19.公爵令嬢からの謝罪
監禁から救出されて数日後、アデルが一旦ゴルダール家へと戻ってきたのを機に、聖花も何事もなかったかのように学園へと戻ることになった。翌日の授業に朝から間に合うよう、その日の夕方には家を出て学園寮に戻ったのだ。
翌朝。今日は図書委員の朝の仕事に行かなくていいと部屋まで伝えられていて、聖花は朝礼に間に合うよう余裕を持って寮を出た。だが教室へと向かう道中で感じた周囲の様子は、予想していたものとは少しばかり違っていた。
階段から突き落とされ、療養していたことになっているとはいえ以前からロザリアとの噂もあった。だからこそ、以前にも増して痛々しい視線を向けられるものだと思っていた。
ところが実際には、同情するような視線を向けられたり、陰口かと思えば聖花を気遣うような言葉が聞こえてきたりするのだ。
暫くしてその理由が分かった。登校する際に聞こえてきた言葉の節々から凡その事情を察したのだが、ロザリアたちが自作自演をしていたことが明らかになったらしい。
もちろん聖花が無実であることも明るみになり、一時的に主犯であるロザリアと実行犯のベルが、各々の家へと送還されているという。
アーノルドに閉じ込められている間、外の情報は何一つ入ってこなかった。ルードルフと話した際も世間話など一切しておらず、そのような話は初耳だった。
ヴィンセントとも話をしたものの、家を訪ねてきた者が誰なのか不審そうに尋ねられただけだった。友人ですと答えて頑なに誤魔化したところ、それ以上は特に何も聞かれず、そのまま家を出て学園寮へと戻ってきたのだ。
周囲には、あくまで療養していたとだけ認識されているらしいものの、こうも周囲の見方が変わっていると却って困惑してしまうのだ。
「もう大丈夫なの?」
教室に入ると、いつものように「おはよう」と声を掛けてからリリスが近付いてきた。
噂が広まる前も、広まった後も変わらない態度を見せていたリリスだからこそ、聖花も少しばかり身構えていた気持ちを解き、小さく頷いた。
「はい。もう大丈夫です」
「そういえば試験が近いけど、療養中、勉強はした?」
「いえ……あまりしていませんでした」
そういえば試験が近かった。すっかり頭から抜け落ちていたことに気付き、聖花は内心で小さく呻きつつ、監禁されていた間の出来事を思い出す。
するとリリスは暫く聖花を見つめていた。てっきり「勉強してなかったの?」と、いつもの調子で軽く突っ込まれるものだと思っていたのだが、次に出てきた言葉は予想とは少しばかり違っていた。
「良ければ僕が教えてあげようか?」
「……良いのですか?」
聖花の返答が意外だったのか、リリスが目を瞬かせる。どうやら、まさか素直に甘えてくるとは思っていなかったらしい。
やがてリリスは目を細めると、小さく笑った。
「じゃあ、お昼と放課後。委員会がある時は除いて図書室ね。僕の部屋でもいいけど、どうする?」
「それは駄目です」
思わず即答すると、今度はリリスが楽しそうに笑う。
だが図書室となると少し気になることがある。
以前リリスには「図書室で調べても大して意味ない」などと言われていた。それに先日ルードルフから聞いていたこともあり、闇属性や魔族について調べるのであれば図書室の本はあまり当てにならないことだけは確かだった。
だが――光属性はどうなのだろうか。
闇属性や魔族が危険なものだからこそ伏せられているのだとすれば、むしろ有益なものとして一般にも知られている光属性ならば。実際、魔術の授業でも闇属性より光属性について語られる機会の方が多いのだ。
試験勉強を疎かにするつもりはない。だが、その合間に少しだけ光属性について調べてみるのもいいかもしれない。
リリスに何を調べているのか尋ねられる可能性はあるものの、一般にも広く知られている光属性に興味を持ったという程度なら然程怪しまれないだろう。それにあくまで試験勉強の合間であり、リリスに勉強を教えてもらう以上それ以上のことは言ってられない。
そう考え、早速今日からリリスと共に図書室で勉強することが決まった――その時だった。教室の前方から、僅かなざわめきが広がっていった。
ルードルフが入ってきた時に上がる黄色い声とは違う。声を潜め、噂話をしているようなざわめきだった。
「酷く騒がしいですわね」
噂の主が切り捨てるように言った瞬間、一斉に声が止んだ。それでも視線ばかりは誤魔化せないらしく、周囲の者たちはちらちらと彼女を見ていた。
―――ロザリアである。
公爵家に送還されたはずであり、処分を待っている筈の彼女が何故ここにいるのだろう。そう思っていると、あろうことかロザリアは聖花のもとへと一直線に歩いてきた。
まるで何も悪いことなどしていないかのように堂々とした足取りだった。よく見ると、その少し後ろにはマイルも控えている。
「少々よろしいかしら」
「……何でしょう」
聖花が警戒しながら尋ねると、ロザリアは一体何を惚けているのかと言いたげなほど堂々と口を開いた。
「噂の件ですわ」
「はあ……」
正直言って面倒臭い。
何を言われるか分かったものではない。まさか「貴女のせいで謹慎する羽目になった」とまで言われるのではないか。
前まで部屋に閉じ込められていたというのに、これ以上疲れるようなことは起こって欲しくない。そんな思いからロザリアを見上げると彼女は眉を顰めた。
「何ですの、その態度は。折角人が謝ろうとしているのになっていませんわよ」
「ロザリア様」
マイルが鋭い目を向けると、ロザリアは居心地が悪そうに身を捩った。まるで狼狽えているようにも見えるその様は、以前見た時とは明らかに立場が逆転していた。
「………悪かったわね」
「今、なんと?」
あまりにも小さな声だった。聞き間違えかと思い、聖花が思わず聞き返すと、ロザリアはキッと聖花を睨みつける。
「だから、わ……悪かったと言っているのよ!」
「は、はあ……そうですか」
謝っている。確かに謝っているのだろう。けれど、少しも悪いと思っているようには見えない。やられたことがことだけに、聖花は困惑しながらも取り敢えず言葉を返した。
すると、それが癪に障ったのか、ロザリアが続ける。
「こんなことになるなんて思ってなかったのよっ」
フンッと鼻を鳴らし、そっぽを向く。
聖花は勿論のこと、周囲のクラスメイトたちさえ何一つ言葉を発しなかった。これが本当に――あのロザリアなのか、と。
駄々をこねる子供のような態度に、聖花は呆然と彼女を見つめることしかできなかった。クラスメイトの中には、あまりのことに口を半開きにしている者までいる。
「何よ?文句でもありますの?」
「いえ……随分丸くなったな、と」
思ったことが、そのまま口をついて出てしまった。
しまった、と思った時には既に遅く、ロザリアは顔を僅かに赤くして小さく震えていた。
「ロザリア様の言葉を代弁いたしますと、悪人に仕立て上げ、悪い噂を吹聴し、あろうことか怪我までさせてしまって申し訳ない、と仰っています」
「そこまで言っていませんわ」
マイルが淡々と告げると、ロザリアはそっぽを向いたまま反論した。
本当に何なのだろう。申し訳ないで済む問題ではないが、それを言う筈の本人がそのことを一言も口にしない。目の前で繰り広げられている状況が聖花にはどうにも理解できなかった。
これには隣にいたリリスも同じらしい。いつもならこの状況すら面白がりそうなものなのに、今だけは頭の上に疑問符でも浮かんでいるかのように黙り込んでいた。
「ロザリア様?」
マイルが一言促すと、ロザリアは再び抵抗するように口をもごもごとさせる。
まるでコントを見ているような気分だった。
一体どう受け取ればいいのだろう。最早、怒りや呆れを通り越して何とも言えない気持ちが湧いてくる。責め立てる気も起きなければ、この状況を笑う気にもなれない。
「ところで……何故ロザリア様がここに?」
この流れを変えるべく聖花から話題を変えると、今度こそロザリアが淡々と答えた。
「私の申し出で、セイカさんに謝罪するべく特別に登校を許可されましたの」
「そうですか……」
だったら尚更、このような態度になる意味が分からない。聖花が再び黙り込んでいると、ずっと横で静かにしていたリリスがふと声を上げた。
ようやく意識が戻ってきたらしい。
「今日一日、学園にいるの?」
「いたら何か悪いかしら」
「まあ、そう喧嘩腰にならないでよ。今日ね、図書室でセイカと勉強会を開くんだけど、良かったら君もどうかなって。試験の頃には、どのみち一旦戻ってくるんでしょ?」
「勉強会……?」
ロザリアが眉を顰める。勉強会そのものが気になったというより、聖花とリリスが二人で勉強することが気になったのだろう。
「貴女という人は――」
「ロザリア様」
何かを言おうとしたロザリアを、マイルが遮る。するとロザリアは一瞬だけ口を閉ざし、やがて小さな声で言った。
「……私も参加しますわ」
「決まりだね」
「私はまだ何も言っていませんが」
リリスが勝手に話を締め括ろうとし思わず突っ込んだものの当然のように無視され、話はそのまま進んでいった。
結局クラスメイトの殆どにリリスと勉強会を開こうとしていたことが知られてしまい、新たな噂が生まれることはどうやら避けられそうになかった。
それにしても、アーノルドは学園に来ているのだろうか。忽然といなくなった聖花を見てどうしているのだろうか。それすら分からないまま時間は過ぎていったのだった。




