10.パトリシア王国へ
それから数日が過ぎ、気が付けばリリスと約束した週末を迎えていた。
その間も令嬢たちに声を掛けられたり何かと突っかかられたりすることはあったものの、幸いこれといった騒ぎに発展することはなかったし、フェルナンも相変わらず聖花を避け続けていた。
ただえさえ面倒事が多いというのに、これ以上悩みの種を増やしたくはなかったため、聖花は昼休みや放課後には図書室で借りた本を持って屋上へと向かい、週末までへ以前アーノルドと話した場所で一人静かに過ごすようにしていた。本来であればカナデの様子を窺いに行ったり、シャンファの教室に顔を出したりもしたかったのだが、今はあまりにも多くのことが立て続けに起きていて、あれこれ手を広げるよりも先ずは目の前のことから一つずつ片付けていきたかったのだ。
そして迎えた約束の日、聖花はアデルに今日は一日図書室で過ごすとだけ伝え、休日だというのに朝早くから軽装で寮を抜け出してきた。誰かに見つかって行き先を尋ねられては困るので、なるべく物音を立てないよう気を配りながら廊下を進み、そのまま待ち合わせ場所である図書室へと向かう。
休みのこともあってか幸い途中で誰かと鉢合わせることもなく、やがて図書室の入口が見えてきたのだが、その傍に立っていたのはリリス一人ではなく――もう一人いたのだ。
その人物を視界に入れた瞬間、聖花は思わず足を止め、このまま何も見なかったことにして引き返そうかと考えた。しかし行動へと移すよりも先にリリスがこちらへと顔を向けた。様子を見るに、聖花の存在に気付いたようだった。
「あ!来た来た。遅かったね、待ちくたびれたよ」
明るい声を上げるリリスに聖花は一瞬だけその場へと立ち尽くしてしまったものの、見つかってしまった以上は仕方がないと諦めて二人のもとまで歩いていった。
「……何故、そちらの方がいらっしゃるのですか?」
努めて平静な声で尋ねながらも内心では疑問しか浮かんでこない。予想外の人物がいることにも驚いたが、何よりこの二人が揃って自分を待っているという状況があまりにも想像も理解もし難く、かえって冷静になってしまったほどだった。
そもそもあの事件を知っておいて何故誘ったのだろうとさえ聞きたくなった。もしリリスが聖花の裏事情を知っていたにせよ知らないにせよ、わざわざ引き合わせる意味が分からないが、彼のことを考えれば十二分に有り得た。
「…………お前」
聖花がそんなことを考えていると、もう一人――フェルナンが、隣に立つリリスを恨めしげに睨みつけながら低い声を漏らした。
それもほんの一瞬のことで、すぐにいつもの余裕のある表情に戻ったものの聖花へと視線が向けられることはなく、最早あからさま過ぎて隠す気など更々ないらしかった。ここへ来てから一度として目が合っていない。
以前のことと言い今のことと言い、聖花は何とも言えない居心地の悪さを覚えた。
「……騙したね?」
「騙したなんて人聞き悪いなぁ。僕はただ、ここに来るようお願いしただけじゃない?それより、生徒に『お前』は駄目じゃない?」
「ああ、失礼。つい本音が漏れてしまったよ」
にこやかな笑みを浮かべながら答えるフェルナンだったが、その目は相変わらずリリスだけを見つめており、すぐ傍にいる聖花へ向けられる気配はない。あたかもその場に彼女がいないかのようだった。
(気まずい……!)
そんな二人を遠巻きに眺めながら、聖花は内心帰りたい気持ちに陥っていた。約束を取り付けた際は話に乗ったが、フェルナンが来るなんて聞いていない。
ただでさえ今の聖花にとってフェルナンはどう接すればいいのか分からない相手である。ここ数日は露骨に避けられているし、前のことがあったものの事情が事情なので、こちらから声を掛けるべきかどうか悩んで判断しきれずにいた――というのに、何故か今日はリリスと並んで約束の場所に立っている。
おまけに、当のリリスは明らかに今の状況を楽しんでいるように見える。聖花の反応が面白いのかフェルナンの反応が面白いのかは分からないが、この二人と共に他国へ向かうなど今さらながら嫌な予感しかしなかった。
(……やっぱり帰ろう)
聖花は二人に気付かれないよう、そっと後ろへと下がろうとした。双方の意識が彼女に向いていない今、もし密かに戻ったとて直ぐには気付かれないだろうと思ったのである。
「はい、お喋りはここまで。行くよ」
しかし直ぐ様リリスの声が飛んできたため、聖花は何事もなかったかのように足を元の位置へと戻した。どうやら逃げ切れないらしい。
「行くって、どこに?」
「パトリシア王国」
事情を把握していないのかフェルナンが怪訝そうに尋ねると、リリスは何でもないことのように答えた。それを見ていた聖花も、この間の自身を見ているようで頭痛がしてきてしまった。
「…………は?」
フェルナンの表情が僅かに固まる。
初めの様子を見た時から薄々勘付いてはいたが、どうやら聖花の予想通り何も聞かされないままここへ呼び出されたらしい。先ほどまで聖花と目を合わせようとしなかったことなど忘れたかのようにフェルナンはリリスへと詰め寄ろうとしたが、その時には既に青い結晶が彼の手に握られていた。
「待て。どういうこ――」
問い質す声が最後まで続くことはなく、リリスは二人が止めるより早く手にした結晶を握り潰した。
乾いた音と共に青い結晶が砕け、そこから溢れ出した眩い光が一瞬にして三人を包み込む。あまりの眩しさに聖花は反射的に目を閉じたが、身体が浮き上がることも、どこかへ引っ張られるような感覚もなく、ただ一瞬だけ足元が曖昧になったような奇妙な感覚を覚えた。
そうしている内にそんな感覚もすぐに収まり、まさかと思い恐る恐る閉じていた目を開ける。先ほどまで目の前にあった図書室の扉や、学園の景色は既にどこにもなく、代わりに聖花の視界いっぱいに広がっていたのは一度も目にしたことのない景色だった。




