの本を見ることはもうできなかった。
ページを捲り、改めて内容に目を通していく。書かれている物語そのものは当然ながら以前と何一つ変わっておらず、内容もアデルから聞かされていた通りだった。
それでも、実際にパトリシア王国を訪れ様々な事を知った今となっては、以前のように単なる物語として読むことができない。
―――罪人となった婚約者と、彼女を逃がした『殿下』。
昨日までは小説の中だけの出来事だったはずのものが、今ではどうしてもパトリシア王国で耳にした話と重なってしまっていたのだ。
ただ、一つだけ気になることがあった。
実際に起きた出来事を元にしているとしても、一介の者が書いたにしては内容があまりにも細かい。勿論、細部については想像で補ったとも考えられるが、それにしては主人公の心情まで事細かに描かれており、本当にそれだけでここまで書けるものなのだろうか。
改めて表紙に視線を向けると、そこには著者名として「Verloren」と記されている。
この本を書いたVerlorenという人物は既に亡くなっていると以前エレンから聞いている。もし今も生きていたなら一度くらい話を聞いてみたかったと聖花は思った。もっとも生きていたところで、どこにいるのかすら分からないのだが。
それとも、Verlorenという著者名そのものに何か意味があるのだろうか。聖花はページを捲る手を緩め、その文字をじっと見つめていた。




