17.残る影
何故ルードルフがここに――。生じた疑問に、聖花は僅かに動きを止めた。
「詳しい話は後で。先ずはここを出ましょう」
そんな聖花の困惑を察したのかルードルフはそう促すと、先ほどよりも大きく扉を引いた。
「時間がありません。早く」
聖花が暫く無言で立ち尽くしていると、ルードルフが言葉を重ねる。その声に漸く我に返り、聖花は小さく頷くと扉へと駆け寄った。
部屋を出てふと振り返ると、扉の周囲には蔓のようなものが焼け焦げた跡が残っていた。鍵を掛けていただけではない。魔術によって扉そのものを固定していたらしい。
つい先ほどまで、どれだけ考えてもここから抜け出す方法すら思いつかなかったというのに、こうして外へと出てみれば余りにも呆気ないものだ。そう思いかけて、直ぐに考え直した。
恐らくルードルフがいなければ出られてすらいなかった、と。
彼がどうやって此処に辿り着いたのかも、どうやって鍵を開けたのかも魔術を破ったのかも分からない。後者二つは想像がつくものの、それでも外へと出られたことに変わりはないのだ。
とにかく今はそんなことを悠長に尋ねている場合ではなく、ルードルフの言う通り先ずはここから距離を取ることが最優先だった。
「このまま本宮に戻れば、私たちが二人でいるところを見られるかもしれません。妙な噂を立てられるのは避けたいところです」
ルードルフはそう言うと遥か先へと視線を向けた。
「一度ゴルダール邸へと戻りましょう。そこで改めてお話を伺います」
「……殿下は何処へ?」
「私は少しやることがあるので……。後ほどそちらに向かいます」
「……分かりました。一先ず助けて下さりありがとうございました」
ここまでしてもらっておいて断る理由もない。聖花が頭を下げるとルードルフは僅かに目を細めた。
「礼は後で結構です。今は、無事に戻ることだけ考えてください」
素直に頷く。そのまま用意された馬車へと乗り込み、聖花はゴルダール家へと戻っていった。
暫くしてゴルダール邸に着くと、突然戻ってきた聖花を見てヴィンセントが僅かに目を見開いていた。どうやら学園からの連絡はまだ届いていないらしい。
アーノルドが何かしら手を回していた可能性を考えれば、伝達が遅れていること自体は不思議ではなかった。アデルがまだ戻っていないのも気に掛かったが、そちらは単純に手続きに時間がかかっているのだろう。
程なくして見知らぬ人物が聖花を訪ねてきていると、メイドが部屋へと知らせに来た――恐らくルードルフであり、後ほど訪ねると言っていたものの思っていたよりも早い。
聖花がいなくなったことに気付いたアーノルドが追ってきた可能性も考えた。しかし、それならばメイドが「見知らぬ人物」と表現するだろうか。
以前アーノルドが変装して訪ねてきたこともあるのだ。顔を知らない相手ならともかく、ヴィンセントとアーノルドは何らかの利害関係で繋がっていて、少なくとも以前の見舞いの時のように、聖花に尋ねるまでもなく部屋へと通す筈だろう。
「知人です。話すことがあるので通してください」
メイドは不審そうに小首を傾げたものの、言われた通りその人物を迎えに行った。
恐らくヴィンセントにも伝わるだろう。後で尋ねられたら、その時に説明すればいいと考えながら聖花は客室へと向かった。
「先ほどぶりですね」
部屋へと入った瞬間、向かいに腰掛けていた人物が顔を上げる。
―――やはりルードルフだった。
ただし、一見しただけでは到底そうとは思えない。
華々しかった金髪は鼠色になっていて、燃えるような赤い瞳も控えめな茶色へと変えられている。おまけに、それを隠すように深くフードまで被っているのだから、最早不審者と呼んでも差し支えない有様だった。
実際ルードルフが声を掛けるまで、聖花も誰なのか分からなかった程である。
「早速ですが……少し、お話を伺ってもよろしいですか?」
聖花が部屋に控えていたメイドを退出させると、ルードルフが切り出した。
何を聞かれるのかは大方想像がつくものの、助けてもらったのも事実であり、断れる筈もなく聖花は静かに頷いた。
「……弟とは、どういった関係なのですか?」
「……協力関係、です」
「協力関係……」
少し考えて答えると、小さく呟いたルードルフが顎に手を添え、僅かに目を伏せた。と思うと、直ぐに次の問いが返ってくる。
「では、何故監禁されたのです?」
「……分かりません」
「本人から事情は?」
「何度か尋ねましたが、答えてくれませんでした。ただ――以前までの様子が嘘だったように、落ち着いていました」
「落ち着いていた……?」
「はい。いえ……むしろ、妙なくらい冷静でした」
食事は持ってくるし、着替えも用意する。おまけに身体の具合まで気遣うのに、外に出すつもりだけはない。そんな矛盾に聖花自身ずっと困惑していたのだ。
「……他には」
「他、ですか?」
「監禁されている間、弟は何か言っていませんでしたか?」
「特には……」
「……貴女は、今どう思っているのですか?」
思わず聖花は言葉に詰まった。いくら事情聴取といえど聞く必要のあることなのだろうか。
一つ答える度に次の疑問が生まれているようで、尋ねたい気持ちはあったものの、状況が状況なので一先ず返答することを優先する。
「……分かりません。何が起きているのか、私にも……」
「…そうですか」
ルードルフは短く答えた。てっきりそれで終わるのかと思ったが、僅かな沈黙の後また口を開いた。
「……他に、何か気になることはありませんでしたか?」
少しだけ考えた後、聖花はふと一つのことを思い出す。
「そういえば、殿下のことではないのですが……以前フェルナン先生の様子が突然おかしくなったことがあります」
「おかしくなった……とは?」
反応が早い。それまでよりも僅かに食いつくような声だった。
「詳しくは長くなるのでお話できませんが、言っていることと行動が矛盾していて、まともに話が通じませんでした」
「……あの方も、ですか」
「はい」
ルードルフの指が顎から離れる。暫く黙り込んで、やがて何か一つの答えに辿り着いたように顔を上げた。
「……今のお話を聞いて、一つ気になることがあります」
「何でしょう?」
「弟の変化に、闇属性が関係している可能性があります」
「……闇属性、ですか?」
「ええ。断定するつもりはありません。ただ、余りにも急すぎる。弟ならば、もう少し賢く立ち回る筈なのです」
ルードルフは僅かに眉を寄せた。
「人目につく可能性のある場所に閉じ込めるなど、あまりにも不用意でしょう」
その言葉に、聖花の背筋が冷える。
確かに、そうだ。アーノルドほど慎重な人間が、何故あんな場所に自分を閉じ込めたのか。見つかる可能性があることなど最初から分かっていた筈なのに。
そう考えているとルードルフが続けた。
「……貴女は、ヒイラギ・カナデという闇属性の罪人なのですよね?」
以前問い詰められた時よりも踏み込んだ問いだった。
もっとも、聖花自身が何かをしたわけではない。けれど、この身体の持ち主がヒイラギ・カナデである以上、決して間違った問いでもなかった。
素直に答えるべきか、聖花は僅かに迷った。
けれどルードルフは既に殆ど確信しているからこそ、こうして尋ねているのだろう。何より、実際にアーノルドに監禁されていた今となっては、これまで隠していたことも必要とされるのならば話した方がいいのかもしれない。
そう考え、聖花はやがて意を決したように口を開いた。
「……そういうことになっています」
ルードルフの眉が僅かに寄った。返答に何か引っ掛かったのかもしれないものの、それ以上追及することはなく次の問いを口にする。
「では貴女自身、学園で闇魔術を使ったことがありますか?」
「……ありません」
「自覚がない、という可能性は?」
聖花の思考が止まった。自覚がない――その言葉が妙に引っ掛かったのである。
もし彼女が無意識の内に闇魔術を使っていたのだとしたら巻き込まれた人間は一体どうなるのだろうか。
「……今のところは、可能性の一つに過ぎませんが」
黙り込む聖花を見据えてルードルフが続ける。
「闇魔術の中には、人の精神に干渉するものがあると聞いたことがあります。例えば、感情や欲を増幅したり――心を支配したり」
「……そんなに危険なものなのですね」
「ええ。そもそも闇属性は、本来人間が持つものではありません。今では滅んだとされている魔族が持っていたものだとされていますから」
「だから、詳しいことは文献にも残っていないのですか?」
「表向きには殆ど記載されていません。人の手に余るものだからでしょう。それに、いつどこで最初の魔族が生まれ、どうして滅びたのか――未だに分かっていないことが多いのです」
ルードルフはそこで一度言葉を切った。
「……ですが、魔族の血を引く家系は現在も存在します」
「それは……私に話しても大丈夫なのですか?」
思わず尋ねる。魔族については授業で聞いたことがあるものの、滅んだということくらいしか知らなかった。
ルードルフは聖花を闇属性の人間として認識している。そんな相手に、これほど踏み込んだ話をしていいのだろうか。
ルードルフが僅かに目を瞬かせた。
「……アーノルドがああなった以上、最早他人事ではありませんから。私自身も、恐らく無関係ではありません」
「……殿下も?」
「ええ」
ルードルフが静かに頷く。
「もし闇属性が人の感情や欲に干渉するものだとすれば……影響を受けているのが弟だけとは限らないでしょう?」
その言葉に聖花は息を呑んだ。
アーノルドだけではない。もしかすると、ルードルフ自身もまた、何らかの影響を受けているのかもしれないのだ。
だが聖花にはそれ以上尋ねることができなかった。
「……魔族の血を引いている方々というのは、普通の人と何か違いがあるのでしょうか?」
ふと浮かんだ疑問を口にする。
長い年月を越えて血統が受け継がれることはあるのだから、血を引く者たちが今も存在すること自体はそれほど不思議ではないものの、魔族の血を引く一族が今も残っているという事実には純粋な驚きがあった。
そして、それほど特殊な血を受け継いでいるのなら――普通の人間とは何か違うのではないか。そう思っただけだった。
「……今、話すことではないでしょう」
そう言うと、ルードルフは僅かに目を伏せ、それから聖花へと視線を戻す。
「ですが――」
「少し話が逸れましたね」
柔らかな笑みを浮かべながら、ルードルフが話題を戻した。
「今は貴女の話をしていた筈です」
はぐらかされた。少なくとも聖花にはそうとしか思えなかった。だがこれ以上尋ねても答えてくれるとは思えず、それ以上追及することができなかったのだ。
「先ほどの質問に答えるなら……貴女が闇属性を悪用するようでしたら、それ相応の処罰を受けてもらうことになります」
聖花が思わず息を呑んだ。穏やかな声音で、いつものように柔らかな笑みさえ浮かべていたものの冗談には聞こえなかったからだ。
自分は今、闇属性の罪人として認識されている。それだけでも十分に危うい立場なのに、先ほどまでアーノルドに監禁されていたのだ。もし彼の変化に自分が関係していると疑われているのなら――ルードルフから見ても、自分が危険な存在である可能性は捨てきれないのだろう。
そう考えると、胸の奥が僅かに冷えた。
「……もちろん、そうならないことを願っていますよ」
ルードルフはそう付け加えると、それ以上闇属性について語ることはなかった。やがて屋敷を後にし、部屋には聖花一人が残されていた。
頭の中には、先ほど聞いた言葉がいくつも残っている。
闇属性が人の感情や欲を増幅するなどという話は、これまで聞いたことがなかった。そもそも知っていることと言えば飽くまで人を害する力というものであり、誰かの心そのものに干渉する力があるなど少しも考えたことはなかったのだ。
もしそれが本当なら、アーノルドの変化も単なる気まぐれや気分の問題ではなかったのかもしれない。そして――フェルナンのことも。もしあれも闇属性によるものだったのだとしたら、一体何が彼を元に戻したのだろうか。
そこで、ふと一つの考えが浮かんだ。
―――光属性。
呪いや穢れを退け、闇を打ち払う力。それならば、闇属性によって増幅したものすら光属性で打ち消せるのではないか。
……もしそうだとしたら。
自身の手のひらへと視線を落とす。この身体はカナデのものであり――今の自分に、光属性の力は残っているのだろうか。
次話はカナデ視点です。




