13.パトリシア王国とフェルナンⅢ
フェルナンの口からようやく零れた言葉に、聖花は眉をひそめた。
(……は?)
思わずそんな言葉が浮かんだ。
聞き間違えたわけではない。自分が尋ねたのはシンシアとは誰なのかということだ。それ以外のことは何も聞いていないというのに、返ってきた「似ている」という言葉ではまるで答えになっていなかった。
「……何が、ですか?」
とにかく聞き返してみると、フェルナンは暫く視線を落としたまま黙っていたが、やがて観念したように口を開いた。
「君が、だよ」
「私が?」
ますます意味が分からなくなり、聖花はそれ以上何も言わずに次の言葉を待った。
「……シンシアに似てるんだ」
「……そのシンシアが誰なのか尋ねているのですが」
結局、最初の疑問に戻る。おまけにフェルナンは再び口を閉ざし、今度こそ何も言わなくなってしまった。先ほどまで王都について説明していた時とは別人のように重苦しい空気を纏い、俯いたまま動こうともしない。
(何なのよ、もう……)
内心で溜息を吐いた聖花は、ふと思い出したようにリリスへと視線を向けた。いつもなら頼んでもいないのに会話に割って入ってくるというのに、何故か今に限って妙に静かで、目が合っても口を開く様子はなく、ただ聖花とフェルナンのやり取りを眺めている。
こういう時に限って黙っていなくてもいいのに、と思いかけてから、聖花は自分で「黙っていてください」と言ったことを思い出した。言われた通りにしているだけなのだから、聖花から何か言うのも違うだろう。
そうしているうちに空気がすっかり重くなってしまった。このまま待っていても埒が明かないのではないかと聖花が考え始めたところで、それまで大人しくしていたリリスが突然フェルナンへ近付いていく。
何をするのかと見ていると、そのままフェルナンの腕を掴んだ。
「……何をしているのですか?」
思わず尋ねた聖花に、リリスは何故か満面の笑みを向けた。
「会話する時くらい、人の顔見たらどう?」
「何を……」
言葉の意味を理解するより先に、リリスがフェルナンの身体を引っ張り始めた。
「ちょっ……何するんだよ」
「いいから、ほら」
フェルナンもさすがに抵抗したものの、リリスは構うことなく腕を引き続ける。見た目からは想像していなかったが存外力が強いらしく、重心を崩されたフェルナンは堪えきれずにその場から立ち上がった。
「ほらほら。ちゃんと顔見て話して」
「やめっ……」
リリスが半ば強引にフェルナンの身体を聖花の方へ向けると、その瞬間これまで頑なに避けられていた視線が真正面から重なった。
フェルナンの身体が僅かに強張る。すぐに顔を逸らされるものと思っていた聖花だったが、何故かフェルナンはそのまま動かなかった。
「……え」
小さな声が漏れる。色付きの眼鏡越しに聖花を見つめたまま、フェルナンは何か信じられないものでも目にしたかのように小首を傾げていた。
「何ですか、その反応は」
「……平気だ」
「何がですか?」
問い返してもフェルナンは答えようともせず、何かを確かめるようにじっと聖花を見ている。
「どうして……今は何ともないんだ?」
「先ほどから何を仰っているのですか?」
聖花が訝しげに尋ねても、フェルナンは独り言のように何かを呟くばかりだった。
その様子はリリスにとっても予想外だったらしい。フェルナンを無理やりこちらへ向けた張本人でありながら、不思議そうな顔で彼を眺めた後、その肩を軽く叩いた。
「……大丈夫?」
「ああ……申し訳ない。こちらの話だ」
そこでようやく我に返ったらしく、フェルナンは小さな声で謝罪した。聖花としては何が何ともないのか気になったものの、これ以上新しい疑問を増やしていては話が進まない。ただでさえ聞きたいことが山ほどあるのだから、今は一旦置いておくことにした。
「それで、シンシアとはどなたなのですか?」
改めて問い掛けると、フェルナンはまた少し黙り込んだ。先ほどまでとは違い、今度は聖花から目を逸らすことこそしなかったものの、すぐに答えられることでもないらしい。やがて小さく息を吐くと、ようやく諦めたように口を開いた。
「シンシアは……僕の元婚約者だ」
「元婚約者……」
予想していなかった答えに、聖花は思わずその言葉を繰り返した。シンシアという人物がフェルナンにとって特別な存在なのだろうとは思っていたが、かつて婚約まで交わしていた相手だとは考えていなかった。
「では、その方と私を重ねていたということですか?」
確認するように尋ねると、フェルナンは僅かに首を縦へ動かした。
「……そうなるね」
「ホント、女々しいよね」
横から同意を求めるように口を挟んできたリリスへ、聖花はすぐに視線を向けた。
「リリス様は今は話さないでください」
「はいはい」
先ほどまでなら何かしら食い下がってきそうなものだが、今回は案外素直に引き下がった。
聖花は再びフェルナンへと向き直り、今しがた聞いた話を頭の中で整理する。シンシアはフェルナンの元婚約者であり、自分はその人物によく似ているらしい。それならば、以前フェルナンが自分を「シンシア」と呼んだ理由についても、ようやく理解することができた。
とはいえ、それで全てに納得できたわけではない。似ている人物がかつての婚約者だったという事情は分かったものの、聖花からすればフェルナンに散々振り回されてきたこととは別の話である。
「それで……シンシア様は今、どうされているのですか?」
問いを口にした途端にフェルナンの表情が変わった。先ほどまでよりもさらに深く顔を俯かせていて、折角合うようになった視線も再び地面へ落ちてしまったのだ。傍にいたリリスも「あっ」とでも言いたげな顔をしており、それを見た聖花は遅れて聞いてはいけないことを聞いてしまったのではないかと思った。
それでも、ここまで事情を複雑にしたのはフェルナン自身であり、きっかけはあれど聖花は巻き込まれた側である。今になってシンシアについて尋ねたところで、踏み込みすぎているとは思わなかった。
とはいえ、答えたくないのであれば無理に聞き出すつもりまではない。聖花がどうしたものかと考えていると、やがてフェルナンの口から乾いた声が漏れた。
「……僕の前から、いなくなっちゃった」
自嘲するような乾いた声でそう告げるフェルナンを見て、聖花はこれ以上シンシアについて聞くのはやめることにした。
詳しい事情までは分からないものの、フェルナンが今も引きずっている理由については、おおよそ察することができる。これ以上踏み込んだところで、自分が知りたいこととは関係のない過去まで無理に思い出させることになりかねない。
「……分かりました。おおよその事情は理解しましたので、この話はもう終わりにしましょう」
「えっ、もういいの?」
横から飛んできた声に、聖花はそちらを見もしなかった。
「リリス様は黙っていてください」
「さっきより扱い酷くない?」
不満そうな声は聞こえたが、そのまま無視してフェルナンへ話を戻す。
「ですが、私はシンシア様ではありません。私とその方を重ねて、これ以上振り回すのはお止めください」
フェルナンは何も答えなかった。聖花としても、返事がないからと何度も念を押すつもりはない。言いたいことはまだ残っていたため、そのまま続ける。
「それと、以前のように脅すこともお止めください。あと、これはお願いなのですが……できれば、あのことを周囲へ言い触らさないでいただきたいです」
「あのことって?」
「リリス様には関係ありません」
「気になるなぁ」
「聞いていますか、フェルナン先生」
リリスを相手にしていてはいつまで経っても話が進まない。聖花が改めてフェルナンへ確認すると、暫くして気のない声が返ってきた。
「……保証はできないかな」
決して望んでいた返事ではなかったが、聖花は僅かに意外に思った。
以前のフェルナンであれば、こんな頼みをしたところで取り合うことすらせず拒んでいただろう。それを考えれば、少なくとも今の返事は以前より幾分ましなのかもしれない。
とはいえ、この期に及んで素直に頷くつもりはないらしい。ここまで話したのだから、少しくらい素直に頷いてくれてもいいのではないか。そんな苛立ちが勝った瞬間、聖花はつい口を滑らせた。
「そのようですから、シンシア様に捨てられたのではないですか?」
「違う」
間髪を入れずに返ってきた声に聖花は目を瞬かせた。口にした瞬間に言い過ぎたと思ったが、謝罪するよりも早くフェルナンがこちらをじっと見ている。先ほどまでの気怠げな様子は消え失せていて、その声にも表情にも、これまで見たことがないほど強い否定が滲んでいた。
「シンシアは……シンシアは、もうここにはいない」
「え……」
その言い方に、聖花の脳裏へ一つの可能性が過ぎったものの、口にするよりも先にフェルナンが続ける。
「ある日突然、僕の前からいなくなったんだ。何の前触れもなく、まるで最初からそこにいなかったみたいに」
フェルナンが一度言葉を切る。先ほどまでの強い声はもう残っておらず、次に零れた言葉は酷く乾いていた。
「どれだけ探しても見つからなかった。名前も、声も……姿すら、二度と見かけなくなったんだ」




