17.奏の知らない少女Ⅱ(カナデ)
暫く教室の中を見つめていた奏だったが、いつまでも何もせず廊下に立っているわけにはいかなかった。
ただでさえマリアンナは控えめに言っても可愛らしい容姿をしている上に、箱入りで育った気弱な少女という印象が強いからか何かと令嬢たちにも絡まれやすい。もっとも今の弱気な振る舞いについては、本来の奏の性格ではなくゲームのマリアンナに意図的に寄せているものなのだが。
今の自分がどのような顔をしているのかは鏡を見なくても大体想像がつく。握り締めた拳に力を込めて、歯噛みしながら教室を睨みつけている姿などゲームのマリアンナとは似ても似つかないだろう。
奏は一先ずその場を離れ、早足で廊下を歩きながら気持ちを落ち着かせることにした。
(あ。そうだ)
そうしているうちに、ふと一つの考えが頭に浮かぶ。思い出したのは、奏自身が適当な罪をでっち上げ、牢獄送りにした本来のマリアンナ――入れ替わった少女のことだった。
(――あいつも、前の女みたいに退場させればいいのよ)
いいことを思いついたとばかりに、奏の口元に思わず笑みが浮かぶ。すぐに我に返って表情を取り繕い、誰かに見られていなかったかと周囲へ視線を巡らせたものの、幸いこの辺りは人通りも少なく、それらしい者の姿はなかった。
とはいえ、前と同じように奏自身が直接手を下すのは得策ではない。ゲームのヒロインであるマリアンナが、自ら誰かを陥れて舞台から排除するはずがないのだ。ましてセイカが本当に奏と同じ転移者で、この乙女ゲームについても知っているのだとすれば、あまりにもマリアンナらしからぬ行動を取ることで余計な疑念を抱かれる可能性もあった。
何より、既にゲームとは違う。セイカという者が存在し、本来マリアンナがいるはずだった場所にまで収まっているのだ。このまま好き勝手に動かれて、完全に自分の役割を奪われるようなことだけは避けたかった。
だからといって、セイカとは同じクラスどころか近くのクラスですらないため、奏が直接何かを仕掛けようとしても簡単にはいかない。
アーノルドやリリスについては気になるものの、全てを一度に確かめることもできなかった。さて、どうしたものかと考えながら歩いていた奏の脳裏に、やがて一人の令嬢が浮かぶ。
(……あ。悪役令嬢を使えばいいんじゃない?)
―――ロザリア・モネスト。
公爵令嬢にして、ゲームではマリアンナと同じクラスに在籍していた悪役令嬢である。しかし現実ではマリアンナの代わりに聖花があの教室にいるのだから、当然ロザリアとセイカは同じクラスということになる。
ロザリアは幼い頃から公爵令嬢として厳しく育てられてきた影響もあって、自分なりの規律や身分の序列を何より重んじる女だった。下の者が上の者に従うのは当然であり、無礼を働けば厳しく罰して過ちを改めさせるのも当然。自分にできることなら他人もできて当然という考えまで持っているため、彼女の中にある基準から外れた者には容赦がない。
もっとも、公爵令嬢としての矜持が強いからこそ、相手から至極真っ当なことを言われれば反論できないという妙な律儀さも持ち合わせている。それが奏の知るロザリア・モネストという人間だった。
そんな彼女と同じ教室に奏と同じ転移者であろうセイカがいて、何も起きていないとは考えにくかった。
彼女が本当にヒロインの座を狙っているのであれば、今後も攻略対象とは多かれ少なかれ関わろうとする筈である。実際、既にアーノルドと一緒にいるところを見かけた上に、先ほどはリリスとも親しげに話していた。
それに転移者ならば、本来この世界では何の身分も持っていなかったはずだ。それがどうやってゴルダール伯爵家に取り入ったのかは知らないが、元を辿れば平民と変わらないのだから身分を重んじるロザリアと衝突していても何ら不思議ではない。
(だったら、ちょうどいいじゃない)
奏自身がセイカに手を出す必要などない。それとなくロザリアへと近づき、セイカのことを探ればいいのだ。
入学式では一悶着あったものの、だからといって今後一切話せないわけではない。ましてロザリアの興味を引くような情報を持っていけば、少しくらいは耳を傾けてくれるはずだった。
例えば、彼女が誰よりも慕っているルードルフのことを何気なく話題に出してもいい。あるいは、以前のことなど気にしていないように振る舞いながら、二人のことを応援しているとでも言って少しずつ懐へ入り込む。
そうしてロザリアからセイカの情報を集めながら、必要であれば今以上に敵意を向けるよう仕向けてやればいいのだ。
(ヒロインが悪役令嬢と仲良くするっていうのも変な話だけど……まあ、別のゲームなら友情エンドとかもあるし、それくらいいいでしょ)
そもそもゲーム通りの流れなど、とっくに誰かさんのせいで曲げられているのだ。ならば、自分が多少違う動きをしたところで今さらだろう、とまで考えたところで、奏は以前セイカ本人と言葉を交わしたことも思い出した。
あの時はアーノルドの傍にいたことも偶然だと思っていた。しかしセイカも転移者かもしれないと疑い始めた今となっては、あれさえ攻略対象へ近づくために狙ってやったことのように思えてくる。
少なくとも一度話している以上、まったく接点がないわけでもない。必要になれば、あの時のことを足掛かりにしてセイカ本人に近づくこともできるだろう。
ただし、相手が本当にこの乙女ゲームを知っているのであれば、当然マリアンナがどのような人物なのかも知っているはずだ。
下手に接触して本来のマリアンナらしからぬ部分を見せれば、自分まで転移者だと疑われかねない。今のところセイカが奏についてどこまで知っているのかも分からない以上、わざわざこちらから正体を悟られるような危険を冒す必要はなかった。
(だったら、やっぱり先にロザリアね)
本人へ近づくのはそれからでも遅くない。ひとまず方針を決めたことで、先ほどまで早足だった奏の歩調もようやく緩やかなものへと戻っていった。
それから暫くして、奏は廊下の向こうに見覚えのある姿を見つけた。
―――フェルナンだ。
昨日ようやく生徒会へ顔を出したばかりということもあって自然と目で追いかけた奏だったが、その途中でもう一人、見覚えのある姿が視界に入る。
(……あいつ、また)
先ほど教室で見かけたセイカだった。
二人が近くにいることに気付き、足を止めないまま様子を窺う。もしセイカがゲームの知識を持っているのなら、フェルナンにまで近づいていたとしても不思議ではないのだ。
ところが奏が見ている間、フェルナンがセイカへと話しかけることはなかった。それどころか視線を向ける様子すらなく、まるでそこにいることなど気に留めていないように見える。
(……フェルナンは大丈夫そうね)
ゲームの彼なら、興味を持った相手には自分から距離を詰めていく筈だ。昨日会ったばかりの奏に対してすらあれだけ距離が近かったのだから、聖花に何の反応も示さないのであれば、少なくとも今のところ特別な関心は持っていないのだろう。
そう判断すると、奏は少しだけ安堵してその場を通り過ぎた。




