18.恋する乙女の意外な一面
休み時間に入ると、聖花は机の上に広げていた紙に視線を落とした。カナデのこと、ルードルフのこと、アーノルドのこと――それ以外にも考えなければならないことはいくつもあり、何から手を付けるべきか決めるだけでも一苦労だった。
一つずつ頭の中で整理しようと思い、考え込んでいるだけなのも妙なので手元の作業を続けていると教室の外から聞き覚えのある声が聞こえてきた。何事かと顔を上げれば、少し離れた廊下にフェルナンの姿がある。数人の生徒を相手に話していて、口元にはいつもの色気を含んだ笑みを浮かべている。
(そういえば、また目が合わなくなってるな……)
少し離れたところにいるフェルナンを見た後、聖花は特に気に留めることもなく手元へと視線を戻した。わざわざ確認するまでもない。パトリシア王国から戻ってきて以来フェルナンは聖花のいる方を見ようとすらしなくなっていて、意図的に避けられているのは明らかだった。
少し前までなら、そんな態度一つにも警戒していただろう。何を考えているのか分からない上に聖花の正体を知り、半ば脅すようなことまでしてきた相手なのだから無理もない。
何故また避けるようになったのかまでは分からない。それでも、これまで妙な態度を取ってきたのはシンシアを重ねていたからだと本人の口から聞いている上に、正体を周囲へ言い触らされる危険も以前ほど感じなくなっていた。そう思えばかつてのように恐ろしい相手には感じられず、むしろまた何か抱え込んでいるのではないかと呆れさえ覚えてしまうのだ。
(リリス様の言うところの『女々しい』ってやつなのかしら)
パトリシア王国で一度正面から話したこともあり、以前より聖花の方から声を掛けることへの抵抗は薄れていて、もしその気になれば何故また避け始めたのか本人へ直接尋ねることもできるだろう。もっとも、そこまでする必要があるのかと考えれば微妙なところだった。
完全に信用した訳では無いとはいえ、以前ほど警戒する理由もなくなっている。再び避けられているのだけならば、わざわざこちらから刺激してまで避ける理由を聞き出す必要はないだろう。
フェルナンについては一旦置いておくとして、聖花には他にも忘れてはならないことがあった。
ルードルフについてはほぼ確実に正体を知られたものの、今のところ誰かへ話した様子はなく、すぐに暴露するつもりもなさそうだった。アーノルドには何か疑念を持たれているようだが、現在は協力関係にあるし、リリスについても振り回されてはいるものの、少なくとも害を及ぼそうとしている訳ではない。
令嬢たちについても面倒ではあるが対処できないほどではなかった。
ただ、図書室には以前ほど気軽には足を運べなくなっていた。またルードルフと鉢合わせて以前のようなことになるのではないかと思えば、委員として用がある時を除いて自然と足が遠のいてしまう。それに、パトリシア王国へ行ったことで知りたかったことの幾つかは既に知ることができているのだ。
図書室で本を読み続けているだけでは分からないこともある。以前リリスから言われたことも、今なら少しは理解できる気がした。現にフェルナンについて知ることができたのは本を調べたからではなく、実際にパトリシア王国まで足を運び、本人と向き合ったからなのだ。
そう考えると、なおさら今は同じ場所で調べ物を続けるより動いた方がいい。
ただ、次から次へと起こる問題へ対処しているうちに肝心なことがすっかり後回しになっていた。
(……カナデのことも、ちゃんと考えないと)
この間偶然言葉を交わしたとはいえ、互いに自己紹介をした程度で知りたかったことは何一つ確かめられてはいない。どうやって身体を入れ替えたのかも、カナデが何故そんなことをしたのかも分からないままだ。
もっとも、だからといって真正面から尋ねるわけにもいかない。カナデが明確な悪意を持って自分と身体を入れ替え、その罪まで押しつけたことは分かっている上、今の聖花は彼女から見ればセイカ・ゴルダールという赤の他人なのだ。迂闊に正体を悟らせるようなことだけは避けなければならなかった。
それに、これまでカナデと顔を合わせた時のことを改めて考えてみると妙な点があった。
一度目にカナデと会ったのは、まだ身体が入れ替わる前、ゴルダール家で開かれたパーティーだ。そして二度目は学園で再会した時であり、その後に今の状態になっている。さらに三度目となる入学式の日には、何故か人目につきにくい場所で再会した。あの時は聖花とアーノルドが先にその場にいたところへ、カナデが一人で現れたのだ。
こうして並べて考えてみると、ただの偶然として片付けるには妙なところが多い。少なくとも、あの日わざわざ人目につきにくい場所へ来たのは、ただの偶然ではないように思えた。
いずれにしても、このまま何も確かめないままでいるわけにはいかない。そこまで考えたところで、聖花はふと引っかかりを覚えた。
(……どうして私は、ここまで身体を取り戻したいんだろう)
自分の身体なのだから取り戻したい。それだけならば何もおかしな話ではない筈なのに、聖花には以前マリアンナとして生きていた記憶がないのだ。にも関わらず、元の身体へ戻らなければならないという焦りだけは最初から妙なほど強く胸の内に居座っていた。
何故なのかと考えてみてもそれらしい答えは浮かばなかったが、このまま放っておいてはいけないという感覚だけは消えてくれなかった。既に自分の正体を知る者もいる以上、これ以上厄介なことになる前に何とかしなくてはならなかった。正体と言っても、それすらも偽の姿なのだが。
「……聞いておりますの?」
考えに没頭していた聖花の意識を、すぐ傍から聞こえてきた声が現実へ引き戻した。
顔を上げるとシェリーが困ったような、それでいてどこか心配そうな顔でこちらを見下ろしている。どうやら一度や二度ではなく、先ほどから何度も声を掛けられていたらしい。
「すみません。少し考え事をしていて……」
「それは見れば分かりますわ。それより、貴女の友人を名乗る方が呼んでおりますわよ」
「私の友人?」
誰のことだろうとシェリーの視線を追ってみれば、教室の入口には見覚えのある少女が立っていた。
「シャンファ?」
思わぬ人物の姿に目を瞬かせた聖花は、すぐにシェリーへと向き直った。
「何度も何度も申し訳ございません」
「いえ。入口付近の席に座っている以上、もう諦めております」
シェリーは自分の席をちらりと見やり、小さく息を吐いた。どうやら席の位置が災いして、すっかり伝言役にされているらしい。
「では、私はこれで」
それだけ告げると、シェリーは今度こそ用は済んだとばかりにその場を離れていった。聖花はその背中を見送ってから、改めてシャンファへと目を向ける。
彼女の方からわざわざ教室まで訪ねてくるとは思っていなかったものの、考えてみれば友人ならば特別おかしなことでもない。待たせてしまったことを詫びながら入口まで駆け寄ると、シャンファは待っていましたとばかりに表情を明るくした。
「私、どうしても誰かにお話ししたくって……! 聞いてくださいませ、ヴェルディーレ先生のことですわ」
「ヴェルディーレ……ギル先生のことですか?」
「そうです。特別講師としていらしていたでしょう? まだ学園にいると聞きつけまして、少し探していましたの」
シャンファは迷うことなく頷くと、先ほどまでとは打って変わって弾んだ声で話し始めた。
「別棟の実験室にいらっしゃったのですが、それはもう、美しい魔術をお使いになられて……! あの光景を私一人の胸にしまっておくなんてできませんわ。この気持ちを誰かと共有せずにはいられませんもの!」
よほど興奮しているのだろう。普段よりも幾分早口になりながら語っていたシャンファだったが、不意に何かへと気付いたように言葉を止めた。
「……少しお待ちになって」
先ほどまで浮かべていた笑みが消え、確認するように聖花の顔を見る。
「今、ギル先生とおっしゃいましたか?」
「はい。ヴェルディーレだと他にもいるとのことなので、そう呼ぶようにと」
「やはり……」
何やら納得したようにシャンファが小さく頷いたかと思えば、今度はじっと聖花の顔を見つめ始めた。
「前のパーティーでも薄々感じてはいたのですが、やはり距離が近くありませんこと?」
「そうでしょうか?」
「ああ、勘違いなさらないでくださいませ。別に批判しているわけではございません。ただ、少し羨まし――いえ、何でもございません。今のは忘れてください」
途中まで言いかけた言葉を慌てて引っ込めたものの、そこまで聞かされて気付かないほど聖花も鈍くはない。シャンファの顔をじっと見つめていると彼女は露骨に視線を逸らした。
「シャンファ……さすがに分かりやすすぎますよ」
「な、何のことでしょう?」
明らかに動揺した声とともに、シャンファの頬がみるみる赤く染まっていく。その反応を見れば、先ほどまで抱いていた疑問は殆ど確信へと変わってしまった。
「シャンファ……」
「そんな目で見るのをやめてくださいませ!」
堪えきれなくなったらしく抗議の声を上げるシャンファに、聖花は少しだけ身体を寄せた。さすがに教室の入口で大きな声で聞くような話ではないため、周囲に聞こえない程度まで声を落として尋ねる。
「どこが好きなのですか?」
問い掛けられたシャンファは一瞬言葉に詰まったものの、ここまで知られてしまえば今さら誤魔化す意味もないと思ったのか、赤くなった頬へ片手を添えながら口を開いた。
「……全部ですわ。飾り気のないところも、ふとした時に見せる仕草も、それから、あの美しい魔術も……」
一度認めてしまえば吹っ切れたらしく、先ほどまで必死に誤魔化そうとしていたのが嘘のように言葉が続いていく。その表情を見ているだけでも、本当にギルガルドのことが好きなのだということは十分すぎるほど伝わってきた。
聖花としては、友人の思わぬ一面を知ったようで少し微笑ましくもあったのだが、次に続いた言葉によってそんな感想はあっさり吹き飛ばされた。
「だからこそ、彼に近づく害虫は駆除しなくてはなりませんわ」
あまりにも自然な口調で物騒な言葉が飛び出したため、聖花は聞き間違いではないかとシャンファの顔をまじまじと見つめた。
「シャンファ、今さらっと凄いことを言いませんでした?」
「ああ、ご安心くださいませ。セイカは私の中でボーダーを満たしておりますので、何もいたしませんわ」
「何のボーダーですか!?」
安心できる要素が一つも増えていないどころか、むしろ新たな疑問まで増えてしまった。思わず声を上げた聖花だったが、当のシャンファは不思議そうに目を瞬かせている。
「どうしましたの?そんなに必死になって」
「いや、どうしたも何も――」
そこまで言いかけたところで、聖花はシャンファの反応に違和感を覚えた。どうやらギルガルドについて語り始めてからというもの、興奮するあまり自分の世界へ入り込んでいたらしい。聖花が先ほどから挟んでいたツッコミも殆ど耳には届いていなかったようだ。
「……シャンファ。一つだけ約束してもらってもいいですか?」
「何でしょう?」
「少なくとも、本当に『駆除』するのだけはやめてくださいね」
念のため釘を刺しておくと、シャンファはきょとんと目を瞬かせた。
「もちろんですわ。必要がなければいたしません」
「必要があっても駄目です!」
思わず声を張り上げれば、教室にいた何人かが何事かとこちらを見つめていた。慌てて口を閉ざした聖花とは対照的に、シャンファは相変わらず上機嫌な笑みを浮かべている。
結局、ギルガルドのことが好きなのかは嫌というほど分かったものの、それ以上に知ってはいけない友人の一面まで知ってしまった気がしてならなかった。
少なくとも今後、シャンファの前で迂闊にギルガルドの話を振るのだけはやめておこう。聖花はそう心に決めながら、楽しげに話し続ける友人を何とも言えない顔で見つめるのだった。
ここまでお読み頂きありがとうございました。
『面白かった』『続きを読みたい』と思っていただけましたら、
ページ下部の【ブックマーク】や【評価】をして頂けると嬉しいです。
皆さまの応援が今後の執筆の励みになります。
まだお読みでない方は、ぜひ第一話もご覧いただけますと幸いです。




