23.第二王子についての噂
そうして昼休みになった。授業の合間には視線をちらちらと送ってくるくらいでロザリアが聖花の元に来ることはなかったものの、リリスが聖花に少しでも身体を寄せようものなら途端に鋭い視線を向けてくるということだけは度々繰り返していた。リリスもその視線には気付いているのか、むしろ面白がっているようで、昨日までよりも聖花に身体を寄せてくるのだから随分と意地が悪い。
教室で軽く昼食を済ませると、廊下へと出ようとして聖花は席を立った。
入学当初こそ学園内の食堂を利用することもあったのだが、他クラスの生徒とも嫌でも顔を合わせる食堂に例の噂が蔓延してからは足を運ばなくなり、何より今はアーノルドと鉢合わせる可能性を考えると教室から殆ど出ない方が都合が良かった。昨日の昼休みは持参した本を読んだり、授業の復習や予習、試験勉強をしたりして時間を潰していて、今日こうして図書室に向かおうと思ったのは強ちロザリアたちの存在が大きかったからかもしれない。
「何処に行きますの?」
教室を出ようとしたところで、背後からロザリアに声を掛けられた。
「図書室です」
そう答えて歩き出そうとしたものの、ロザリアは聖花の言葉に僅かに眉を寄せた。
「図書室?勉強会でもないのに、あんな地味なところに行きますの?」
「嫌だったらついてこないでください。私一人で行きますので」
思わずそう返してしまったものの、本当に一人で行くわけにもいかないと聖花自身も分かっている。そもそも今朝、共に行動することになったばかりなのだから。
だがそれ以上何も言わずに歩き出そうとしたところ、ロザリアは何を思ったのか聖花の前へと回り込むようにして立ちはだかったのだった。
「嫌だとは言っておりませんわ。行きますわよ」
ご丁寧にそんな言葉まで添えてくるものだから、思わず聖花は小さく息をついた。直ぐ傍ではマイルが「ロザリア様……」と小さく呟いていたものの、本人はまるで気にする様子もなく歩き出そうとしている――その時だった。
「ねえねえ」
横から突然声を掛けられた聖花が驚いて振り向くと、いつの間に近付いてきたのか其処にはリリスが立っていた。どうやらロザリアも気付いていなかったらしく、僅かに目を瞬かせている。
「貴方、いつの間に」
ロザリアが思わず呟くと、反応が面白かったのかリリスが少しばかり口角を上げた。
「いつだっていいでしょ?昨日の勉強会からすっかり仲良くなっちゃって」
「何処をどう見ればそう見えますの?」
「何処からどう見ても、そうにしか見えないけどな」
思わず突っ込んだロザリアに、リリスは悪びれる様子もなく返す。するとロザリアは微笑んだまま扇子を広げて口元へと添えると鋭い視線をリリスに向けた。
「貴方という人は、相変わらず随分と人を苛立たせるのがお得意なようで」
「ありがとう?」
「……褒めておりませんわ」
呆れたように呟いたロザリアはそれ以上相手をする気もないのか、もういいと言わんばかりにリリスから視線を外すと改めて聖花に目を向けた。
「さっさと行きますわよ」
「はあ……」
何故ロザリアが指揮を執っているのだろうか、と聖花は思わず溜息を漏らしたものの、眉が僅かに動いただけでロザリアがそれ以上何かを言ってくることはなかった。そのまま歩き出そうとしたところに再びリリスが声を掛ける。
「僕もついて行っていい?」
「駄目に決まっているでしょう。しばきますわよ」
思わず聖花は目を丸くした。そんな言葉がロザリアの口から出てくるとは思わなかったからだ。どうやらリリスも同じことを思ったのか一瞬だけ目を瞬かせていた。
「君ってそういう冗談言えるんだ」
「あら。試してみますこと?」
「遠慮しとくよ」
笑顔のままそんなことを言うロザリアに、リリスは軽く返すと「大丈夫そうだね」と呟いてそのまま何処かへと去っていった。
本当に何だったのだろう、と聖花がその背中を眺めていると、ロザリアが何かを思い出したように振り返る。
「行きましょうか」
「……はい」
先ほどよりも幾分落ち着いた様子のロザリアに、聖花は僅かに眉を顰めながらもその後を追った。
◆
「聞きまして?第二王子殿下の噂」
「ええ。戻ってきたのはいいものの、魂が抜けたようにぼんやりとしていらっしゃるとか。私も見ましたけれど、心ここにあらずといった風でしたわ」
「そのようで大丈夫なのかしら?」
教室を出て廊下を歩いていると、少し先から女子生徒たちの話し声が聞こえてきた。何気なく聞き流そうとしていたものの、その名を耳にした瞬間聖花の足が止まる。
第二王子――アーノルドのことである。
「セイカさん?どうされましたの?」
噂話をしていた令嬢たちの方へと視線を向ける聖花に気付いたのか、先を歩いていたロザリアも遅れて振り返った。その声音には、まさか話し掛けるつもりではないでしょうね、とでも言いたげな警戒が滲んでいる。
「少しよろしいでしょうか」
そんなロザリアには構わず、聖花は令嬢たちの元へと歩み寄った。対するロザリアはと言うと、令嬢たちの方へと向かった聖花を追うように足早に引き返してきていた。
「はい?突然何です……ろ、ロザリア様!?」
突然話し掛けられたことに怪訝な顔をしていた令嬢たちは、聖花の背後にまで追いついたロザリアの存在に気付いた途端、慌てたように声を荒らげた。直ぐさま姿勢を正し、無礼を詫びるような様子を見せながらも恐る恐る口を開く。
「私たちに、何の御用でしょうか……」
「私ではなく、こちらの方が貴女方に用があるようですわよ」
ロザリアは呆れ半分といった様子で聖花に話を振る。令嬢たちは戸惑ったように聖花へと視線を戻したものの、相手がロザリアではないと分かるなり先ほどまでの怯えた様子が嘘のように落ち着きを取り戻した。
「……それで、何の用ですか?」
「先ほど第二王子殿下の話をされていたようですが、詳しくお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「え?ああ、はい……。殿下が少しの間王城に戻っていたのはご存知ですよね?」
「はい。存じております」
令嬢は少し困惑しながらも、先ほどまで話していた内容を思い出すようにして続けた。
「それが……つい先日戻ってきたのですが、魂が抜けたかのようで。話し掛けても返事もしなければ、授業の際にも教本を出そうともせず席に着いたままなのだとか」
―――まさかもう戻ってきていたのか。
聖花は僅かに目を見開いた。昨日学園へと戻ってきてから教室にいても考え事をしていることが多く、もしクラスメイトたちがそういった話をしていたとしても聞き流してしまっていたのかもしれない。それに、リリスもルードルフもそのことについては一言も口にしておらず、聖花は今の今まで微塵も知らなかったのだった。
「それは誰から聞いたのですか?」
アーノルドが既に戻ってきていること自体は確かなようだが、「魂が抜けたように」という表現は些か大袈裟にも思える。そう考えて問い返すと、令嬢のうち片方が答えた。
「殿下と同じクラスの方からです。私も実際に見ましたが、噂通りのようでした」
実際に見たというのであれば、少なくともアーノルドの様子がおかしいという部分については間違いなさそうだった。
それにしても、聖花が逃げ出したことだけでそこまで憔悴するものなのかという疑問は残る。そんな状態であるのなら、ある意味放っておいてもいいのではないか――そんな考えすら僅かに頭を過ぎったものの、フェルナンという前例がある以上は何とも言えなかった。
ふと背後へと目を向けると、ロザリアもまた令嬢たちの話を黙って聞いていた。謹慎中だった彼女にこうした情報が入っているとは思っていなかった上に、昨日からずっと聖花へと目を光らせていたことを考えれば知らなくとも無理はないと思ったのだが……。
「……ロザリア様は知っていたのですか?」
「当然よ。私を誰だと思っているの?」
さも当然のことのように頷くロザリアを一瞥し、知っていたのなら教えてほしかった、という思いが僅かに浮かんだものの、ロザリアは聖花とアーノルドの間で何が起こったのかなど微塵も知らないのだ。そんな彼女が、わざわざ聖花にこの話をする理由などある筈もない。
「……もうよろしいですか?」
令嬢たちが隙を見計らうように尋ねると、ロザリアは小さく息を吐いて答える。
「ええ。行っていいですわ」
「失礼いたします」
二人はそれだけ言うと、そそくさとその場を後にしていった。
もう少し聞きたいことはあったものの、これ以上尋ねたところで大した情報は得られないだろう。
「図書室に行くんじゃありませんでしたの?」
少し先から振り返ったロザリアが、呆れたようにそう声を掛けてくる。
聖花はこれ以上考えても仕方がないと一旦思考を切り上げて、既に歩き始めていたロザリアの後を追ったのだった。




