14.パトリシア王国とフェルナンⅣ
「で、センセ。案内はもう終わり?少しは落ち着いたでしょ?」
不意に、それまでの重苦しい空気には似つかわしくない明るい声が響いた。いつまでこうしているつもりなのかと痺れを切らしたらしく、リリスがどこか不満げにフェルナンへ問い掛けている。
しかし直ぐに返事はなかった。フェルナンは俯いたまま暫く動かず、先ほどまで以上に沈んだ様子を見せている。リリスも珍しく急かすことなく待っていると、やがてフェルナンは長く息を吐き、ゆっくりと顔を上げた。
「……まだだけど」
「じゃあ行こっか」
あまりにもあっさりとした一言だった。話を引きずる様子もなく、リリスはさっさと歩き出す。フェルナンも何か言いたげにその背中を見ていたものの、結局は諦めたように後を追い、聖花も二人から遅れないよう歩き始めた。
再び人通りの多い場所へと戻る頃には、先ほどまで三人の間に漂っていた重い空気も幾分薄れていた。
もっとも、聖花としてもシンシアについてこれ以上聞くつもりはない。知りたかったことは凡そ分かったのだから、何時までもこの話を引きずるより、まだ見ていない場所に足を運んだ方が有意義だろう。そう考え直したのだ。
そうしてフェルナンの案内について歩いていると、やがて三人は王都の中心部に近い大通りへと出た。これまで歩いてきた場所よりも道幅は広く、周囲には古くから残っていると思われる重厚な建物も増えている。
聖花が物珍しげに辺りを見渡していたところで、少し先を歩いていた数人の話し声が耳へと入ってきた。
「現国王陛下はしっかりしておられる」
「ああ、本当にな。第二王子殿下が即位すると聞いた時には、どうなることかと不安になったものだ」
「元第一王子だろう?今じゃ行方知らずだ」
「どこへ行ったのかねぇ」
「まあ、いくら婚約者が大事だったとはいえ、罪人を逃がすような愚か者だ。どこにいようと俺たちには関係ないさ」
特別声を潜めているわけでもなかったため、近くを通りかかった聖花の耳にも会話の内容が自然と入ってくる。
(どこかで聞いたような内容だったんだけど……)
言葉を耳にした途端、聖花は何故か妙な引っ掛かりを覚えた。
初めて聞いた話ではないような気がする。それどころか、もっと身近なところで似たようなものに触れていたような気さえするのに、それが何だったのかまでは思い出せない。何か大事なことを見落としているような感覚だけが胸の奥に微かに残った。
気になって話していた者たちに視線を向けたものの、当然ながら見覚えのある顔ではない。もう少し聞いていれば何か思い出せるだろうかと考えているうちに、いつの間にかリリスとフェルナンは少し先まで進んでしまっていた。
「セイカ、置いてくよー?」
「あ……お待ちください」
呼ばれて我に返った聖花は一度だけ後ろを振り返った後、考えるのを中断して二人のもとへと駆け寄った。暫く歩いたところで先ほどから目に入っていた古い建物を眺めながら、ふと聖花はフェルナンへと尋ねる。
「この国には、歴史のある建築物なども多いのでしょうか?」
「あるには、あるけど……」
何気なく尋ねただけだったが、返ってきたフェルナンの声は妙に歯切れが悪かった。先ほどまで店や街について尋ねれば大抵のことには答えてくれていたというのに、今度は続きを話そうとする様子がない。
聖花はその態度を不思議に思ったものの、シンシアの件について聞いたばかりということもあり理由を問い詰めるようなことはしなかった。
するとフェルナンは何かを誤魔化すように空を見上げて、やや強引に話を切り替えた。
「ああ、ほら。そろそろ日も暮れてしまうだろう? 今日はもう帰った方がいいんじゃないかな。……リリス」
「はいはい。魔具ね。ちょっと待ってて」
呼ばれたリリスは慣れた様子で応じると、帰還に使う魔具を取り出そうと身の回りを探り始めたものの、程なくしてその手がぴたりと止まる。
「あ」
嫌な予感しかしない声だった。何事かと二人で見ていると、リリスはゆっくりとこちらを振り返って悪びれた様子もなく軽く両手を合わせる。
「帰り用に持ってくるの忘れちゃった」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。聖花が言葉を失う隣で、フェルナンの頬が目に見えて引きつる。
「……冗談だよね?」
「僕がそんな冗談言うように思う?」
「思う」
「はい」
フェルナンと聖花の返事が殆ど同時に重なった。リリスは少しばかり不服そうな顔をしたものの、自分の日頃の言動を考えれば仕方がないという自覚くらいはあるのか、それ以上反論することはなかった。
「どうしよっかなー。帰りは馬車にでも乗せてもらうしかないかな」
「頼むから嘘だと言ってくれ……」
項垂れるフェルナンを横目に、聖花は却って冷静になっていた。そもそも自分たちは魔具を使って一瞬でパトリシア王国までやって来たのだ。馬車で帰るとなれば同じようにはいかないだろう。
「それですと、どれくらい時間が掛かるのですか?」
「丸一日くらい?」
「駄目じゃないですか!」
思っていた以上の答えに、聖花は反射的に声を上げた。
「取り敢えず今日は宿に泊めてもらって、明日の朝一番で出発するっていうのはどう?」
「どう、ではありません。学園には何と説明するつもりなのですか……」
休日中に戻れないとなれば当然ながら翌日の授業にも影響する。それだけでも十分に問題だというのに、寮にはアデルもいるのだ。図書室に行くとだけ伝えて朝早くから出てきた聖花が、その日のうちに戻らなければ心配を掛けるに決まっている。
「ああ、それなら大丈夫。ほら、通信用の魔具なら持ってるからさ。連絡しておくよ」
「ちょっと待て。それは学園に、か?」
それまで項垂れていたフェルナンが、不意に顔を上げた。何故そこを確認するのかと聖花が疑問に思っていると、リリスも同じことを感じたのかフェルナンへと視線を向けた。
「誰だろうが関係なくない?」
「……それは、そうだけど」
リリスの一言に、フェルナンはそれ以上何も言わなかった。学園を休む連絡をするのなら他に誰がいるのか分からないが、リリスが誰と連絡を取っているのかまで把握している訳でもない。わざわざ口を挟む程のことでもないだろうと聖花は深く考えないことにした。
何より、もっと大きな問題が一つある。
「それより、三人揃って学園を休むというのは大分まずくないですか?特に私とリリス様は同じクラスですし……」
「体調不良が重なることくらいあるし、大丈夫だと思うよ」
「そういう問題でしょうか……」
あまりにも気楽な返答に、聖花は何か言い返そうとしたものの結局やめることにした。
ここまで来ると、いくら話したところでリリスがどうにかできるわけでもない。帰還用の魔具がない以上、今からできることを考えるしかないのだろうと、聖花は諦めるように小さく息を吐いた。
「ところで、どこに泊まるのですか?まさか野宿などとは言いませんよね」
聖花が念を押すようにリリスを見つめると、彼は何を当たり前のことを聞くのかと言わんばかりに頷いた。
「勿論。じゃあセンセ、宿よろしく」
「なんで僕が」
「詳しいんでしょ?」
間髪を入れずに返され、フェルナンは呆れたようにリリスを見やった。
「……君ね。今と昔では違うだろうし、そもそも僕はあまり宿を利用したことがないんだけど?」
その言い方では、以前この国に住んでいたと言っているようなものではないか。これまでの案内を見ていても今さら驚くことではなく既に確信に近いものがあったが、本人が何も話そうとしない以上わざわざ指摘する必要もないだろう。そう思い、聖花は聞かなかったことにした。
「それでも、有名なところくらいは分かるでしょ?」
「何で僕がこんな目に……」
フェルナンは小さくぼやきながらも結局は宿を探すつもりらしかった。何も聞かされずにパトリシア王国に連れてこられ、半ば強引に案内役を任された挙げ句、今度は宿まで探せと言われているのだから流石に聖花も気の毒に思えてきた。
とはいえ自身まで二人のやり取りに巻き込まれるのは遠慮したく、聖花は少し離れたところからその様子を眺めていた。ふと空を見上げると、昼間まで明るかった空はいつの間にか赤く染まり始めている。このままでは、そう時間を置かずに暗くなってしまうだろう。学園のことも気掛かりではあるものの、今はまず身体を休められる場所を確保する方が先だ。
そう考えた聖花は二人から離れ過ぎない範囲で辺りを見回し、近くにあった掲示板へと足を向けた。宿までの地図や案内でも載っていればと思ったのだが、貼られているのは何らかを募集するものや、王立記念日の催しについて記されたものばかりで、それらしい情報は見当たらない。
仕方なく離れようとしたところで、聖花の視線が「王立記念日」という文字の前でピタリと止まる。王族――そう考えた途端、先ほど偶然耳にした会話が再び頭を過ったのだ。
(どこかで聞いたような内容だったのだけれど……)
何だっただろうかと暫く記憶を辿っているうちに、ふと一冊の本が頭に浮かんだ。
(……あ)
アデルから借りた、あの本だ。今日一日で色々なことが起こりすぎた所為かその存在をすっかり忘れていたが、そういえばあの日以来フェルナンの手元にあるままだ。
そうこうしているうちに宿の目星がついたらしく、少し離れたところからリリスに呼ばれた。聖花は慌てて二人のもとへ戻ると、歩き始めたフェルナンの隣まで追いついたところで声を掛ける。
「あの、少しよろしいでしょうか?」
「何だい?」
返事は思いのほか普通だった。今ならば以前より幾分話が通じそうだし、学園へ戻った途端にまた避けられるようにならないとも限らない。
あとは宿へと向かい、明日になれば帰るだけなのだから今のうちに伝えておいた方がいいだろう。それに、あれはアデルから借りたものなのだから、このままにしておくわけにもいかないのだ。
「今はお持ちでないと思いますので、後日で構いません。以前の本を返していただけますか?あれはアデル――私の侍女から借りたものなのです」
「本って……まさか」
「返してくださいますよね?」
まさかも何も、フェルナンが持っていった筈の本は一冊しかない。聖花が念を押すように尋ねると、フェルナンは何故かすぐには答えず、僅かに視線を逸らした。
「あれは……」
「あれは、何ですか?」
聖花が続きを促すと、フェルナンは何かを言い掛けたまま口を閉ざした。暫くして小さく息を吐くと、結局それ以上は何も話さないまま頷く。
「……分かったよ」
何を言おうとしたのかは気になったものの、返してもらえるのであれば今はそれでいい。少なくとも、これで以前から残っていた問題の一つは片付くことになるのだ。
「二人で盛り上がってるところ申し訳ないんだけど、そろそろ暗くなるから早く宿に行かない?」
どこをどう見れば今のやり取りが盛り上がっているように見えるのか分からなかったが、聖花は敢えて突っ込まなかった。実際、空は先ほどよりも暗くなり始めている。
リリスに急かされるまま、三人はフェルナンが見つけた宿へと向かった。
◆
(まあ、当然部屋は別よね)
ようやく一人になった部屋で、聖花は安堵するように息を吐いた。
宿へ着いて部屋を取ろうとした際、何を思ったのかリリスが「セイカと僕で一部屋、センセは一人部屋で」と言い出したのだ。当然ながらフェルナンが即座に却下し、自分とリリスが同室になると言い張ったため軽く揉めていたものの、結果として聖花は一人部屋を使えることになった。
朝から色々なことがあったせいで疲れてはいたものの、思っていた以上に得られたものは多い。幾つかの疑問が解消されたことで、これまで頭を悩ませていたことも多少は整理できたように思えた。
もっとも、それとは別に新たな問題も生まれてしまったが。帰還用の魔具を忘れた所為で、聖花とリリス、そして教師であるフェルナンまでもが揃って明日の学園を休むことになっているのだ。
リリスがどのように説明するつもりなのかは知らない。けれど、聖花と彼が同じ日に休めば妙に勘繰る者が出てくるかもしれなかった。ただでさえ先日はロザリアからリリスとの仲について問い詰められたばかりなのだから、これ以上面倒なことにならないよう願うばかりである。
そして何より気掛かりなのはアデルだ。
朝早くに寮を出る際、図書室へ行くとしか伝えていない。それが夜になっても戻らず、そのうえ明日まで帰れないとなれば、間違いなく心配を掛けているだろう。流石に何もなかったことにはできそうにないため、戻ったら話せない部分を省きながら事情を説明する必要が有りそうだった。
考えなければならないことはいくらでもあるが、まずは今日一日で分かったことを整理しておいた方がいい。聖花は記憶を辿りながら、順番に指を一本一本折っていった。先ず、聖花がシンシアに似ていること。シンシアがフェルナンの元婚約者であること。そして、彼女が突然彼の前から姿を消したこと。
少なくとも、フェルナンが突然聖花を「シンシア」と呼んだ理由についてはこれで分かった。だからといって今迄の事を仕方ないと納得するつもりはないが、事情を知ってしまった以上、多少なりとも同情する気持ちはある。
しかし人がある日突然、まるで最初から存在していなかったかのように姿を消すなど本当にあり得るのだろうか。そこまで考えたところで、聖花はもう一つの出来事を思い出した。
昼間、偶然耳にした王族に関係する話であるが、今ならその理由が分かる。
―――アデルから借りた、あの小説だ。
物語の中で「殿下」と呼ばれていた人物もまた罪人となった婚約者を逃がし、自らの身分を捨てて共に逃亡している。細かな部分に違いがあるのかまでは分からないが、エレンからパトリシア王国の本だと聞いていたことまで考えれば、実際にこの国で起きた出来事を元に書かれている可能性は高いだろう。
(だから引っ掛かっていたのね……)
昼間から胸の内に残っていた違和感の正体が分かり、ようやく一つ腑に落ちたものの、しかしまだ何かが引っ掛かっていた。
聖花がパトリシア王国について調べ始めた際、真っ先に頭に入れたのは現在の王族についてだった。現国王である第二王子やその姉妹、両親などについては本にも記されていたが、既に王族の身分を失っているからなのか元第一王子についての詳しい記述は見つけられなかった。
だからこそ、今日耳にした話で初めて知ったことも多い。
そして――もう一つ。聖花の頭に昼間の光景が蘇る。
『――ナハト』
リリスがフェルナンへ向かって口にした、あの言葉だ。人名なのか、あるいは全く別の何かなのか、聖花には未だに分からないが、ただあの一言が聞こえた途端、近くにいた人々が一斉にこちらへと視線を向けたことだけは鮮明に覚えていた。
今日一日を振り返ればフェルナンはこの国について余りにも詳しかった。顔を隠すための格好を渡されても理由を尋ねることなく受け入れ、宿について話していた時にも「今と昔では違う」と、以前のパトリシア王国を知っているかのような口振りを見せている。
そして、パトリシア王国には王族の身分を剥奪された後に行方知らずとなった元第一王子がいることは聖花の記憶に新しかった。
(……まさか)
一瞬、あまりにも突拍子のない考えが頭を過り、聖花はすぐに首を横へと振った。
いくら何でも有り得ない。王族の身分を失っているとはいえ一国の元第一王子が衛兵に紛れ込んでいた挙げ句に、今は他国の学園で教師をしているなど、どう考えても現実味がなさ過ぎたのである。
違うだろうと自身に言い聞かせたものの、一度浮かんでしまった疑念は何故か簡単には消えてくれずに聖花の中に残っていた。




