25.見えていなかったもの
放課後になると今日も勉強会のために図書室へと赴いていた。結局昨日と面子は変わっておらず、おまけに今日もエレンに場所を貸してもらっていて何とも居心地が悪かったが昨日のような尋問が始まることはなく、淡々と勉強会は進んでいった。とは言っても聖花以外全員学年トップクラスの成績を持っていて、只管自身だけが教わるという形になっていたが。
聖花を教えるリリスや、聖花を見張っているロザリアがいる理由は理解できても、ルードルフがその場にいる理由が本当に理解できない。アーノルドとのことが理由なのかもしれないが、こんな状況で一体自身に何ができるというのか。
そんなことを考えつつ勉強会はそのままスムーズに進み、昨日同様聖花が使った教本を戻しに行くことになったものの戻し終えても直ぐには戻らず、何かいいものはないかと本を漁っていた。
「セイカ嬢」
やがてルードルフがロザリアを伴ってこちらへとやってきた。ロザリアは「殿下?何をしておりますの?」と只管ルードルフに問い掛けている。恐らくロザリアは監視のために聖花が戻ってくるのを待っていたのだろうが、ルードルフも残っていたのだろう。やがて図書室の奥へと進んだルードルフを不審に思ってロザリアがついてきたのだと考えられる。
「……何でしょうか」
「中々戻ってこないので様子を見に来ましたが……。何を探しているのですか?」
「試験に関係する本を少し……」
聖花と書架を交互に見比べたルードルフが尋ねたものの、聖花は魔術に関連する教本の置かれたコーナーにいたのだから言い訳するにせよ試験の事は使えたのだ。そうすると、僅かに首を傾げてルードルフが続ける。
「先ほど使っていたものでは足りなかったのですか?」
「……他に良いものはないかな、と思いまして」
他に良い言い訳が見つからないものの、もっともらしい理由のように聞こえなくもない。そう思っていると、何を思ったのかルードルフが僅かに目を細めた。
「成程。宜しければ手伝いますよ」
「殿下……!?」
傍にいたロザリアが思わず声を上げる。わざわざ聖花を探しに来ただけでなく本の搜索を手伝うと言い出したのだから当然のことだった。
そうして、ロザリアから痛い視線を受けつつも結局断ることもできずに押し切られ、何故か全員で分かりやすそうな教本を探すことになった。
とはいっても全員が殆ど同じ場所で探しているのだから効率が悪い。真に目的があることは確かなのだろうが、ロザリアがその場に居合わせていることもあり中々踏み切れないのだろう。
そうしていると、ふと本を探していたルードルフが視線を向けることなく言葉を重ねた。
「最近何か変わったことはありませんでしたか?」
「……はい?」
何故そんなことを。傍にロザリアがいるからか質問は控えめではあるが、そのような曖昧な質問では却って何と答えていいか分からない。
「前のこと絡みで。ですか?」
「ええ」
敢えて言葉を濁して問い返すとルードルフが小さく呟くように返事をした。様子を見ていたロザリアが僅かに眉を顰める。
「特に変わりはなかったかと。殿下は噂について聞きましたか?」
「……一体何の話をしているんですの?」
遂に我慢できなくなったのかロザリアが口を開いた。
「少し世間話をと」
「ええ。何らおかしくはないでしょう?」
示し合わせたかのように返事をする二人を見たロザリアが僅かに目を見開く。暫くの間口を噤んで何かを考えるように視線を下へと向けたと思うと、今度は二人を交互に見直して目を細めた。
「お二人で隠し事とは、随分仲のよろしいことで」
思っていた反応と違う。これまでに聖花が見た限りでは、少なくとも昨日の勉強会の時点ではロザリアはルードルフに気があるとばかり思っていたが今の彼女からはそんなもの微塵も感じられない。もしかすると昨日ルードルフに尋問されたことにより冷めてしまったのかもしれないが、切り替えが早いタイプなのかもしれなかった。
「クラスメイト――それも隣の席同士なのですから、仲が良くても何ら不思議ではないでしょう?」
「そうですわね。少なくとも、お相手が貴女でなければ。ねえ、セイカさん?」
ここで振ってくるとは思ってもみなかった。突如としてロザリアに鋭い目を向けられた聖花は、頬を引くつかせながらも視線を返す。
「何のことでしょう」
「惚けないで下さいまし。それとも――一つ一つ丁寧にご説明した方が宜しいかしら?」
「それだけは本当にやめてください」
ロザリアならば本当にやりかねない。扇子を広げ口元に当てているロザリアを見据えつつ、何と答えればいいか考える。
「でしたら話してくださいますわよね?」
そう言われ、聖花がふとルードルフに視線を送ると、ニッコリ微笑むばかりでルードルフが何も返してくることはなく、どこまで話せばいいのかが分からない。それに、少しばかり以前とは変わったからといってロザリアが噂を広めない保証は何処にもないのだ。
「口外しないと約束して下さるのであれば……」
「内容によりますわ」
ふんっと組むようにしてそっぽを向いたロザリアに聖花があぐねいていると何を思ったのかルードルフが顎に当てていた手を離し、ロザリアの方に目を向けた。
「ロザリア嬢」
「……何でしょう」
「謹慎から解けたばかりの身ということをお忘れですか?」
その瞬間、ロザリアが黙り込んだ。それから暫くの間、何故かルードルフではなく聖花を睨み付けるように見たかと思うと、ゆっくりとルードルフに視線を戻す。
「……まさか殿下ともあろう方が、私を脅すのでしょうか?」
「脅すなどそんな物騒な。ただ気になっただけですよ」
「殆ど脅しのようなものですわ」
尚も笑みを浮かべるルードルフをロザリアは暫く見つめていたものの、やがて諦めたかのように小さく息を吐く。
「……仕方ありませんわね。私の名にかけて、決して口外しないと誓います」
ここまで言ったのだから文句はないだろうと言いたげに視線だけをこちらに向けてくる。自身の名にかけて誓うことは貴族社会において重いことであり、傍で第一王子でもあるルードルフが見聞きしている以上、これから話すことを彼女が広めることは余程のことがない限りは有り得ない。聖花にとってはそんなもの口約束にしか他ならないのだと思うのだが、貴族――それも高位貴族にとっては重きを置くべきものらしいのだ。
「貴女ならそうして下さると信じていましたよ」
「……ほんと、私は何を見ていたのでしょうね」
笑みを浮かべるルードルフに、ロザリアが息を吐くように呟く。一連のやり取りを見た聖花は口元を僅かに引くつかせながらも、様子を見計らって声を掛けるタイミングを探していた。
「何か仰いましたか?」
「いいえ。何も」
漸く静かになったところで声を掛けようとすると、ふとロザリアがこちらを見た。
「それで、話してくださる?」
先ほどよりもやや命令気味に告げたロザリアは手にしていた扇子を閉じると聖花へと距離を詰めた。
一体何から話せばいいというのだろう。フェルナンとのことなのかアーノルドとのことなのか、それとも自身のことについてなのか。幾ら公爵令嬢であるロザリアが口外しないと告げたところでやはり心の何処かに不安は残るものだ。
暫く考えた末、フェルナンのことと自身のことは一旦置いておくことにして、今回のことについてのみ話すことにした。要するに、聖花がアーノルドに監禁されてから学園へと戻って来るまでの事のあらましである。勿論、ルードルフとの詳しい会話内容は伏せているものの、それでもかなり大ごとであるということは誰でも理解できるだろう。
全てを話し終えたものの、いつもの堂々とした立ち振る舞いは何処へやら、案の定ロザリアは余りに重い内容に暫く口を半開きにして放心していた。
「……もう一度始めからお話いただけます?そもそも何故そのようなことになっておりますの?」
漸く意識が戻ってきたかと思うと、未だに混乱しているのか考えが纏めきれぬ様子で質問を重ねてきた。療養しにゴルダール家に帰ったと思っていた筈の聖花が実はアーノルドに監禁されていたのだ。そんな事実、到底直ぐに受け入れられるわけがない。
何度か説明を重ね、漸く落ち着いたのか小さく息を吐いたロザリアは、今度は頭が痛いと言いたげに額に片手を添えた。
「……不審な点は、まだ幾つか残りますけれど……」
ぽつりと呟きながら、ロザリアはちらりとルードルフに視線を向ける。対するルードルフは、何を思ったのか僅かに目を細めるだけで何も答えなかった。
「……心底同情いたしますわ」
「……ありがとうございます」
元はと言えばロザリアの所為でこんなことになっているというのに何故同情されているのか。思わず突っ込みたくなったがそんなこと言える筈もなく、思ってもいない感謝の念を告げる。
不意に顔を上げたロザリアは聖花の方に向き直ると、突如として頭を下げた。貴族社会において、身分の高い者が自ら下位の者へ頭を下げるなど余程のことでもない限り有り得ない。
状況が把握しきれず困惑する聖花にロザリアが続ける。
「思い込みだけで不用意な行動をし、巻き込んだこと……深くお詫び申し上げます」
「顔を上げてください。昨日謝罪は済んでいるわけですし――」
「あれは謝罪とは言えませんわ」
困惑して思わず止めようとする聖花にロザリアが口を挟む。確かにその通りなのだが、話は終わったようなものなのにまさかロザリアから持ち出されるとは思ってもいなかった。
「それに――」
依然として動けない聖花に、ロザリアが言葉を切ると続ける。
「事情は存じ上げませんがティーザー侯爵子息殿とパース教員のことも。改めてお二人の性格を考えるとセイカさんが振り回されているだけのように思えてきました」
今更その考えに至ったらしい。できることなら早々にそこに行き着いて欲しかったところだが、とやかく言ったところで既に過ぎた話である。そんなことを思っていると、ロザリアが眉を顰めて不思議そうに首を傾げる。
「何故そんなにも皆様がセイカさんに執心しているのか理解し難いですけれど」
顔に出ていたのかと思ったのだが違ったようだ。ロザリアはそう言うと、再びセイカへと視線を向けた。
「他にも隠し事がありますわよね?」
「それは――」
言葉に詰まる聖花を一瞥すると、ロザリアがあからさまに溜息をついた。
「もういいですわ。これ以上聞くと頭の痛みが酷くなりそうですので」
ロザリアが話を切り上げる。
「さっさと帰りますわよ!」
歩き出したかと思うと不意に振り返って静かな図書室でロザリアが声を上げた。放課後とは言え他に人がいるかもしれないのでやめてほしいところである。
だがふと気になることがあった。ロザリアが事情を把握し疑いが晴れたのだとしたらこれ以上共にいる必要は彼女にはない筈なのだ。
「でも、見張りの必要は……」
「それとこれとは別ですわ」
聖花が言おうとすると、遮るようにロザリアが告げる。
「貴女を一人にしておいたら、また学園の秩序が乱れかねませんもの。……暫くは私が見ていて差し上げます」
「左様ですか……」
そう呟いてからちらりとルードルフの方へと視線を向ける。
「……殿下は?」
「帰りに殿方と共に歩く者がおりますこと?帰りますわよ」
ロザリアにルードルフをどうするのかと尋ねるとロザリアが視線を向けることなく返事をして歩き出す。対するルードルフはと言うと、「そうですね」と頷いていた。
「……はい」
聖花はその後を追った。
その後、廊下でロザリアが「あの腹ぐ……あら、口が滑りましたわ」と言葉を漏らしていたものの、聖花は聞かなかったことにして静かに胸の中にしまい込むことにしたのだった。




