12.パトリシア王国とフェルナンⅡ
中央広場を後にしてからも、フェルナンの案内で三人は王都の中を歩き続けた。
最初こそ調べ物の延長として周囲を観察していた聖花だったが、実際に街を歩いてみれば本で得た知識だけでは分からなかったものが次々と目に入ってきて俄然として興味が湧いてきていた。建物の造り一つ取ってもアルバ国とは異なる部分があり、店先に並ぶ品々や行き交う人々の服装にも、この国ならではと思われるものがいくつも見つかった。
何気なく尋ねてみれば、意外にもフェルナンは大抵のことには答えてくれた。質問をすれば返事はするし、聖花が歩くのを止めれば置いていくようなこともしない。流石にこの状況下で無視することなどできないのだろう。もっとも、相変わらず聖花と目を合わせることだけは避けていたが。
だからといって聖花も今さら問い詰めようとは思わなかった。というのも、こうして案内してもらっているだけでも十分すぎるほど伝わってくるし、自分の目で確かめられるものを見ておいた方が話が早かったからだ。
「この先は?」
平然とした顔で聖花の隣を歩いていたリリスが尋ねると、少し前を歩いていたフェルナンが足の速さを緩めた。
「もう少し進めば大きな通りに出るよ。あっちは食事のできる店が多いから、昼頃になれば今より混むと思うけど――」
そこまで話したところで、不意にフェルナンの声が途切れた。何か説明でも始めるのだろうかと思い、そのまま次の言葉を待ったものの、いつまで経っても続きは聞こえてこない。
聖花が不思議に思って顔を上げると、先ほどまで歩いていたフェルナンが少し先で立ち止まっていた。
「………先生?」
呼び掛けても返事はなかった。フードの奥から覗く顔は通りの向こうへと向けられていて、色付きのレンズ越しでは何を見ているのかまでは分からないものの、その場から動こうとする気配がない。
聖花も同じ方向へと目を向けてみる。人々が絶えず行き交う通りの向こうには、いくつもの店や建物が並んでいた。
だが、その更に先まで見渡してみても、フェルナンが何に目を奪われているのかまでは分からない。特別目立つ人物がいるようにも見えず、何か珍しいものがあるようにも思えなかった。
「センセ?」
今度はリリスが声を掛けたが、それでも反応はない。様子を暫く眺めるように見ていたリリスは、漸く呆れたように息を吐くとフェルナンの腕を強引に掴んだ。
「もう、こんなところで止まらないでよ。ほら、行くよ」
普段なら何かしら言い返しそうなものだが、フェルナンは少しも抵抗しなかった。リリスに腕を引かれてようやく足を動かし始めたものの、一度だけ振り返るように先ほどの場所へと顔を向け、そのまま引っ張られるようにして歩いていく。
聖花も二人の後を追いながら、もう一度だけ同じ場所へ視線を向けるも、やはり何を見ていたのかは分からなかった。
それからリリスはフェルナンを連れたまま人通りの多い場所を離れ、少し奥まったところにある休憩所まで移動した。大通りの喧騒もここまでは届きにくいらしく、いくつか置かれた長椅子には人の姿もそれほど多くない。
その一角まで来たところで、リリスはようやくフェルナンの腕を離した。
「センセ」
返事がない。
「センセってば」
それでも反応しないフェルナンにリリスは両肩を掴むと、そのまま身体を前後へ揺らした。
「ちょっと、戻ってきてよ」
それでもフェルナンの意識は戻ってこない。リリスは困ったように彼の顔を覗き込むと、先ほどまでとは少し違う声で呼び掛けた。
「――ナハト」
その言葉が発せられた直後、近くを歩いていた者がこちらを振り返った。
一人だけではない。少し離れた場所にいた者まで足を緩め、何かを確かめるように聖花たちへと視線を向けている。
何故その一言に反応したのか分からず、聖花が周囲の様子に気を取られているとフェルナンの瞳が僅かに動き、はっとしたように顔を上げた。リリスを視界に捉える。
「……揺らさないでくれる?」
ようやく返ってきた声に、リリスはフェルナンの肩から手を離した。
「やっと戻ってきた。もう、まだ引きずってんのー?」
呆れたような口調とは裏腹に、リリスはいつもと変わらない笑みを浮かべている。しかしフェルナンは何も言い返さず、先ほどまで見つめていた方角へもう一度視線を向けただけだった。
そんな二人の傍らで、聖花は先ほどから周囲の様子が変わっていることに気付いていた。
リリスが「ナハト」と口にした直後から、近くにいた何人かがこちらを気にしている。一人なら偶然耳に入っただけとも考えられたが、少し離れたところを歩いていた者まで足を緩めて振り返ったとなれば、さすがに何もないとは思えなかった。
何故あの一言に反応したのかは分からない。それでも、フェルナンがわざわざ顔を隠していることを考えれば、このまま人目のある場所に留まるのは避けた方がいいだろう。
「……リリス様」
「ん?」
「一度、場所を変えませんか?」
聖花が周囲へ目を向けながら声を潜めると、リリスもようやくこちらに向けられている視線に気付いたらしい。
「あー……そうだね」
その返事は妙にあっさりしていたが、聖花は何も言わなかった。リリスが先ほど口にしたものが何なのか気にはなったものの、尋ねるにせよ少なくとも今ここでする話ではない。
「センセ、行くよ」
「……分かってる」
フェルナンも今度は抵抗することなく歩き始め、三人は周囲から向けられる視線を振り切るようにその場を離れた。
フェルナンは黙ったまま先を歩き、聖花もこれ以上問い掛けることなくその背中を追う。普段なら沈黙など気にもせず喋り続けそうなリリスでさえ、今ばかりは珍しく口を挟もうとはしなかった。
大通りから外れ、幾つか道を曲がっていく内に行き交う人の姿は次第に少なくなっていった。先ほどまで絶えず聞こえていた喧騒も遠ざかり、ようやく周囲を気にせず話せそうな場所まで来たところで、リリスがぴたりと足を止める。
聖花も立ち止まると、少し前にいるフェルナンへと目を向けた。先ほどリリスが口にしたものも、それに周囲が反応した理由も気になっていたが、今はそれ以上にフェルナン本人へ確かめておきたいことがあったのだ。
「フェルナン先生」
「……何かな?」
返事はあったものの、フェルナンはこちらを見ようとはしなかった。
「……シンシアとは誰なのですか?」
聖花が真正面から問い掛けるも、彼はすぐには答えなかった。僅かな間を置いた後、こちらに向きかけていた顔を逸らしてしまう。
その態度を見た聖花は、呆れを隠すことなく溜息を吐いた。
「……またそれですか」
ここ数日、何度同じような態度を取られただろう。今日こそリリスに案内役を押し付けられたことで、仕方なくといった様子ながらも質問には答えていたものの、こうして自身のことへと踏み込まれると結局は同じらしい。
「散々かき回しておいて、何故今更避けようとするのですか」
フェルナンは何も答えなかった。
「え、何それ」
代わりに食いついたのはリリスだった。
「僕が知ってること以外に、二人の間で何かあったのー?」
「リリス様は黙っていてください」
「あはは、怒られた」
間髪を入れずに返されたことが可笑しかったらしく、リリスは口元へ手を添えながらケラケラと笑っている。リリスは楽しそうに笑っているが、フェルナンは相変わらず口を閉ざしたままだった。
普段であれば聖花も何か言い返していたかもしれないが、今は相手をしている場合ではない。無言で圧をかけるだけに留め、再びフェルナンへと向き直った。
フェルナンが答えるつもりなら待てばいいし、それでも何も話さないのであれば、これ以上追及したところで意味はないだろう。そう考えた聖花は急かすことなく待っていたが、フェルナンはなかなか口を開こうとしなかった。
聖花が急かすことなく待っていると、暫くしてフェルナンは小さく息を吐き、こちらへ背を向けたまま、ようやく重い口を開いた。
「……似てるんだ」




